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マツモトコージ苑
     2006年  (最終更新日 : 2026/04/21)
カルナバル参戦記

カルナバル参戦記 (2026/04/21)  「高い金を出してリオのカルナバルを見に行くなら、いっそのこと出場してしまおう」―。今年(2006年)の二月二十八日のカルナバル時期に合わせて、高校時代のベン・アミーゴ(親友)が初めてブラジルに来ることになった。サンパウロの旅行会社を通じて、パコッチ(パック)となるカルナバル・ツアーの値段を聞いたところ、一人二、三千レアル前後もするという。知り合いなどを通じて、家族の者がいろいろと調べてみたが、値段はどこもあまり変わらない。そこで提案されたのが冒頭の言葉だった。今までサンパウロのカルナバルは取材で現場に行ったことはあるが、まさか自分自身が派手な衣装を着て出場することになろうとは…。

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 こちらの不安感をモノともせず、家族がドンドンと話を進め出した。話が実現化したのは、自然と文化の情報誌「ブンバ!」編集長で、リオのカルナバルだけで十二回、サンパウロを入れると二十回以上も出場しているというツワモノ・細川多美子氏の多大なる協力があったためだ。
 同氏は、二年後(2008年)の移民百周年に向けた日系サンバ計画の一環として、サンパウロにある「エスコーラ・デ・サンバめぐり」などを企画・実施していることもあり、サンバとカルナバルについて造詣が深い。
 こちらはブラジルに十数年住んでいながら、カルナバルの知識はほとんど無い。というより興味が無かったと言うほうが適当だろう。唯一の興味は、裸同然の姿で踊るサンビスタをブラジル人カメラマンに混じって至近距離から撮影し、苦手なカルナバル取材を克服してきたと言っても過言ではない。
 「まあ、アミーゴもわざわざ日本から来てくれることやし、最初で最後と思えば、どうにかなるやろ」と開き直ったのがカルナバルに臨んだ正直な気持ちだった。
 こちらの気持ちとは裏腹に毎年常連の細川団長は、すでに十六人もの出場者を集めていた。メンバーは、駐在員夫人、日本出先機関関係者、老人クラブ連合会関係者、学生、研修生、観光客など多種多彩。そこに我々家族と友人の素人衆が加わらせてもらった。
 一行がリオに向けて出発したのは二月二十六日の午前八時。細川団長がチャーターしてくれていたマイクロバスに便乗し、リベルダーデ区やパウリスタ通り周辺地域で参加者をピックアップしながら、ヅットラ街道をひた走る。
 我々が出場するのは有名チームの「マンゲイラ」。事前に手渡されていた日程表には、「マンゲイラの一員として責任を果たすために、ぜひともマジメな遊び心でお取り組みください。歌詞の暗記は最後の一秒まで努力してください」と明記されていた。そのことを実践すべく、細川団長がマンゲイラの〇六年のテーマ曲CD「サンフランシスコ川」を持参。車中で何回も繰り返し曲がかけられるが、ポルトガル語の苦手な我々は、ただ苦笑いを浮かべるしか手立てがなかった。
 午後四時頃、リオのフラメンゴ海岸にほど近いホテルに到着。すでに着いているはずの衣装がまだ届いていないという。
 細川団長からは衣装が届きしだい、「各自で事前に衣装合わせを必ず一度行って、自分の身体に合うように調整してください」と念を押されていた。
 ブラジルが初めてでわずかに六日間しか滞在できない友人を誘って記者は、世界的観光地リオの目玉とも言える「ポン・デ・アスーカル」へと案内。世界各地からの観光客でごった返す中、ロープウェイで頂上まで上る。この日の天気予報ではリオは雨と言われていたが、見事に外れて空は快晴。友人とセルベージャで乾杯しながら時を過ごし、コルコバード方面に沈む夕陽を見ながら、「いよいよ、明日はカルナバルか」と気合を入れたのだった。

(2)

 ホテルに戻ると、衣装が黒いゴミ袋に入れて届けられてあった。家族の者が午後六時頃に代理で受取ったそうで、早速試着してみたという。
 「何か、衣装が首に当って、動きづらいのよね」という言葉を聞きながら、自分たちも試着してみる。貴族のような白を基調とした上下の衣装に、ド派手な金色の星印の着いた飾り付き衣装を頭から被るようにして装着する。頭には白い羽付きの帽子をかぶり、手には楯のような旗を持つ。まるで、大阪府警機動隊演習のためのフル装備のようだ。
 実際に着てみると、確かに星型の飾り付けが首に当って動きにくい。手を上げるどころか、自分の鼻もホジれない。
 「何や、動きにくい衣装やな。このまま行進したら喉が切れるかもしらんけど、まあこういうモンやろ。そのうち身体が慣れるで」と言っていたのが、後で大間違いだと気付くことになろうとは。
 本番は、翌二十七日の午後十時五十分の出場予定。充分に時間があるので二十七日は各自自由行動。薄曇りの天候の中、グループに分かれてリオ市内観光などを行う。
 夕方、各自で軽い夕食を摂ったあと、会場へと向うため「完璧に」衣装を身に着けて午後八時にホテルのロビーに集合した。
 自分一人だと「まるで、チンドン屋やな」と気持ちが萎えてしまうが、同じ格好の人間が四、五人揃うと華やかさも広がる。同じホテルに泊まっているブラジル人観光客からも「リンダ(きれいね)」「ボア・ソルテ(幸運を)」などと声を掛けてくれるが、それがかえって気恥ずかしい。
 集まったメンバーだけで記念撮影などしていると数分遅れて、細川団長が登場。ふと見ると、我々の衣装の着方と違って、胸に付けるべき(?)星型のシンボルを後ろ前に着ている。そこにいたみんなして、「アレッ?団長、間違ってるよ」と声を揃える。細川団長はタジタジとなりながらも「そ、それ、衣装が反対だと思いますが・・」と一言。一同唖然として、しばし沈黙。気まずい空気が流れる中、「あー、やっぱり。そうだったんだ。何か着にくいと思ったんだ」と誰かが叫び、我々が間違えていたことにようやく気付いた。
 慌てて着替えなおしてみると、それまでと違って何と身体の動かしやすいことか。みんな、自分の間違いは大きくタナに上げて、大笑いして誤魔化したのだった。
 気分を入れ替え、「いざ、出陣」。細川団長の夫で文協副会長でもある小川彰夫氏の先導により、マイクロバスに乗って会場へと向う。
 時間はたっぷりとあるが、常連の細川団長の「カルナバル時期は何が起こるか分からない」との意見で、余裕を見て会場入り。リオ市内の幹線道路プレジデンテ・バルガス大通りにはすでに、何台もの大型バス、各チームの山車(だし)やそれぞれに着飾った出場者、見物客、物売り、野次馬などで溢れている。
 人ゴミに揉みくちゃにされながら、金網で囲まれた出場者専用入り口に到達した。前日は同時間帯に雷を伴う大雨が降っていたこともあり、雨が降らないだけでも良かったが、人々の熱気で身体中が熱くなるのが分かる。
 しだいに気分が盛り上がり始めた。

