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     南米日本移民の肖像  (最終更新日 : 2024/12/08)
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井本司都子さん (2022/11/12)
2010年12月号井本司都子さん.jpg
 「まともには歩めぬわれにも朝は来る あたたかき日射し窓にとどきぬ」―。現在、サンパウロ市リベルダーデ区に独りで住む井本司都子(いもと・しづこ)さん(90、大阪府出身)が作り、2008年9月に行われた第60回全伯短歌大会で代表選1位になった句だ。
 司都子さんの旧姓は細井(ほそい)。徳島県出身の父親は、14歳で大阪に出て丁稚奉公を行い、商売人として大阪難波(なんば)のド真中で働いていたそうだ。その後、父親は会社で順調に出世したようで、迎えの馬車が来るお抱え運転手付きのような待遇であり、司都子さん自身も当時、制服のある幼稚園に通い、姉妹も女学校に通う不自由の無い生活を送っていた。
 しかし、父親の友人が移民会社の世話をやっており、「移民として渡伯できるのは44歳が最後」という話から、父親は渡伯を決心。1926年、夫人と娘たちとともに「さんとす丸」に乗った。司都子さんは5人姉妹の末っ子で、当時まだ6歳だった。
 細井一家は、戦前移民の数多くが入植したサンパウロ州北部のモジアナ線に契約移民としてカフェ農園に入った。が、契約農期の1年も経たずにサンパウロ州ビリグイの奥地へ移った。というのも、細井家は「もしもブラジルでうまくいかなかったら、日本へ戻れるように」と、充分な金銭を親戚からもらって渡って来ていた。しかし、人の良い父親は最初に入った農園のパトロンにその金を貸してしまい、日本へは帰るに帰れない状況となってしまったのだ。
 ビリグイで2年、さらに近郊地の「バレイロ植民地」で6年間、カフェ生産に従事した。その間、細井家の長女が、同船者だった慶応大学出身の単身者・杉崎氏と結婚。杉崎氏は同地の日本人学校の教師となり、司都子さんは義兄から日本語を教わっていたという。
 司都子さんが15、6歳になった頃、親戚の世話で同じノロエステ地域のアラサツーバに土地を購入することができた。ようやく、自分の土地を手に入れることができたが、父親はその2年後に59歳で急死。大黒柱を失った家族は農業を止め、サンタ・アメリカという近郊地に住んでいた長女夫妻のもとへ転住した。
 その頃から戦時色も濃くなりだし、公の場所で日本語を話すことが禁止された。長男夫妻はブラジル人たちに気づかれないよう日本人家庭を訪問し、隠れて勉強を教授。20歳になっていた司都子さんも一緒に協力し、子供たちに日本語を教えていた。
 その頃、義兄の紹介でリンスにほど近い「アリアンサ」と呼ばれる場所で農業生産を行っていた井本厚(いもと・あつし)さん(山口県出身)と出会ったことが、司都子さんの人生の転機となった。
 23歳で厚さんと結婚した司都子さんは、アリアンサの地で終戦を迎えた。戦後の混乱の中、厚さんはゼツリーナの町に出て、独学で写真技術を学び、同地で証明写真などを撮る写真業を始めた。
 しかし、厚さんは自身の父親と考え方が合わず、サンパウロ市に出ることに。市内ツクルビー近くのジャサナンで本格的に写真屋を開けた。
 すでに4人(2男2女)の子供に恵まれていた司都子さんは、夫の仕事を見よう見まねで覚え、写真用のフィルムを現像したり、プリント作業を手伝ったりして生活を支えた。30年以上続けた写真屋だったが、1980年代には治安が悪化。4回も強盗に入られたことが、写真業を辞めるきっかけとなった。
 夫の厚さんはその後、腸ガンを患い、入院した病院の麻酔が原因で66歳で他界。しかし、生前は15歳くらいから始めた短歌を続け、写真業という商売柄、日系社会での知人・友人も多く、地元の顔役として人気もあった。
 司都子さんは還暦を前に、東洋街にあるエスペランサ婦人会でコーラスを始め、リベルダーデ区までの距離を通った。厚さんの死後1年ほどして、その後を継いで短歌の道に入り、現在まで30年近くにわたって続けている。そのほか、自宅でピアノのレッスンも行うなど、趣味は多い。
 「何もしなければ、主人の友人たちと離れてしまうと思って始めた短歌でしたが、今から思えば頭を使ったりするので、続けてきて良かったと思います」と司都子さん。現在は足が悪く、1人では思うように外出できないが、老人クラブ連合会傘下の「セントロ桜(さくら)会」にも属しており、月1回の例会で友人たちに会えることを楽しみにしている。
 今はリベルダーデ区に住むようになった司都子さんは、「ここに来て、良い友達がたくさんできました」と屈託ない笑顔を見せていた。(2010年12月号掲載) 


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松本浩治 :  
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