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     ブラジルの日本移民  (最終更新日 : 2024/05/01)
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小坂田泰直さん (2024/03/18)
2016年4月号小坂田泰直さん.JPG
 「仕事が趣味のようなものです」―。と笑いながら語るのは、パラー州ベレン市から北東に約15キロ離れたアナニンデウア市コッケイロ区の農場で専門の食虫植物をはじめ、ラン栽培などを行う小坂田泰直(おさかだ・やすなお)さん(65、岡山県出身)。若い頃から植物に興味を持ち、自生地を探しては各地を歩き回った経験を持つ。根っからの植物好きの活動は果てることがないようだ。
 岡山県で花作りを行っていた小坂田さんは、26歳の時に海外青年派遣団制度でブラジルを初訪問。その後、「悪友から『アマゾンに来ないか』と誘われ」(小坂田さん)、1980年に29歳で本格的に渡伯した。
 当初、ベレン市から80キロほど離れたサント・アントニオにある日本人農場で切り花や果樹などを作っていたが、1年半ほどした頃に縁談の話があり、独立した。
 結婚後はJICAから融資を受けて換金作物としてコウベマンテーガ、アルファッセ(レタス)などの野菜を生産した。しかし、収穫期に泥棒の被害に遭うことが多く嫌気がさした。「どうせなら、趣味の花を作りたい」とランや食虫植物栽培に切り替えたところ、「その方が、かえって売れた」という。
 小坂田さんは高校時代に水ゴケを採りに行った際に「モウセンゴケ」を見つけ、食虫植物に興味を抱くようになった。以来、ランや食虫植物の自生地を求めて、休日にはカメラをぶらさげて探し歩く生活が続いた。
 ブラジルに来てからも暇を見つけては友人とともに自生地を探し、約20年前には片道で丸二日かかるというパラー州の奥地サンフェニックス・シングーという場所でテントを張っての採集活動を行った。
 また、16年前にはアクレ州の山中で新種のランを見つけ、世界中に5本しかないランに自分の名前が付いた。その名も「カタセタム・オサカジアーナ」。自宅の農場で見せたもらったが、「自分の名前が付いた時は他人には言いにくく、何かくすぐったい気持ちでした」と小坂田さんの嬉しそうに微笑む表情が印象的だった。
 専門の食虫植物に関しては、世界中にある600種類のうち、小坂田さんの農場だけで「ウツボカズラ」「コリアンテス」「ジオネイア」「サラセニアン」など数十種類があり、ランも含めると数百種類の植物類が農場内にあるという。
 食虫植物を販売しだした当初は「お客さんから恐いと言われましたが、現在はよく売れるようになりました」と小坂田さん。現在、農場での栽培・販売以外に、毎週日曜日にはベレン市内目抜き通り横にあるレプブリカ公園でのフェイラ(青空市場)のほか、各種イベントなどにも出店しているという。
 2005年8月28日には、ベレン市内にあるゴエルジ博物館から感謝状が贈呈された。自生地や自身の農場で撮影したランなど各種植物類の写真や情報を提供したことが認められたものだ。
 小坂田さんは近年、自生地に行くよりも、ランを交配して新種を作ることに力を入れてきた。しかし、2009年頃から病気などの影響でランが減少。サンパウロなどの都市部からランが入ってくることもあり、商売的には以前より難しくなっているようだ。現在は「砂漠のバラ(ローザ・デゼルト)」と呼ばれる植物が人気で、ランと違って育てやすいこともあり、中心的に販売しているという。
 「野生のランなどは希少価値がありますが、今は昔と違って治安が悪くなり、車を好きな所に置いてランを探すということもできにくくなりました。また、IBAMA(環境庁)の目もありますが、最近は暇と体力が無くなってきました」と自生地に出向かなくなった理由を語る小坂田さん。「自分は金儲けが下手で、いつも家内に怒られていますが、今後も好きなことを続けていくでしょう」と屈託のない笑顔を見せていた。(2016年4月号掲載)


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松本浩治 :  
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