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     移民の肖像  (最終更新日 : 2019/08/13)
植西豊治さん [画像を表示]

植西豊治さん (2018/06/04)
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 「農薬を使うことに抵抗を感じ、年を取っても前向きに進んでいけることをやりたかった」―。こう語るのは、パラナ州西部に位置するトレド市で「ERVA・MATE(エルバ・マテ)」と呼ばれるシマホン用(緑色)の有機マテ茶を生産する植西豊治さん(76、北海道出身)。長年、同市の職員として勤務しながら乳牛飼育を並行して行い、10年ほど前から思考錯誤を重ねて続けてきた有機マテ茶の販売にこぎつけた。現在、商品はサンパウロ市リベルダーデ区にある東洋街の日本食品店などでも販売されており、消費者たちにも密かな人気を呼んでいる。植西夫妻を訪ね、これまでの生活ぶり、今後の展望など話を聞いた。
 北海道にいた時から獣医を志していた植西さんは1956年、力行会を通じて渡伯。パラナ州ロンドリーナのロレーナ移住地を経て、60年に現在のトレド市に移ってきた。
 当時、市役所に獣医として売り込み、市やパラナ州政府の仕事も手がけるようになったという。
 「元々、家畜が好きだった」という植西さんは、70年代前半から乳牛飼育を行い、搾りたての牛乳を毎日、町じゅうに配達して周った。
 13年ほど前から医者に心臓病があることを指摘され、体力的にも大変な乳牛の仕事ができなくなった。数年前からは、牛舎ともども人手に貸し出し、その収入で暮らしているという。
 「身体が悪くなり年を取ったと言っても、何もしないのでは気が済まない。健康にも良く、前向きに進むことをやりたかった」と植西さんは、永年作物に近いものとしてその土地柄、周辺のブラジル人がマテ茶を「シマホン」にして飲む生活習慣があることに目を付けた。しかし、消費者が直接口にする一般のマテ茶に農薬が使用されていることを知り、有機無農薬のマテ茶を栽培することを思いついた。
 息子とともにアルゼンチンに出向き、マテ茶栽培に詳しい地元の農業技師の説明を聞いて歩いた。それらを参考に、自宅から10キロほど離れた、以前は大豆畑だったという6アルケール(1アルケールは約2・4ヘクタール)の土地を購入。現在は6万本のマテ茶の木が同地に植えられている。
 当初は、苗を植える深さ、間隔や剪定(せんてい)のやり方に悩み、思考錯誤を繰り返した。指導書に従って植えても、気候やその場所に適したやり方があることを悟った。また、害虫忌避の効果がある「ニン」と呼ばれる薬用植物を求めてインドやネパールまで旅するなど、有機マテ茶生産実現に情熱を燃やしてきた。
 今年で生産して10年目。酸化の激しい有機マテ茶を真空パックにする機械を導入するなど、製品化を実現させた。
 「自分1人でやってきたのではなく、皆の協力があってここまで来たことを痛感する」と植西さん。実際、「MAYTENUS」と呼ばれる地元の有機生産物研究機関の協力を得て、04年11月には認証機関であるIBDの認可が降り、海外への輸出も可能になった。
 また、同時期に近隣のカスカベル市で展示会が開かれ、数多くの有機産品とともに自身の有機マテ茶も展示された。
 「『日本人がシマホンをつくっているのか』と、ガウショたちに笑われました」と植西さんは顔をほころばながらも、その目は真剣だ。
  子供たちもそれぞれに独立し、今は夫人の克子(よしこ)さん(69)と2人で入植当時の家に住む植西さん。10年の月日を費やし、ようやくこぎつけた有機マテ茶の販売拡大に意欲を燃やしている。(2008年6月号掲載)    


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松本浩治 :  
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