移民百年祭 Site map 移民史 翻訳
マツモトコージ苑
     南米日本移民の肖像  (最終更新日 : 2025/12/14)
浜田宏子さん [画像を表示]

浜田宏子さん (2025/12/14)
浜田宏子さん.JPG
 現在、サンパウロ市内を中心に観光ガイドの活動を行っている浜田宏子(はまだ・ひろこ)さん(64歳、広島県出身、旧姓・内田)。父親が日本企業の駐在員勤務をしていたことをきっかけにブラジルに渡り、一時期は日本に戻ったものの、広島県に留学していた日系ブラジル人と結婚したことで長年にわたってブラジルに住んでいる。
 3人姉弟(きょうだい)の次女である宏子さんは少女時代、姉と弟がおとなしい性格だった中、自身は「当時はどこか尖(とが)ったような反抗心があった」という。
 父親が三菱重工業の社員として各地を転勤し、ブラジルのミナス・ジェライス州バルジニアという工場地帯に駐在勤務となった。その際、まだ自身は17歳だったにも関わらず、高校を休学し、姉弟の中で1人だけブラジルに行く事を選んだ。
 当時、バルジニアには三菱重工業の駐在社員など22家族の日本人が暮らし、宏子さんは「辞書だけ持って」地元の学校に通ったという。当初、ポルトガル語はあまり分からないものの、数学は日本で勉強していたこともあり、同級生からは「言葉も分からないのに(数学を理解して)すごい」と驚かれた。
 ブラジルでの生活は楽しかったが、ある時、無免許で運転した車が大破するほどの単身事故を起こしてしまった。駐在員の父親から「日本に帰れ」と言われ、仕方なく帰国。しかし、ブラジルに興味を持っていた宏子さんはほどなくブラジルに舞い戻り、サンパウロ市の私立大学に入学した。その後、父親がブラジル勤務を終えて日本に帰り、「とにかく帰ってこい」と諭された宏子さんは渋々、日本に戻ることに。父親のツテで三菱重工業の広島製作所の事務員として働くことになった。
 ある時、日系牧師を夫に持つ母親の友人の紹介により、広島県内で行われたクリスマス・パーティーに出席したところ、広島大学に県費留学していた2歳年下の歯科医・浜田セルジオさん(3世)と知り合い、意気投合した。セルジオさんは翌年の1988年3月に留学を終えて先に帰国し、同年9月に宏子さんが1人でブラジルへ。2人は翌10月にサンパウロ市で結婚した。宏子さんが29歳の時だった。
 拠点をブラジルに移した宏子さんだが、結婚した当初の1カ月間は専業主婦としてアパートの白い壁に囲まれて自宅にこもっている生活に参ってしまった。「このままでは頭がおかしくなってしまう」と感じた宏子さんは知人の紹介により、家事とともにクーリエ(国際宅配便)の事務仕事も行うようになった。
 当時はまだ、インターネットが無い時代。ブラジルに駐在する日本企業社員向けに日本の大手新聞紙を発送したり、ブラジルから日本に各企業の書類や製品見本などを送る仕事を請け負った。特に日本企業相手のきめ細かい対応やクレーム処理など、日本語ができる宏子さんは重宝された。
 10年ほど続けたクーリエの仕事だったが、結婚して4年半後に一人息子が生まれ、幼い子供の側(そば)にいたかったことで辞めることに。その後、育児の合間に中古バイク店の経理など、他の仕事を行ったりもした。
 息子も成長して手がかからなくなった頃、友人である旅行会社の駐在員夫人から「観光ガイドになったらいいよ」と言われたこともあり、その気になった。2016年に開催されたリオ五輪に日本からの観光客を対象にした通訳のアルバイトを3カ月間行う機会があり、「ガイドの数が足りないことを実感した」という。
 改めて本格的にガイドの勉強を始めるため、サンパウロ市内のSENAC(全国商業学習機関)に約1年強通った。その間、サントス、タウバテ、チラデンテス(ミナス・ジェライス州)やレシフェなど地方での実地研修も行い、17年にSENACを卒業。ブラジル観光省が認可する正式なガイドの免許を取得することができた。
 現在、フリーランスのガイドとして各旅行社の紹介を受けて活動するほか、昨年(22年)10月からはサンパウロ市役所が実施している「Vai de Roteiro」という市内観光を毎週火曜日に行っている。同観光案内では、リベルダーデ区の東洋街やブラジル日本移民史料館なども1つのコースに含まれている。観光客はブラジル人以外にも、アメリカ、カナダ、オランダ、ボリビア、ペルー、ベネズエラなど海外からの訪問客もいるそうだ。
 2020年3月からのコロナ禍も影響し、年齢を重ねる中で「ダイエットをしたり、髪の毛を染めないようにしたり、自分の好きなことをやっていこう」との思いが、さらに強くなったと話す宏子さん。「まだまだ知らないこともたくさんあり、勉強することも必要ですが、ブラジルの歴史が面白くなってきた。ただ、自分は歴史の先生ではないので、人に教えるのではなく案内するのが私の役割」と語り、充実した日々を過ごしている。(2023年7月号掲載)


前のページへ / 上へ

松本浩治 :  
E-mail: Click here
© Copyright 2025 松本浩治. All rights reserved.