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     ブラジルの日本移民  (最終更新日 : 2024/05/01)
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小林勝枝さん (2024/01/08)
2015年6月号小林勝枝さん(パラグアイ).JPG
小林夫妻
 パラグアイのグアスー移住地で主人の小林時則(ときのり)さん(64、岩手)とともに「民宿小林」を切り盛りしている小林勝枝(かつえ)さん(59、岩手、旧姓・藤原)。ピラポ日本人会初代会長で伯父に当たる小林平八郎(へいはちろう)さん(故人)の呼び寄せにより、1977年9月に21歳でピラポ移住地に単身入植した。2、3年で日本に帰るつもりがパラグアイの生活が気に入り、平八郎さんの次男の時則さんと、いとこ同士で結婚。その結果、産まれてきた子供は3人とも知的障がい者となるハンディを背負ってしまった。
 70年代後半、ピラポ移住地では2年続きの大干ばつに見舞われ、勝枝さんたちは82年、夫婦と子供2人を含めた一家7人で「夜逃げ」の形でイグアスー移住地へ。平八郎さんの知り合いの日本人を頼って移住地の35キロ地点に転住し、約2年間はメロン、トマト、キュウリなどを生産した。
 80年代半ばには、36キロ地点に住んでいた倉兼一二(くらかね・いちじ)さんという大分県出身の日本人家族が親切心で乳牛の手伝いをする仕事を与えてくれ、給料に加えて味噌や米などの食料品も支給してくれた。「人生の80%くらいは倉兼さん家族に助けていただいた。本当に私たちにとっては大恩人」と勝枝さんは、現在は日本に引き揚げた倉兼さんの恩を今も決して忘れることはない。
 88年、時則さんの兄の名義でJICAから融資を受け、現在住む53キロ地点に58町歩の土地を購入。野菜作りを行うとともに倉兼さんから預かった約30頭の乳牛も育てた。しかし、同地は夏場は40度の暑さになる反面、冬場はマイナス4度の寒さになるなど気候の変動が激しく、降霜の影響で大事な乳牛を死なせてしまった。途方に暮れた末に、倉兼さんの知り合いで当時イグアスー日本人会の会長だった斉藤さんという日本人に頼み込み、日本人会で働かせてもらうことができた。
 しかし、それだけでは生活は成り立たない。当時の勝枝さんは、午前4時に起きて乳牛の乳しぼりを行い、国道までの1キロの道のりを歩いて搾った牛乳をバスで移住地に売りに行く。その後、午前6時半から日本人会の事務員として働き、その間にもマンジョカ芋のチップや餅をついて販売したりと「地の底の生活」(勝枝さん)だった。
 88年から92年の年末まで事務員を続けたが、斉藤会長から「このまま日本人会にいてもJICAの(融資の)借金は返せないよ」と諭され、単身、日本に出稼ぎに。子供たちを家族に預け、17年ぶりに日本に帰国した。93年2月から94年1月まで家政婦として猛烈に働き、JICAからの融資の一部を返済、当時で200万円を持ってパラグアイに戻った。
 そのころ日本人会では事務局長が不在で、以前の経験を買われ、1年間の見習いの後、95年から正式に女性としては初の事務局長に就任。96年までの2年間勤めたが、「ほとんど休めず、夜の12時前に帰ったことはなかった」。96年から2000年までの4年間、再び日本に出稼ぎに行き、三つの仕事をかけもちした。01年にイグアスー移住地に戻ったが、平八郎さんは目がほぼ見えない状態になっており、義母も痴呆になっていた。「自宅でできる仕事」を探した結果、マッサージを独学で習得。午前7時から午後11時ごろまで働き詰めの生活が続いた。
 06年に義母が亡くなった時、勝枝さんは「ここ(現在の「民宿小林」の場所)はすごく眺めがいい場所。2階建ての家からその風景を見たい」と思っていた。そんな家を建てる金など無かったが、平八郎さんが子供のころに引き取って育て日本に引き揚げていた義理の弟が「俺が金を出してやるよ」と1500万円を寄付。その資金で現在の「民宿小林」の旧館を08年5月に建てた。その後、義弟がイグアスー移住地を訪れた際、「何でもいいから好きなことに使ってくれ」とさらに3万5000ドルの金を渡してくれた。義弟は子供のころに平八郎さんに受けた恩を小林夫妻に返した形だったが、その平八郎さんも2010年頃に他界している。
 小林夫妻は義弟からの資金で新館を建設。さらに、移住地の「久保さん」という40代の日系人から「どうせならジャグジーを付けたらいいよ。俺が金を出してやるから」と言われ、新館屋上にジャグジーを設置することになった。ジャグジー付きの新館は昨年(14年)12月に完成したが、久保さんは完成を見ることなく同年10月半ばごろにトラクターの事故で亡くなっている。
 現在、3人の子供のうち、2人は日本の知人宅に預けて仕事をさせているというが、将来の目標について勝枝さんは「最終的には子供たちがここに帰って来て民宿を引き継げるようにしていきたい。また、頭の良いお嫁さんに来てもらい、子孫を残してほしい」と希望を話す。「ここまで来れたのは移住地とお世話になった皆さんのお陰。これらの恩は決して忘れない」と強調し、「世界中からのお客様を迎えることができて嬉しい」と喜びの表情を見せた。
 「民宿小林」の詳細はホームページ( http://blog.livedoor.jp/minsyukukobayashi/ )参照のこと。(2015年6月号掲載)


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松本浩治 :  
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