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マツモトコージ苑
     2009年  (最終更新日 : 2026/06/17)
世界植林フェスティバル

世界植林フェスティバル (2026/06/17)  「一人の百歩よりも、百人の一歩が大切」―。こう語るのは、ワンダフル・ワールド植林フェスティバルを企画した一人として、初めてブラジルを訪問した「てんつくマン」こと、軌保博光(のりやす・ひろみつ)さん(四一、兵庫県出身)だ。アマゾン地域、ミナス・ジェライス州コーヒー生産地帯、サンパウロの三か所で地元の人々を巻き込んで植林を行ない、日本から参加した二十歳代を中心にした若い人々の心を魅了した。ひょんなことから、アマゾン地域を除く植林ツアーに同行することになり、彼らと一緒に過ごした三日間の様子をまとめてみる。

(1)

 (2009年)六月初旬から一週間にわたる別のアマゾン地域での取材を終え、自宅で休養していた同十一日、一本の電話がパラナ州クリチーバからかかってきた。
 声の主は、ミナス・ジェライス州のマッシャード市で有機無農薬コーヒーを作る「ジャカランダ農場」のブラジル側スタッフで、自らもクリチーバ市で同農場やパラナ州小農支援活動として、各地域の有機無農薬コーヒーなどを販売する牛渡(うしわた)クラウジオ氏(四〇、二世)だった。
 話によると、ジャカランダ農場との「フェア・トレード(公正・対等な貿易)」を行なう(有)有機コーヒー社(福岡県)代表の中村隆市氏とともに、香川県小豆島でNGO活動を実践する「てんつくマン」一行約三十人が初来伯し、アマゾン地域をはじめ、ミナス・ジェライス州ジャカランダ農場、サンパウロ市でそれぞれ植林を行なうという。
 一行は、パラー州ベレン近郊カスタニヤールでの植林を終え、十三日の早朝にサンパウロに到着するとし、「ついては、ジャカランダ農場での植林活動の様子を取材しないか」との話に乗り、同行することになった。
 十三日午前五時半、クリチーバ市から夜行バスで着いたクラウジオ氏とサンパウロのグアルーリョス空港で合流。ベレンから到着した一行を待ち受け、十年来の知り合いである中村氏と半年ぶりに顔を合わせた。
 熱帯のベレンから来て薄着のメンバーも少なくなく、サンパウロの冬の寒さに震え上がっていた。新型インフルエンザの影響か、マスクを付けている人も何人かおり、実際に風邪を引いているメンバーもいた。
 挨拶もそこそこに午前七時前、空港から専用バスに乗り込み、ミナス・ジェライス州マッシャード市までの約二百四十㎞の道のりを四時間ほどかけて向うことに。
 途中のトイレ休憩の際に、中村氏から改めて「てんつくマン」を紹介され、バスの中で今回の植林活動の主旨などを取材させてもらう。
 それによると、「てんつくマン」は、地元の高校を卒業後、吉本興業でお笑い芸人として活動していたが、「ドキュメンタリー映画を作りたい」と芸人を辞め、その資金づくりのために東京都の原宿の路上などで自筆のメッセージを売って歩いたという。
 その際、「世の中には本当に悩んでいる人がたくさん居る」と感じ、「人間はもっとスゴイもので、天国は自分たちでつくるもの=『てんつくマン』」との思いが、膨らんだ。
 二十三歳の時に司馬遼太郎の「竜馬がゆく」を読み、「世の中を変えたい。命を懸けて何かをすることに生き甲斐を感じるようになった」と「てんつくマン」。現在、日本を中心に自筆メッセージ(路上詩人)の個展や講演活動を行なうほか、香川県小豆島で米、野菜、豆腐用大豆などを栽培し、思いを同じくするメンバーたちとともに自給自足の生活を送っている。
 また、それ以外に、「一人一人の力は小さいかもしれないが、決して無力ではない」ことを実践するため、一円玉募金を行なって植林用の苗木を購入。「一円玉で世界を緑だらけにしよう」との主旨で「ワンダフル・ワールド植林フェスティバル」キャンペーンを張り、日本をはじめ、今年(2009年)四月には中国で植林を実施。ブラジルでの植林後、八月末には南アフリカでの植林ツアーも募集しており、すでに百二十人におよぶ参加申し込みがあるという。

