峰忠司さん (2025/07/04)
サンパウロ州北部のイツベラーバ市を拠点に、大ファゼンデイロ(農場主)として綿花栽培を行う峰忠司(みね・ただし)さん(58、佐賀県出身)。1957年、前田常佐衛門(まえだ・つねざえもん)氏(故人)の呼び寄せにより渡伯した峰さんの家族は15年間、前田農場で働いた後に独立した。ブラジルに渡ってきた当時、峰さんはまだ11歳の子供だったという。 その頃から途絶えることなく綿作りに従事してきた峰さんは現在、イツベラーバを中心とするサンパウロ州をはじめ、ミナス・ジェライス州、マット・グロッソ州合わせて4700ヘクタールの土地を所有している。しかし、その態度に奢(おご)りはなく、他の農業関係者からも積極的に情報を収集するなど、アグロビジネスに対しての熱い思いを見せる。 峰農場全体で扱う綿の量は、知人の栽培分も合わせて年間7000トン(2004年当時)。一包み200キロの原綿(げんめん)が3万5000個できる計算だ。 綿花から原綿にするまでの過程や大型機械による収穫について説明してくれた峰さんは、「ブラジルは貧乏な国だが、自分たちはアメリカよりももっと勉強している。アメリカはその年の収穫量が悪ければ政府が援助する。ブラジルはそれが無いために、常に自分たちの力でやっていかなければならない」と語気を強める。「日本では小学校も卒業していない」と笑う峰さんだが、話が専門の農業関係におよぶと、その目は急激に鋭くなる。訪問者の質問には、ポケットから電卓を取り出し、瞬時に具体的な数字をはじき出していく。 イツベラーバ市にある事務所から南へ10キロほど離れた同氏所有の原綿倉庫には、1台100万レアル相当の大型収穫機械が何台も並んでいる。最も大きい6連の「爪(つめ)」のある機械では1回で40~50トンの収穫能力を有するという。しかし、収穫の効率を良くするためには、畑の状態を良くしなければならないと強調する。 「国の違い、品種にもよるが、私の経験では(収穫する際の綿花の)背丈は、1・2~1・3メートルが一番いい」と峰さんは、長年の経験から得た知識をもとに、そう語る。 倉庫内には、ひときわ蛍光灯の明るい部屋がある。原綿の検査室だ。二重扉にしているのは、外光と部屋の明るさの違いで検査の狂いを無くすことが目的だという。 「(綿を)売る側にとっては、商品を少しでも良く見てもらいたい」 峰さんの細かい工夫と配慮が、大農場主としての地位を揺るぎないものにしているようだ。 原綿倉庫から約20キロ離れた場所に峰さんの農場「ファゼンダ・シングー」があり、土道(つちみち)の両側には1メートルほどの高さに伸びた綿花が一面に広がる。深い緑の葉の間から、黄色味がかった白い花がところどころ咲いているのが見え、しぼんだ花は赤色に変色してしまっている。綿の花の特徴だという。収穫は4月下旬から5月はじめに行われるが、その6割はすでに先売(さきう)り済みだそうだ。 農場での収穫作業など実際に行うのはブラジル人労働者たちだが、「例えば(収穫機械を操作する)運転手には、どういうつもりで収穫したいのかという、こちらの意見をきっちり出さなくてはならない。単に『ああやれ、こうやれ』と言うのではなく、現場の意見も聞く必要がある」と峰さんは、一日一日変化していく現場の大切さを重要視している。 農場内には日本庭園や人工池が造成されたゲストハウスがあり、上質の牛馬も飼育されており、その整備された光景には圧倒されるばかりだ。 しかし、峰さんは言う。「綿作りにおいて、まだまだ卒業はない」―。あくなき挑戦が日々、続いている。(2021年9月号掲載。2004年1月取材、年齢は当時のもの)
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