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マツモトコージ苑
     2006年  (最終更新日 : 2023/06/15)
ピラール・ド・スールの森岡農場 [全画像を表示]

ピラール・ド・スールの森岡農場 (2023/06/15)  第六回日系農協活性化セミナー最終日の行事として二〇〇六年一月二十七日、参加者一行約三十人がサンパウロ近郊の「果物の里」として知られるピラール・ド・スールを訪問し、同地で農業と畜産の複合経営を行う森岡農場を視察した。場主の森岡忠夫氏(高知県出身、七五歳)は昨年(2005年)、ブラジルの農業貢献者に贈られる「山本喜誉司賞」を受賞。土づくりに対する強い思い、時代に合わせた熱心な生産物研究と実践が評価された。現在は息子たちが中心となって農場経営を行い、その基本姿勢には父親の考え方が受け継がれている。

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森岡忠夫さん
 一月二十七日午前六時、サンパウロ市リベルダーデ区のホテル前を出発した一行に、文協の山本喜誉司選考委員会メンバーも加わった。ピラールまでは、大型バスで約二時間半の行程だ。サンパウロで降っていた雨も、現地に到着した際には、あがっていた。
 ピラール・ド・スール文化体育協会(古株一男会長)会館に到着した一行は、森岡家族をはじめ、APPC(サンパウロ州柿生産者協会、森岡明会長)ら地元組合関係者らの出迎えを受け、会館内で婦人部手作りの朝食をよばれる。
 専用バスに乗り換え、早速、森岡農場へ。「サン・カルロス」と名付けられた第二農場へと向う。同農場の面積は約六百ヘクタール。バタタ(ジャガイモ)、ミーリョ(トウモロコシ)などの穀物類を主に生産しているという。
 バタタは一月末から植付が始まるとして、蒔き付けの準備が進められていた。バタタは不耕起栽培により年に三、四回、生産。連作障害対策として、フェイジョン豆、ミーリョなどを組合わせて栽培しているという。
 農地の標高は約七百五十メートル。年間雨量は千二百ミリと決して多くはないが、直線距離で約百キロ離れている海岸山脈から流れ来る農地内の豊富な川の水を吸い上げ、場内のあちらこちらに人口の溜め池が造られているのが見える。
 農場内には自然の湖もあり、一時は貯水湖にしたというが、環境庁による取り締まりが厳しく、「法律で自由には使わせてもらえない」と忠夫さんは苦笑する。
 現在、「サン・カルロス農場」には約二メートルの高さまで伸びた青々としたミーリョが生い茂り、その間を直径約六百メートルのピボ・セントラル(自動灌漑設備)がゆっくりと稼動する。
 専用バスの隣に座った豊田一夫さん(栃木県出身、六八歳)は、アマゾン移民として一九五四年、十六歳で渡伯。約十年間をパラー州トメアスーで過ごした後、六四年に現在のピラールに移住してきたという。自身は主に柿やブドウなどの果樹生産を行っており、「森岡さんのように、複合的にこれだけの生産物を作っているところは他ではあまりない」と褒め称える。 
 柿についてはAPPC輸出部長の城島将男氏に話を聞く。説明によると、〇一年に設立された同協会の組合員は現在約六十人。地元ピラールだけでなく、モジ方面での生産者も加入しているという。種類は富有柿が主流で、今年からラマフォルテ種も試験的に栽培している。
 輸出用の柿(富有)はカナダ、イギリス、オランダ、スペイン、ドイツなどの欧米諸国に出荷されているが、昨年後半からの為替差損の影響が大きいという。
 〇三年から二年間、JICA派遣シニアボランティアの指導を受け、柿をはじめ、デコポンなど新たな果樹栽培にも取組んでおり、思考錯誤を繰り返しながらも「果物の里」としての誇りを持ち続けている。