(3)

 我々が出場させてもらう「マンゲイラ」の出番は、リオのカルナバル二日目(最終日)の二番手となっている。すでに衣装を着込んだ人々が、プレジデンテ・バルガス大通りの一画を金網で区切った専用待合場で集まっているのが見える。
 待合場をさらに奥へ奥へと進むと、我々と同じ衣装を着ているブラジル人の一団を見つけた。当然同じ衣装なのだが、「アー、お前もか」と、気分的に何かホッとする。
 ホテル内ではクーラー(空調機)が効いていたためさほど感じなかったが、これらの重装備(?)を着て野外に出ると、暑さも倍増。会場内の温度は電光掲示板に「27℃」の表示が見え、一般的にはそれほど暑くないのだが、衣装を着ていることで早くも汗が全身から滴り落ちるのが分かる。慌てて衣装を着込んでいたが、あまりにも暑いので帽子だけを取り、リラックスする。
 電光掲示時計は、この時点でまだ午後八時半。我々の出番は予定では午後十時五十分で、二時間以上も余裕がある。現場にはトイレが少ない(見えた限りでは簡易トイレが一つで、男女関係なく長蛇の列ができる状態)ため、「出来るだけ事前に水分は取らないように」と注意を受けていた。そのため、昼間から体内水分量を控え、万全の態勢で臨んでいた。
 しかし、待合所の金網の外では、露天商が水やセルベージャ(ビール)などを販売しているのが見える。「行進が終ったら、何としてもセルベージャを飲もう」ということだけが、頭の中を支配する。
 午後十時五十分となり、本番間近と緊張感が高まりつつある。しかし、いつまで経っても前に動く気配がない。と、周りのブラジル人たちが一斉に衣装を脱ぎ始めた。後で判明したことだが、前のチームの何番目かの山車にトラブルが発生し、そのために時間が大幅に遅れたのだった。携帯電話持参のブラジル人たちは事の成り行きが分かったが、我々にはその時、何が起こっているの理解できずにボーゼンと立ち尽くしているのみだった。
 そして、待つことさらに四十分。午後十一時三十分にようやく、動く気配を見せた。歌詞をまともに覚えていない素人の我々は、新しいガムを口に入れ直し、歌っているようなフリをしながら曲のサビの部分だけを大声で歌う、という不届きな戦法を取る。
 マンゲイラの一チームだけで四千人以上もの人間が出場するというので、本番の会場(ピスタ)まで到達するだけでも二、三百メートルの距離を小走りに移動しなければならない。日頃の運動不足と暑さのために、それだけでドッと疲れる。
 本番の会場前では、アーラ(一群)を指示するブラジル人が縦横の列を乱さないようにと注意が飛ぶ。しかし、実際に列を乱すのはブラジル人の方で、少しでも目立ちTVカメラに収まろうと、クルクル回転しながら自分を主張する。
 こちらは出来る限り列を守り、無事に終らせようと必死で、会場の観客にアピールなどしている余裕がない。ふと、向って左側の急角度の観客席を見ると、マンゲイラの旗を持ち腰を振りながら踊っているブラジル人たちの姿が見える。
 「ブンバ!」九号(二〇〇〇年に発刊)の特集「ブラジル五百年とカーニバルの歩み」によると、リオ会場の直線距離は七百五十メートルだというが、実際に出場してみるとその距離の何と長いことか。行進中は楽しむというよりも「早く、終ってほしい」というのが素人の正直な気落ちだった。
 響き渡る歓声と人波に包まれながら、最終地点の蛍光色に照らされたモニュメントが見えた時には、「やっと終りや」と安堵した。
 参加者の一人、神志那隆(かみしな・たかし)さん(大阪府出身、四〇)は「素晴らしいの一言に尽きる。世界を代表する祭りに参加することができて光栄」と興奮気味に語っていた。
 行進終了直後、我々がキンキンに冷えたセルベージャを立て続けに飲んだのは言うまでもない。(おわり、2006年3月)


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松本浩治 :  
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