(2)

 バスの中で「てんつくマン」の話が続く。
 「この数年間、ボランティア活動をして分ったのは、今の日本では熱い思いを持ちすぎるとダメで、単に良いことをやるのもダメだということ。『皆で楽しいことをやろう。一緒に遊びながら世界を変えよう』という考え方でないと、若い人はついてこない」
 その考え方の一つが、仮装による植林。中国でも実施したそうだが、今回のブラジルでも参加したメンバーたちは、アニメや漫画などの着ぐるみ、セーラー服、股旅、ハッピ姿など思い思いの格好をして、それぞれが楽しみながら樹の苗を植えた。
 「植林という日本のエネルギーを高めて、世界に伝えたい。世界の中で、和を持って間に入り、着地点を見つけるのが日本の役割。大切なのは、我を捨てて平和を作り、未来につなげること。人々との出会いによって、人生は劇的に変わりますね」と「てんつくマン」は、これまでの経験の中で得たものを自らの行動を通じて、人々に投げかける。
 その思いに共感する若者たちが全国から集まり、今回のブラジル植林ツアーには添乗員二人を含めた二十八人が参加した。
 メンバーの一人、京都府在住の学生・倉崎憲さん(二一)は、昨年十一月に京都で行なわれた「てんつくマン」の講演会に参加。「面白い人やな」と思い、今回の植林ツアーにも応募。経済的に苦しい若者に対してツアー料金をサポートするシステムがあり、「そのうちの一人に運良く自分が選ばれた」(倉崎さん)という。
 そうこうしているうちに、バスは午前十一時十五分にミナス・ジェライス州マッシャード市に到着。一行はホテルにチェックインした後、ジャカランダ農場を管理しているルーベンス・フランコ氏の案内で農場へと向う。
 この日は土曜日だったが、ちょうど、中村氏がフェア・トレードの取引をしている有機無農薬コーヒーのコンテナ積み作業が行なわれているというので、途中、マッシャード市内にあるコーヒー精選工場「DINAMO社」へと立ち寄る。
 ルーベンス氏の指示で、すでに積荷作業を終えたコンテナをわざわざ開けてもらい、中身を見せてもらった。コンテナは二十トン積みで、六十㎏入りの麻袋が天井高くまで、びっしりと詰められていた。コーヒーは、三十五日かけて福岡県の有機コーヒー社に届けられるという。
 ルーベンスさんは、「私たちジャカランダ農場にとって、日本の皆様が来てくれて農場見学とともに植林までしていただくことは、本当に嬉しいことです」と歓迎の意を示していた。
 ルーベンスさんと工場長のアドリアーノ氏の粋なはからいで、この日が半ドンの土曜日であるにも関わらず、精選工場内を特別に見学させてもらう。
 説明によると、同工場は一九八〇年からコーヒーの精選作業を行ない、現在、昨年(2008年)の六月から十一月頃までに収穫した二十四万俵のコーヒーを預かっているという。輸出は、各輸出会社に任せているが、主に欧米諸国や日本を中心としたアジア方面に送り、最近ではドイツと米国への輸出が特に伸びている。
 今年、来年、再来年と収穫量が多く見込まれ、値段が伸びないというのが関係者の話だ。
 工場内には、大型の精選機械が立ち並び、豆の大きさにより自動選別する機器が置かれていた。
 中村氏の話では、豆が小さいと焙煎(ばいせん)作業がやりにくく、日本側では特に豆の大きさにこだわるという。中村氏が販売している有機コーヒーは、ジャカランダ農場とのフェア・トレードにより、豆の大きさに関係なく日本に輸出している。
 「特にオーガニック(有機)コーヒーは、フェア・トレードをしていないと農場側の採算が取れない」と中村氏。二〇〇三年に亡くなったルーベンスさんの父親・カルロスさんの時代から築き上げたジャカランダ農場との信頼関係を常に大切にしている。
 有機コーヒーの取り扱いは、全体から見れば極く僅(わず)かで「扱いも簡単ではない」というが、アドリアーノ氏は「自分たちは今後も、有機コーヒーの取り扱いを続けていきたい」と、熱い思いを語っていた。

