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     ブラジルの日本移民  (最終更新日 : 2024/05/01)
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尾西貞夫さん (2023/08/14)
2014年4月号尾西貞夫さん.JPG
 約40年にわたって東洋街で「明石屋宝石店」を営業し、兵庫県人会長、援協副会長などを長年にわたって歴任してきた尾西(おにし)貞夫さん(71)。NHKの「移住○年目の乗船名簿」などでも有名な1968年3月2日横浜発の「あるぜんちな丸」に乗船し、技術移民として海を渡って来た。
 兵庫県明石市の実家は農業で米作りを行っていたが、義兄のつてで千葉県の製鉄所に勤めていた尾西さんは、職場に居たブラジル帰りの人から聞いた話で、ブラジル行きを決意。当時の移住事業団(現・JICA)で手続きをして、単身ブラジルに渡った。
 事業団の寮で15日間、予備知識を教わった後、初代兵庫県人会会長でサドキン電球工業の故山本勝造(かつぞう)氏の世話で半年間、同社で働くことに。その後、ブラジルで巡り合った夫人の父親である故大坂勝次郎(おおさか・かつじろう)氏と出会い、当時サンパウロ市内サン・ジョアン街にあった夫人の店を手伝った後、ピニェイロス区にあった日本人経営の宝石店で修業。71年に日本人との共同経営でセントロ区のコンデ・デ・サルゼーダス街に「明石屋宝石店」を開店した。
 73年にはガルボン・ブエノ街に店を構えるため、サンパウロ新聞会長だった故・水本光任(みつとう)氏から借金。また当時、ブラジルのケミカルシューズを視察するため来伯していた大澤産業(神戸市長田区)の社長の世話で、日本の土地を担保に銀行から多額の金を借りた。当時はインフレも激しい反面、駐在員客も多く商売は繁盛し、その後約8年で借金を返済。知り合いが宝石の産地であるミナス・ジェライス州に居たため、「珍しい宝石が数多く手に入り、お客さんには喜ばれた」という。
 70年代半ばごろには、牛皮と宝石の原石をリオ・グランデ・ド・スル州ポルト・アレグレ市に買い付けに行った際、知り合いに車を運転させて助手席で寝ていた時に交通事故に遭遇。ポルト・アレグレ市内の病院に運ばれたが、約2カ月間記憶喪失となった。その後、脳外科医の手当てで記憶が戻ったものの、結局は10カ月間商売を休むことになり、その時に受けた足首への後遺症は現在も残っている。
 また、尾西さんは東洋街があるリベルダーデ地区を活性化しようとリベルダーデ商工会(現・リベルダーデ文化福祉協会)の3代目会長として活動。初代会長・水本毅夫人のすみ子さん(故人)の紹介で日本の映画監督の山田洋次氏と知り合い、「寅さんをブラジルに呼ぼう」と運動したが、残念ながら主役の渥美清さんの体調が当時から優れず実現できなかった。
 ブラジルを訪問する日本の芸能人とも親しくなり、移民70年祭の時には女優の森光子氏(故人)が、当時の看板番組だった「3時のあなた」の収録のため来伯。その協力を行い、サンパウロ市のイビラプエラ公園でルバング島から帰還した小野田寛郎氏と、尾西さんの親戚でもあるアントニオ猪木氏の対談も実現させたという。
 その後、80年代に援協会長だった竹中正氏が日伯友好病院建設のための寄付を募るために訪日した際、尾西さんのつてで森さんの番組に出演し、日本全国に広く募金を呼び掛けることができた。
 リベルダーデ商工会でも、現在の東洋会館を建設するために自身をはじめ、約100人に及ぶ商工会会員から寄付金を集めたほか、サンパウロ州マリリア市の笹崎工業から窓枠を寄付してもらうなど奔走した。
 また、リベルダーデ商工会会長としてラジオ体操、七夕祭り、地下鉄リベルダーデ駅構内での生け花展示にも協力して関わってきた。94年には落語家の立川談志氏の落語口演を実現。翌95年の日伯修好100周年で来伯された当時の紀宮さま(現・黒田清子氏)がリベルダーデ広場を訪問した際、東洋街の説明を中心になって行うなど地域の発展に貢献した。
 尾西さんは、「人のために尽くしてきたつもりだが、今はリベルダーデも『日本人街』から『東洋街』となり、時代が変わってしまった。街は大きくなって人はたくさん来るようになったが、質が落ちているように思う。活性化するためには、会員同士がもう少し話し合いをして、きれいな街にしないと」と指摘する。
 2012年4月に約40年の歴史に幕を下ろした「明石屋宝石店」は同年5月下旬から、「SDB(O Segredo dos Doces)」という名称の菓子店舗として同じ場所で共同経営を行っている。息子のロニーさん(34、2世)が従業員として働き、尾西さんは従来通り、同店に毎日顔を出している。
 「日系社会との付き合いがなければ、今の自分はなかった。今までお世話になってきた人たちに今後も、何らかの形で恩返ししていきたい」と尾西さん。「いつでも店に訪ねて来ていただければ、相談に乗ったり協力することもできますので」と話しており、これからも東洋街の相談役として活動していく考えだ。(2014年4月号掲載)


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松本浩治 :  
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