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     ブラジルの日本移民  (最終更新日 : 2024/05/01)
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高山晴郎さん (2024/02/19)
2015年12月号高山晴郎さん.JPG
 日本ブラジル外交樹立120周年を記念して、秋篠宮ご夫妻が2015年10月下旬から11月初旬にかけて来伯された。ご夫妻が10月29日午前にサンパウロ(聖)州グアルーリョス市にある救済会(吉安園子会長)老人ホーム「憩の園」を訪問された際、同園史料室で入居者の高山晴郎(たかやま・せいろう)さん(97、山形)が特別にお二人の撮影を行った。
 高山さんは長年、聖市リベルダーデ区で写真館を経営し、これまでにブラジルを訪問された皇室関係者や日本の歴代首相の姿を撮影するなど活躍してきた。高山さんのこれまでの写真生活と秋篠宮ご夫妻を撮影した感想など、高山さんの思いを振り返る。
 1918年に山形県酒田市で生まれた高山さんは35年1月、17歳の時に「りおでじゃねいろ丸」で一家7人で渡伯した。当時のブラジル拓殖組合から日本で購入した、聖州チエテ移住地(現・ペレイラ・バレット)の25町歩の土地に入植。しかし同年、家長である父親がひどいマラリアに罹り、移住地での農業生産活動を行うことができない状態になった。
 渡伯に際しては、父親が日本から三脚付きの営業用カメラを持参してきており、一家の生活を支えるために長男の高山さんが「写真で身を立ててやろう」と決心。チエテ移住地を出てペレイラ・バレット市に移り、写真業を行うようになった。
 20歳になった時、日本に居た婚約者を迎えに単身一時帰国した高山さんは、当時東京都内にあった「オリエンタル写真学校」に3カ月間入学。写真の技術を本格的に身に付けたという。
 夫人を連れてブラジルに戻った高山さんは、ペレイラ・バレット市で計13年間写真業を行った後、49年2月、30歳の時に上聖。聖市リベルダーデ区にちょうど良いスタジオを見つけ、「FOTO TAKAYMAKA」を開業。以来、ペレイラ・バレットの13年と、リベルダーデでの50年と計63年間にわたって写真活動に専念してきた。
 その間、56年にご来伯の三笠宮ご夫妻をはじめ、67年に初来伯された当時の皇太子殿下と美智子妃殿下や吉田茂氏、岸信介氏、田中角栄氏など、これまで来伯した皇室関係者と歴代首相を撮影してきた経験を持つ。
 また、98年の移民90周年を記念して来伯した当時の小渕恵三外相が来聖した際も、小渕氏の来伯を歓迎したマリオ・コーバス州知事とともに撮影を依頼されたという。
 「35歳から50歳くらいまでは白黒写真が全盛でしたが、サンパウロを中心に各地を回り、結婚式や各種イベントなどの撮影も多かったですね。そのころは主に18×24センチのフィルムを使った大型カメラで撮っていましたが、焼き増しも多かったため、ずいぶんと儲かりました」と当時を懐かしむ高山さん。日本の皇室関係者や歴代首相などの有名人を何人も撮影してきたことについては「いつも夢中になって撮影していましたね」と目を細めた。
 アポゼンタード(年金生活者)となり、2004年4月に同園に入居してから11年が経つ高山さんは、現在も写真を趣味として園内の催しなどを撮影し、同園の掲示板に張り出しているという。
 今回、憩の園での秋篠宮ご夫妻の撮影では、紺色の背広姿でお二人を出迎え、「孫からもらった」というフジフイルム製のコンパクトカメラを首からかけ、史料室出入口付近で2カットの撮影を行った。
 秋篠宮ご夫妻の印象について高山さんは「もう写真は撮らないと思っていたのですが、『ぜひ(ご夫妻の写真を)撮ってほしい』と言われて、ありがたかったです。殿下は飾り気がなくて本当に良いお方で、奥様(妃殿下)にも微笑みかけていただき、写真も撮ることができて本当に光栄です。今日(10月29日)撮った写真も掲示板に飾りますよ」と話し、感動した面持ちだった。(2015年12月号掲載)


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松本浩治 :  
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