(3)

 アドリアーノ工場長に感謝と別れを告げ、一行は目的地であるジャカランダ農場へと向う。
 舗装道から泥道へと変わり、前日の雨でぬかるんでいる場所もあるが、専用バスのブラジル人運転手は、腕の見せ所とばかりに標高千二百メートルもある山岳地帯の細い道に大型車を進めていく。
 午後三時、ようやく農場のフランコ家の別荘に到着。故・カルロス・フランコ前農場主の未亡人であるフランシスカさんをはじめ、農場関係者が食事の準備をして待っていてくれた。
 それに加え、ギターとアコーディオンで歓迎の音楽を奏でてくれる。スーパーマンよろしく、赤いマント姿の「てんつくマン」たちが、音楽に合わせて踊り出す。何ともユニークな光景に、素朴な地元の人々も笑顔を見せる。
 別荘前の広場には、屋外用の机と椅子が置かれ、冬の太陽が照り付ける中、一行は遅い昼食を呼ばれることに。山奥であるこの場所で、三十人を超えるメンバーたちに、特別に雇ったと思われるガルソン(給仕)たちが代わるがわる野菜、米や鶏肉などの料理を運んでくれる。農場側の、一行に対する厚い配慮がうかがえた。
 この機会を利用して、同じテーブルに座り合わせた若いメンバーたちに参加の動機などを聞いてみる。
 昨年まで学生だったという神山菜穂子さん(二四、埼玉県出身)は、不動産関係会社に就職したが、「自分の思う町づくりをしたかった」と方向を転換。現在は古い建物をどうやって生かすかを目指しているという。植林にも興味があったことから同ツアーに応募した。
 四月の中国での植林にも参加した間島由紀子さん(二六、富山県出身)は、今年三月まで児童擁護施設で働き、そのうちの二人は日系ブラジル人の子弟だったという。「児童施設では、こちらの方が子供たちに教わることも多かったです。中国で植林を行ない、自分の人生で初めて楽しい旅を経験し、今回のブラジルの植林にもぜひ参加したいと思っていました」と笑顔を見せる。
 今年一月から「てんつくマン」のスタッフとなり、中国の植林メンバーにも加わった大西伸哉さん(二五、三重県出身)。「以前はマイナス志向で、何不自由ないのに、自分を責めたりしていた」という。現在はスタッフとしてメンバーを盛り上げ、二十人ほどの仲間とともに小豆島での自給自足の生活を行なっているとし、明るい性格からは以前の姿は想像もつかない。
 「『生きたくない』と思っていた人が、これらのツアーに参加して『生きてて良かった』と思えるようになった人もいます。皆でアイデアを出し合い、昔の自分のような人を救えるような活動を行ないたい」と大西さんは、目を輝かせた。
 食事の後、別荘の裏庭でフランコ家族と記念の植樹を行ない、三色の花を咲かせる「マナカ」の苗木を植えた。
 さらに、本格的に植樹活動を行なうため、一行は労働者用のトラックに乗り込み、さらに標高の高いコーヒー生産地へと向った。
 太陽が傾くと急激に寒さが身に沁みるてくる中、有機コーヒーとともにバナナやカボチャなど様々な種類の樹木を混植している場所で、メンバーたちはそれぞれに植樹を実施。別荘に戻る頃には、すっかり辺りは闇に包まれていた。
 空を見上げると、まさに「降ってきそうな」ほどの星が輝き、都会に居ては滅多に見ることができない「流れ星」が山の奥へと消えていった。

(4)

