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     ブラジルの日本移民  (最終更新日 : 2024/05/01)
下前原輝夫さん [画像を表示]

下前原輝夫さん (2023/08/28)
2014年6月号下前原輝夫さん.JPG
 熱帯果樹のアセロラ普及と品種改良に努め、1993年に農業貢献者に贈られる「第26回山本喜誉司(きよし)賞」を受賞しているパラー州カスタニャール市在住の下前原輝夫(しもまえはら・てるお)さん(76、宮崎)。戦前、獣医をしていた父親・光次(みつじ)さん、母親・イセノさんと弟の4人で満州に渡り、現在の中国のハルピンから西へ約60キロ地点の「トクショウトン」という場所にあった宮崎県の植民地に入植し、3歳から8歳までを過ごした経験を持つ。
 当時の生活について下前原さんは、「宮崎県出身者が7~8家族共同で住み、植民地には2メートルほどの土壁で囲いがあり、中央に井戸があり、見張り台があった」ことを今でも覚えている。主食はこうりゃんと大豆、トウモロコシを粉にして食べていたが白米は無かったという。
 終戦後の1946年に祖父母が住んでいた宮崎県に引き揚げたが、戦後の食糧難で経済的に厳しい状態が続いた。そうしたころ、宮崎県庁でパラー州ベレン市での蔬菜(そさい)移民の募集を行っており、一家でブラジルに行くことを決めた。輝夫さんは中学を卒業して農作業を行っていたが、ブラジルに渡った時は17歳だった。
 54年12月20日に「ぶらじる丸」で神戸港を出航。翌55年1月23日にベレンに着いたが、当時の船の中でトメアスーのピメンタ(コショウ)景気の話を聞き及び、ベレンに着いてすぐにトメアスーに入植することになった。
 トメアスーでは岩間(いわま)農場で2年間のコロノ(雇用農)生活により、ピメンタ栽培を学んだ。その後、独立して岩間農場の隣接地に30町歩の土地を購入してピメンタ栽培を行ったが、病気が入りだした。ピメンタ栽培を行いながらもベレン近郊地を見て回っていたころ、ちょうどいい物件をカスタニャールに見つけて70年に購入した。
 61年のトメアスー時代に光枝(みつえ)さん(72、熊本)と結婚していた輝夫さんはカスタニャールに移転したことを機会に、各地に土地を買ったという。当時、COPAMAという農協がカスタニャールにあり、ピメンタ栽培と並行してハワイマモン(パパイヤ)やメロン作りも行っていたが、82年ごろに当時の国際協力事業団(現・国際協力機構)が発行していた「南米農業要覧」という本にビタミンなどが豊富な熱帯果樹のアセロラのことが掲載されているのを見て「これは面白い」と思ったそうだ。
 ベレンの事業団にアセロラのことを問い合わせたところ、第2トメアスーに住んでいた仁和(にわ)という日本人がアセロラの苗木を持っていると聞き、その足で片道250キロ離れたトメアスーまで車を飛ばした。
 仁和農場に行ってみると、5本くらいのアセロラの苗木が植わっており、仁和さんからアセロラの種を譲り受け、その後、6回ほど仁和農場に通ったという。
 その後、1年目にアセロラの種と苗を700本くらい植え、2年目は1000本に増やした。そうしたころ、日本企業のニチレイ関係者から声が掛かり、「アセロラを見せてほしい」と言われ、袋に2キロ分ほどを持たせたところ、後に日本で商品化することになった。COPAMAの組合員にもアセロラ栽培を推奨し、ニチレイとの取り引きで年間400トンを買い取ってもらっていた。ニチレイ側では年間2000トンの需要があったそうだが、生産が追い付かなかった。それでも輝夫さんは個人で年間最高で60トン収穫したこともあったという。
 「ニチレイがアセロラを広めてくれたようなもの」と輝夫さんは謙遜するが、92年には夫婦してニチレイが日本に招待してくれた。故郷の宮崎県をはじめ、下前原夫妻が行く先々にアセロラ商品を贈ってくれ「上げ膳据え膳のお世話になった」ほど、ニチレイ側も輝夫さんの貢献を重んじていたようだ。
 輝夫さんは傷みやすいアセロラを日持ちし量産できるような品種改良にも力を注ぎ、17~18年にわたってアセロラに携わり普及した。
 輝夫さんは現在も、ビタミンAが多いアブリコと呼ばれる果樹をはじめ、ビタミンが豊富な熱帯果樹カムカムのほか、2009年からは浄水作用のあるモリンガを推奨している。
 カスタニャールに住んで36年になるという輝夫さんに趣味について聞くと、「10年ほどゴルフもやっていないし、今でも片道23キロの畑に週3回は通っています」と笑顔を見せる。「新しい物を植えたい気持ちはいつもありますよ」と、今なお意欲的だ。(2014年6月号掲載)


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松本浩治 :  
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