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     ブラジルの日本移民  (最終更新日 : 2024/05/01)
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小野忠義さん (2024/03/04)
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 日本民謡協会ブラジル奥地支部(橋岡勉支部長)の前支部長で、サンパウロ州プレジデンテ・プルデンテ市在住の小野忠義(ただよし)さん(89、熊本)は2015年10月18日、東京の両国国技館で開催された平成27年度民謡民舞全国大会の舞台上で、公益財団法人・日本民謡協会から功労章を受章した。
 長年にわたってブラジルでの民謡普及発展に貢献してきた小野さんは、日本民謡ブラジル文化使節団団長などを務めた故・藤尾隆造(ふじお・りゅうぞう)氏との深い親交を経て、2001年に現在のブラジル奥地支部を創設。2014年まで13年にわたって支部長を務めてきた。
 3歳の時に家族と一緒に渡伯した小野さんは、サンパウロ州ノロエステ線のプロミッソンに入植。家族の手伝いとして9歳からカフェ栽培地で働き、「学校にはほとんど行ってませんよ」と当時を振り返る。プルデンテに移ったのは終戦間もなくのことで、そのころの唯一の楽しみは「浪花節を聴くこと」だったという。
 そうした中で、小野さんが民謡に興味を示したのは、1978年に藤尾氏が日本から引率した初めての民謡使節団の来伯。その記事を邦字新聞で読んだことがきっかけだった。
 その後、「プレジデンテ・プルデンテ民謡協会」を85年に正式に設立。当時25人で始めた協会は、発足2年後にはサンパウロ大会で優勝者を出すなど、着々と実力を付けていった。また、90年に日本郷土民謡協会の創立30周年式典参加のため訪日した小野さんは、「ブラジルの地方公演をぜひ実現させたい」と藤尾氏に陳情。意気に感じた藤尾氏は、「サンパウロだけでの公演ではブラジルにおける民謡普及につながらない」と、快く賛同した。
 しかし、同年11月に予定されていた民謡使節団の地方公演は、大統領選挙のずれこみなどが原因となって見送られ、結局、その8年後の98年にようやくプルデンテでの公演が実現した。当時、ブラジル日本移民90周年を記念して「第11回日本民謡ブラジル文化使節団」が来伯。藤尾氏が日本各地の民謡歌手17人を引率し、初めてプルデンテでの公演と交流活動が行われ、成功裡に終了した。
 2001年には、日伯の民謡交流を実践してきた藤尾氏の活動を引き継ぐ形で、プルデンテ市にブラジル奥地支部を発足。小野さんが初代支部長となり、13年間にわたって同地域の民謡普及と発展に尽力してきた。
 そうした長年の努力の甲斐あって、2015年11月29日にプルデンテで開催された第15回奥地方全伯民謡大会には約90人の歌手が出場。「優勝した人は日本の全国大会に出場できることから、年々活気づいている」(小野さん)という。
 2015年の日本民謡協会からの功労章授与はそうした小野さんの貢献を配慮したもの。小野さんは、2014年11月に開催された第14回奥地方全伯民謡大会優勝者の仲宗根稲子(なかそね・いねこ)さんとその娘、橋岡支部長夫妻と5人で15年10月14日から同20日まで訪日。同18日に東京の両国国技館で開催された平成27年度民謡民舞全国大会に出席し、その檜舞台の席上で功労章を受章した。
 少年時代から農業生産活動を行ってきた小野さんは現在もレモンや柿などを栽培し、ブラジル奥地支部長を後任の橋岡氏に引き継いだ今も民謡活動を続けている。
 15年の受章について小野さんは「本当にびっくりしているが、私が民謡に感動して続けてきたのは藤尾先生の情熱があったからこそ。功労章をいただけたのは藤尾先生の功労のお陰だと思っています」と謙虚に喜びを表していた。(2016年2月号掲載)


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松本浩治 :  
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