 一行はハードスケジュールにも関わらず、翌十四日午前七時にマッシャード市のホテルを出発。朝もやの中で再び、ジャカランダ農場を目指す。
 さすがに連日の大型バスでの山入りは難しいため、農場側の配慮で舗装道路から土道に入る箇所で、昨日も利用した労働者用のトラックに乗り換える。
 トラックの中では、疲れで黙りがちになるのを、「てんつくマン」自ら冗談を連発して、周りを盛り上げる。
 午前八時半、農場に到着。一行は各自苗木を持ちながら、コーヒー農園付近に早速、苗木を植樹していく。天気は快晴だが、草を分け入ると夜露の水滴が靴を濡らす。メンバーは長靴を持参しており、準備が良い。
 ひと通り植樹をしたところで、農園近くの元・学校だったという場所でマッシャード市のアルタイール・マルチンス農務局長、カミーロ・ロドリゲス環境局長、エバニール・フランコ市議らも出席して、改めて記念植樹が行なわれた。
 学校だった施設は、前農場主のカルロスさんが村人のために土地を提供した場所で、現在は会議室として使用。その隣の施設は週一回、町から医者と歯科医が来て診療室になっているという。
 建物の反対側に漢方薬をはじめ、マナカの苗木などをメンバーたちも一緒になって植えた。
 村の若い女性たちが、メンバーのために歌を披露してくれる。メンバーも「幸せなら手を叩こう」を身振りを交えて合唱。互いに言葉は分らないようだが、自然と笑顔が溢れる。
 カルロス夫人のフランシスカさんが「良いことを求めると、必ず良いことが返ってくる」と挨拶し、記念植樹を終えた。
 一行にはまだ大切な仕事が残っている。それは、コーヒーの収穫作業を体験することだった。
 改めて、コーヒー農場に向い、収穫用のシートを樹の下に敷き、たわわに実っている赤や黄色の実を手で引っ張るようにして取り、シートの上に落としていく。
 シートに集めたコーヒーの実を葉や小枝などと分けるため、ペネイラ(篩=ふるい)を使って空中に放り投げながら、仕分けを行なう。この作業が素人には難しい。村人に馴れた手つきで教えてもらい、「てんつくマン」たちも挑戦してみるが、なかなか思うようにいかない。
 収穫作業を終えて、メンバーたちは村人たちと一緒に記念撮影を行なった。この写真は、今回の植林フェスティバルを記念したコーヒー・パッケージの表面を飾ることになるという。記念コーヒーは、ジャカランダ農場をはじめ、中村氏がメキシコ、エクアドルでそれぞれにフェア・トレードを行なっている有機コーヒーをブレンドしたものだ。
 収穫作業後、サンパウロに戻るには、まだ少しの時間がある。メンバーたちは、農場にあるサッカー場へと向い、ジャカランダ農場の村人たちも参加。俄(にわ)か日伯親善試合を行なうこととなった。
 予想に反して、点を取り合う白熱した試合が展開され、最後は「てんつくマン」が勝ち越しゴールを決め、3対2で「てんつくマン」一行が勝利。日本から持参したサッカー・ボールをメンバーの一人が記念として村人に手渡した。
 村人に別れを告げ、サンパウロに出発する時間が迫ってきた。
 中村氏は、十六年前(1993年)に初めてジャカランダ農場を訪問し、今は亡きカルロスさんと一緒に植樹した際に、贈られた言葉を皆の前で披露した。
 「これであなたも、この農場に根を下ろしました。私の世代だけでなく、次の世代とも末永くお付き合いしてください」と。
 中村氏はさらに「今回、皆さんと一緒に過ごして、私の隣にはずっとカルロスさんが歩いていました。そして本当に嬉しそうに次世代ともつながったことを喜んでくれました。これからも、このような場を作って訪問してみたいと思います」と言葉を続け、参加したメンバーと受入れを行なった農場のスタッフに感謝の意を示した。
 一行は、農場の人々との別れを惜しみながらサンパウロへと向った。

(5)

