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     ブラジルの日本移民  (最終更新日 : 2024/05/01)
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高木政親さん (2023/02/15)
2012年3月号高木政親さん.JPG
高木夫妻とお孫さん
 1969年に創業し、漬け物をはじめ、かまぼこや豆腐などの日本食品を製造販売しているブラジル地場企業の高木醸造食品有限会社。取締役社長の高木政親(たかき・まさちか)さん(61、長崎)は、10年ほど前に息子のヒロシさん(41、2世)に経営権を譲り、現在は悠々自適な生活を送っている。
 高木家は先祖代々、長崎県で造り酒屋として発展。父親の政明さん(94年に75歳で死去)は、10代目杜氏(とうじ)として戦前に満州に渡り、同地で日本酒、酢、みそなどを製造販売し、「ゼロ戦1機分の金を貸すことができるほど儲けた」(政親さん)という。
 戦後、日本に引き揚げ、闇で酒類などを販売していたが、日本の生活に合わなかったためか、ブラジルに移住することを決意。57年9月、オランダ船の「ルイス号」で当時7歳だった長男の政親さんたち家族とともに渡伯した。
 聖州プロミッソンの前田農場でのコーヒー・コロノ(契約農)生活、イタケーラでの農業生活を経て、渡伯3年後にはリベイロン・ピーレスに転住。当時、同地で「ツヤマ」と名乗る日本人が「さくら」という銘柄の日本酒を製造販売していたが、友人の勧めで酒造りを行うことになり、61年から引き継いだ。その際、父親の政明さんは「ふじさくら」というオリジナルの銘柄に変更。「辛口」の日本酒をブラジルで造り始めた。
 「ふじさくら」は現在のビール瓶(大瓶)の大きさで市販され、聖市ジャバクアラ区にあった料亭「青柳」にも卸されていたという。
 政親さんは当時11歳だったが、「麹(こうじ)を作るために、夜中によく父親から起こされて手伝った」ことを今でも覚えている。
 そうした中、祖母のハツメさんが自宅で作っていた「たくあん」が「おいしい」と評判となり、聖市カンタレーラにあった中央市場で働く「池尻(いけじり)」という日本人から頼まれてCEAGESP(聖州食糧配給センター)で漬け物を販売するようになった。
 この漬け物が当たり、68年には政親さんと父親がスザノに漬け物製造会社を立ち上げ、翌69年に現在の高木醸造食品を設立した。
 漬け物の種類もたくあんを中心に、「福神漬」「しょうが漬」「朝鮮漬け」などと増やし、「2~3年で新しい車が買えるほど」儲けたという。
 82年には、CEAGESPで委託販売していた「ちくわ」や「かまぼこ」を聖市カーザ・ベルデ区で製造していた日本人から「自分たちは辞めるから引き継いでほしい」と言われた。父親や家族は反対したが、政親さんは「新しい物に挑戦したい」と受け入れた。しかし、当初は魚のすり身と塩の割合が分からず、商品として完成させるまで試行錯誤を繰り返した。
 さらに、90年には豆腐も導入した。現在は、「ちくわ」「かまぼこ」用として月に50トンの魚をサントス港やCEAGESPなどから仕入れ、月産約5万箱の生産量を誇る。しかし、それでも生産量の5割は漬け物が占め、「ちくわ」と「豆腐」の生産がその半分ずつとなっている。
 政親さんは、早い時期に息子の代に継承したことについて、「私も父親から18歳の時に会社を任されたから」と言い、「息子に対してはあまり口うるさく言わないようにしているが、1年ごとに新商品を作ることだけは提案している」と述べ、今後、一般ブラジル人の口に合うような商品の開発も見込んでいる。(2012年3月号掲載)


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松本浩治 :  
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