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マツモトコージ苑
     移民の肖像  (最終更新日 : 2019/04/17)
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右近雅夫さん (2018/11/22)
2008年10月号右近雅夫さん5.jpg
 学生時代にデキシー・ジャズ音楽の虜(とりこ)となり、現在も仕事の合間に現役のトランペッターとして演奏活動を続けている日本人がいる。右近雅夫さん(76、兵庫県出身)は、サンパウロ市内リベルダーデ区でマジック・インキ製造販売会社の代表を務める一方、月に数回、公の舞台で仲間たちとの演奏会を楽しんでいる。「しんどい時にはいつも、音楽が力づけてくれた」と見せる笑顔が印象的だ。
 祖父は、日本国内で貿易を行う「北前(きたまえ)船」の船主として時代を生き、父親も人を使って韓国で米栽培を行ってきた。そのため、幼少時代の雅夫さんは比較的裕福な生活を送ることができた。
 中学時代に見に行ったハリウッド映画に憧れたことが、トランペットを始めるきっかけとなり、関西学院大学在学中は軽音楽部に所属する傍ら、米軍キャンプなどでジャズを演奏していたという。
 大学卒業後、貿易会社に勤務したが、1950年に朝鮮戦争が始まり、その被害を避けるため家族でブラジルに渡ることになった。その背景には、第2次世界大戦中、祖父が戦前に建てた白塗りの洋館が敵国の焼夷(しょうい)弾で焼かれるなど戦災被害に遭っていたことがある。
 1955年、「さんとす丸」で渡伯した雅夫さんは当時24歳。1年間は日系の商社に勤務したが、米系の映画配給会社がトランペットが吹ける兵役経験者を募集していたことを逃さなかった。
 カリブ海でロケができると聞いた雅夫さんは、「兵役の経験は無いけども、トランペットは吹ける」とアピールして採用が決定。約3か月間、ベネズエラの北東部に位置する島国トリニダード・トバゴに行ったという。
 ブラジルに戻った雅夫さんは57年、サンパウロ市内にマジックインク製造販売会社を設立した。そのきっかけは、ブラジルに渡る際に梱包用のマジックインクを日本から持参していたことだった。当時、マジックが珍しかったブラジルで「これなら売れる」と自力で立ち上げた。
 インクの知識など無かったが「鼻が良かったんで、インクの成分が何かすぐに分かったんですわ」と雅夫さん。「ラッパだけで食べていくことは難しい」と思いながらも、他国の移民たちとバンドを組み、仕事の合間には好きなジャズ演奏を継続してきた。
 親の許しがなかなか出ずに、7年間も付き合ったポルトガル系のマリア・アントニアさん(67)との念願の結婚が65年に成就。その後も仕事と演奏活動の2足の草鞋(わらじ)を履く生活は欠かさず、毎週1回はクラブなどの舞台でトランペットを吹き続けた。
 80年、日本のデキシー・ジャズ関係者の招待で渡伯後初の日本を訪問して以来、演奏活動を主な目的に何回となく日伯間を往復してきた。95年には、阪神・淡路大震災の被災者復興を支援する「神戸ジャズ・ストリート」にも参加している。
 今年、喜寿を迎える雅夫さんは、今も現役として会社経営を実践。また、「呼んでもらったら、どこにでも行きます」と、現在でも月に1、2回のペースで仲間たちとともに演奏活動を続けている。
 「しんどい時に、いつも音楽が力づけてくれましたが、くよくよしてもしゃあない、と思いながらやってきました」
 常に前向きな姿勢が雅夫さんの活動の原動力となっている。(2008年10月号掲載)
  


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松本浩治 :  
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