 予定通り、午前十一時過ぎに農場を出発したが、サンパウロに近づくにつれて車の渋滞が激しくなる。この週末が、六月十一日の聖体祭の祝日を含めて、一般には四連休であったことを思い出した。予定では午後四時にサンパウロに到着するはずが、大幅に遅れて午後五時半近くに着いた。
 一時間遅れの午後六時からはサンパウロ市リベルダーデ区にある宮城県人会館で、翌十五日に行なわれたブラジル・ニッポン移住者協会(小山昭朗会長)関係者との植樹を前にした交流会が開催。一行は、ホテルで着替えた後、県人会館へ。
 会場となった会館屋上では、寒さにもかかわらず、移住者協会関係者らがフェスタ・ジュニーナ(六月祭)の格好で一行を歓迎。記念の麦わら帽子を一人一人に被せ、頬を赤く染める六月祭の化粧をメンバーたちに施した。
 それぞれに自己紹介を行なったメンバーたちは、移住者協会関係者たちとも打ち解け、音楽に合わせて一緒に踊るなど場を盛り上げた。
 交流会も終りに近付いたところで、「てんつくマン」のメンバーたちが障子紙、墨と筆を用意した。
 感傷的なメロディが流れる中、気を統一すべく合掌していた「てんつくマン」が床に置かれた障子紙に、即興で今回の旅で感じたメッセージを書いていく。
 「シューシュー」と口で呼吸を整えながらも、即興とは思えないほどの長い文面だ。書き上げたものは十メートルほどにも及んだ。
 「てんつくマン」が書き上げた内容を読み上げる。
 「ありがとう、ありがとう。伝えてくれてありがとう。あきらめないで続ければ、どんなことも必ず形になることを。(中略)その光、希望は必ず未来へとつながる」
 若いメンバーたちの中にはメッセージが書かれた障子紙を持ちながら、涙を流している人もいる。そこに居合わせた人々も不思議な感動に包まれながら、交流会を終了した。
 翌十五日は午前九時にサンパウロ州立エコロジー公園に集まり、一行は移住者協会関係者や地元の三つの学校生徒たちとともに楽しみながら植樹作業を行なった。
 後で聞いたところでは、前夜の交流会の後にメンバー同士の感想発表会が行なわれ、一部の人たちは環境問題について明け方の五時頃まで熱い討論を交していたという。
 今回、参加したメンバーは二十代の若い人たちが大半を占めたが、より良い町づくりを目指したり、環境問題について真剣に考えている人も少なくなかった。
 また、今は自分の考えがなくても、同ツアーに参加したことで自信がついたというメンバーもいた。
 最年少参加で、将来はシンガーソングライターになりたいという大濱悠介さん(一六、高知県出身)は、「今まで、いかに自分の考えが無いかを感じました。最初は知らない人ばかりで不安でしたが、今はメンバーと離れたくないですね」と充実した表情を見せていた。
 モジ・ダス・クルーゼス市生まれの日系二世ながら、八歳で愛知県名古屋市に移り住み、日本人と結婚したという小崎エリカ真由美さん(二七)。現在、名古屋で有機生産物関係の仕事に就いており、「中村さんがフェアトレードを行なっているジャカランダ農場に興味があり、ぜひ来てみたかった」と話す。
 各地でハッピ姿で阿波踊りを披露するなど、人一倍、場を盛り上げていた小谷拓磨さん(二七、徳島県出身)は、地元の病院で高齢者のリハビリの仕事を行なっているという。
 「朝に散歩をするのが好きで、歩いているとゴミが目に付き、一年ほど前からゴミを拾い始めました。そうした頃に『てんつくマン』のことを知り、植林をしてみたいとこのツアーに参加しました」(小谷さん)
 「一人の百歩よりも、百人の一歩が大切」―。
 「てんつくマン」の思いを受け、それを引き継いでいく若い人たち。一人一人の力は小さくても、地道に続けていくことの大切さを参加者から与えてもらったと感じた三日間だった。(おわり)


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