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無駄のない堆肥づくりを実践
 一行は専用バスに乗り、「サン・ジョルジ」と呼ばれる第一農場(約五百八十ヘクタール)へと向う。
 同所は農場主の森岡忠夫さんが一九五九年に購入し、翌六〇年に移転してきたという、もっとも思い入れの深い場所だ。
 現在は次男の明さんが柿、ブドウ、アメイシャ(スモモ)などの果樹生産を中心に活動しているが、「入植当時は牧場になっていただけ。本当に何もなかったね」と忠夫さんは当時を振り返る。
 農場内には昨年(2005年)の十月に着工し、二月半ばには完成するというパッキングハウス(選別・箱詰め所)が建っている。森岡農場専用だが、参加者からは「これは農協の持ち物ですか」との質問も出ていた。幅二十五メートル、奥行き三十五メートルの場内には、保冷庫と自動選別機が設置されている。外壁工事はまだ未完成だが、内部はすでに機能し始めている。
 「普通はこれだけの設備を個人で持っていれば、組合などには協力はしないものですが、森岡さんたちはコムニダーデ(移住地)への協力も惜しまずにやってくれます」とAPPC(サンパウロ州柿生産者協会)輸出部長の城島氏も感心するほどだ。
 農場でさらに小回りの利く専用バスに乗り換え、一行は堆肥を作っている施設へ。堆肥は、複合経営をしている豚舎の糞尿を基に、同農場で生産されたポンカンなどの古木の皮や剪定(せんてい)した枝の繊維などを混ぜ合わせ、「無駄なく回転させている」(忠夫さん)という。
 この日、初めて農場を訪問したという森岡さんの友人で、堆肥・種などの販売業を行う西村武人氏は、「一流の堆肥づくりができている」と太鼓判を押す。
 西村氏によると、良い堆肥は温度が六十度に保たれ、一か月に一回、土を混ぜ返し醗酵させることが必要だという。森岡農場では、降雨を避け温度が下がらないように堆肥場に屋根が付けられ、段階的な混ぜ返し作業により、質の良い堆肥ができるようなシステムが出来あがっている。
 森岡農場で堆肥づくりが始められたのは八七年から。現在では年間約二千トンの堆肥が作られ、すべて農場内の果樹などの散布されている。土づくりに強い思いを持っている忠夫さんの気持ちが、引き継がれている。
 同様に堆肥づくりを自分の農場で行っているという南満(みなみ・みつる)さん(福岡県出身、六八歳)は、約十年間をサンパウロ近郊で過ごし、七〇年頃にピラールに移住。やはり柿を中心に生産し、現在は息子がAPPCの会員となり、中心的に活動しているという。
 「ピラールは、比較的後継者が多いので助かっています。意見の食い違いもたまにはあるけれど、まあ、ほとんどのことは任せています」と南さん。しかし、一方で「若い人は皆、一様によく働きますが、青年活動は寂しい限りですよ」とピラール文体協元会長でもあった南さんは、複雑な心境を見せる。
 一行は次に、果樹畑へと向う。
 専用バスの車窓からはデコポンの木が見える。二〇〇四年にJICAシニア専門家の指導により、「値段も良い」ということでポンカン栽培から切り替えたという。
 柿は全体で約三千本が植えられている。そのうちの九五%が富有柿。二年間の専門家指導により、収量は倍に増えたという。しかし、剪定、摘蕾、摘花、摘果など作業は以前にも増して多岐にわたり、労働力確保の問題などから「指導してもらったのは本当にありがたいと思うが、日本の技師の言うことを全面的に実行できない部分もある」と忠夫さんは本音を漏らす。
 パラグアイのラ・コルメナ・アスンセーナ農協副理事の高橋晃さん(二世、三七歳)によると、同地でも果樹、蔬菜(そさい)生産を行っているという。しかし、「パラグアイではまだ、有機系の農法実践まではまだ、いっていない。(有機肥料を)使うごとに様々な障害が出てくる」と現状を話す。場所は違っても同じ果樹を生産する者同士として、現場では熱心なやりとりが行われていた。

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柿栽培について説明する森岡明さん(右端)
 柿は農場全体で三千本のうち、約千二百本が高地部に植えられている。雹(ひょう)と鳥類などからの被害防止のために栽培地全体を網で覆っている。
 「(防護)網の必要性は分かっていても、他の農家では資金的な問題でなかなかできていない」と視察に同行した地元生産者の一人はつぶやく。
 ピラールは「果物の里」と言われるように、九月の桃に始まって、ネクタリーナ(油桃)、アメイシャ(スモモ)、洋ナシ、ブドウ、柿と六月頃まで各種生産物の収穫がほぼ途切れることがない。七月、八月は剪定や冬場の寒肥を蒔(ま)く時期に当てており、ようやく農閑期となる。
 森岡農場は今年、特に雹が多いらしく、昨年(二〇〇五年)九月にはその影響でレイシが大被害に。今回の農場視察の二日前にも雹が襲来したという。「年に一、二回は雹が降りますが、今年は一月だけですでに三回も雹が来ました」と明さんは防護網を見つめる。
 ブドウ畑ではイタリア種がたわわに実を付け、従業員による摘果作業が行われていた。糖度は十八度前後と高く、出荷を前にした準備が着々と進められる。
 父親の忠夫さんは「息子たちが頑張ってくれているので助かります」と陽に焼けた顔をほころばせた。
 視察を終えた一行は午後一時、ピラール文体協へと戻り、昼食。メニューには色彩感溢れるヤキソバや煮物をはじめ、変わったところではトコロテン、ピーナツ入り豆腐など婦人部手作りの逸品が並ぶ。
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たわわに実ったブドウを見る一行
 昼食後はピラール文体協の古株会長を皮切りに、主催者、山本喜誉司選考委員会関係者たちのあいさつが続いた。
 パラグアイのラ・パス農協から出席した藤井博理事は、「今回、初めて農協セミナーに参加させてもらい、皆さんと顔見知りになれたことが一番嬉しい。どこの農協も同じような課題を持っていることを知り、良い収穫を得たと思っている」とし、今後の南米各農協のさらなる結びつきの必要性を強調した。
 また、ミナスジェライス州モンテ・カルメロ農協理事の興梠(こおろぎ)大平氏(宮崎県出身、七〇歳)は「我々がやっているカフェ生産と比較した場合、剪定や摘果など時期的な問題やすごく神経を使うという意味で、本当に緻密(ちみつ)な頭脳を持っていないとできない仕事だと感じた」と複合経営を実践する森岡農場を大きく評価した。
 パラグアイ日系農協中央会の内山新一副会長も「あれだけの種類の畑をやりながら、土づくりにこだわっておられることに感心した。自分が見たことをパラグアイに持ち帰り、今後の参考にしたい」との感想を述べた。
 忠夫さんは、二人の息子が中心となって行う複合経営を「今はもう(農場について)口出しはしないが、現場に行くとやはり言いたくなるよね」と本音を漏らしながらも、次世代の行く先を温かく見守っていた。(おわり)


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松本浩治 :  
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