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     ブラジルの日本移民  (最終更新日 : 2024/02/19)
大畑天昇さん [画像を表示]

大畑天昇さん (2023/06/04)
2013年6月号大畑天昇さん.JPG
 サンパウロ州イタペセリカ・ダ・セーラ市にあるブラジル金閣寺文化協会の敷地内にある円光寺(えんこうじ)の主任を務め、曹洞禅宗の僧侶である大畑天昇(おおはた・てんしょう)さん(静岡県出身)は、95歳になった現在でも週末に同寺で読経を行うなど、活動的だ。
 大畑さんは、静岡県の殖民学校に入っていた兄がブラジルに行くことを決めていたため、一緒に渡伯することを決心。ソカバナ線のパラグアスー・パウリスタに住んでいた知り合いの呼び寄せにより、1936年に「まにら丸」で兄、兄嫁とともに3人で渡伯したのが16歳の時だった。
 同地で綿の栽培を行い、その後、綿の生産地だったアバレーで日本人家族に雇われた。2年目に独立してマラリアの被害で日本人が誰も入らなかったタクアリツーバに転住。土地を増やして綿作りに励んだある年、雨が降らずに不作となり、借金を抱えた。
 そうしたところ、兄の紹介でアチバイアにあったイタリア系のマタラーゾ財閥の農場の管理人に抜擢。「運が良かった」と当時を振り返る大畑さんは45年から8年間、同農場で過ごした。フランシスコ・マタラーゾの孫に当たる経営者から信頼され、肉牛の牧畜だけでなく交配種の育成も行った。しかし、大畑さんが任されていた事務経営をブラジル人に任せたことで金銭的なトラブルが発生。意見が合わずに結局は農場を出ることになった。
 サンパウロ市に出てきた大畑さんは知り合いの誘いにより、後に文協会長や初代県連会長等を歴任し、当時「ジャグアレー肥料工業株式会社」を経営していた中尾熊喜(くまき)氏の下で働くことになった。
 「中尾さんはまじめな人で、私がそのころ午前7時に出社すると、その前にはもう会社に来ていましたね。仕事では地方の代理店を回って歩くことが多かったのですが、中尾さんは『家は大丈夫か。必要な金を取りに来るように奥さんに言いなさい』などと何かと気遣っていただきました」と中尾氏の人柄を思い出す。
 結局、同社で定年まで約30年間働いた大畑さんだが、地方を回っていた40代のころに得意先で世話になっている人が亡くなる光景を目の当たりにしてきた。奥地では寺などないところも多く、そうした時にいつも「自分でお経をあげることができたら」との思いを持ち続けてきた。
 戦後、日本に居た弟をブラジルに呼び寄せた際、両親の遺骨も持参。59年ごろ、当時からリベルダーデ区サンジョアキン街にあった仏心寺の納骨堂に収めたことをきっかけに同寺と懇意に。当時の曹洞宗総監の新宮良範(しんぐう・りょうはん)氏から「僧侶になるための講習会に来てみたら」と勧められたこともあり、日本で3カ月間修行し、現在は国際布教師の免許を所持している。
 1974年に建造された金閣寺は当時、日本で約15年間暮らしていたアメリカ人が訪ねて来て、「日本と同じような金閣寺を造りたい」と言ってきたことがきっかけだという。そのアメリカ人は特に仏教徒でもなかったが、金閣寺を建てるための土地を同市から購入し、ポルトガル語の分かる大畑さんがその世話などをした。
 その後、大畑さんは日本の曹洞宗僧侶や檀家たちからの寄付などを得て2001年、かねてからの念願だった「円光寺」を金閣寺の敷地内に建立。同寺を建てた理由について大畑さんは、金閣寺の内部は納骨堂があるだけで、檀家たちが各種法要のために集まるには場所が狭すぎることを挙げた。
 大畑さんは現在、サンパウロ市内モルンビー区に住み、週末だけ円光寺に「お勤め」に来ている。毎月第2日曜には金閣寺での法要があるほか、年間を通じて「母の日」「父の日」や11月の「お盆」には欠かさず法要を実施している。
 今後の抱負として大畑さんは、金閣寺と円光寺と三角形を結ぶ地点に「六角堂」を建立する計画も立てており、今年中に着工する考えだ。完成は3~4年後をめどにしており、「完成するまでは、まだ死ねない」と微笑んだ。(2013年6月号掲載)


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松本浩治 :  
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