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日系社会の天皇観②

日系社会の天皇観② (1997/04/24) 赤間みちへさん

 赤間みちへさん(九三)は、三三年に、洋裁学校及び日本語学校として、生徒数五人から赤間学院を設立。その後、初の日系子女教育機関としてコロニアで注目を浴び、赤間さんの努力もあって、「嫁を貰うなら赤間学院の卒業生を」と言われるまでになった。サンパウロ総領事館の現地女性職員はすべて赤間学院の卒業生だったという時期もあった。五八年に財団法人赤間学院を創立、さらに「セントロ・エドカシオナル・ピオネイロ校」の名称のもとにブラジル学校を設立。現在は八百人の生徒(九三%日系子弟)が学んでいる。
 赤間理事長の近況は、「病気で動けないと思っている人もいるかもしれないが、人に迷惑をかけるので、できるだけ表にでないようにしているだけ」と謙遜している。赤間さんは、車で移動すれば、どこにでも行けるほど元気。リベルダーデで買い物などもしているという。学園の敷地内で子供達に囲まれながら、余生をおくっており、趣味の読書や書き物などを楽しんで、一日中、文学や歴史、カトリック系の本を読んでいる。
 天皇陛下のご来伯について、赤間さんは「一世の人達はこの日を待ち望んでいて、どんなに喜ぶことか。二世・三世の人も浅い深いはあっても皇室に対する気持ちは一世と同じでは」。また陛下の印象は、ビデオで時々陛下の姿を拝見しているが、人も価値観も時代と共に変わっていき、そんな中で陛下は国際的にもいろいろと活躍なさっており感心していると話す。陛下が来伯なさるのが三度目ということに関して、「ブラジルの日系人は、人が良くて心がおおらか。天皇陛下を大歓迎し心からもてなすため、陛下も懐かしくなり、また来たいと思われたのでしょう」。
 七三年、日本政府より赤間さんが勳五等瑞宝章を受けたとき、宮中に参内して昭和天皇に謁見している。このときの様子を、赤間さん著の『語り草』に次ぎのように記している「『しばらくお待ちください』という係りの方からのお言葉があったので、私共は胸をとどろかしつつ、今か、今かと天皇のお見えになられる時をお待ち申し上げていた。しばらくして、おつきのお方と共に、戸が開かれ、スーッとお入りになられた。黒の背広姿の天皇!白髪のおつむに眼鏡をかけられた天皇。まっすぐに金屏風の前の壇にお立ちになった。私共はハァ・・・としてこうべをたれた。・・・御真影室の戸びらが開き、『最敬礼!』とおごそかな教頭の命令で頭を下げた、あの頃、この頃を思い出して、夢ではないか、と現実の天皇をあかずに見上げていた」。
 『あの頃』、『この頃』とは、やはり「戦後、陛下が移民を救いに来る」と言われた時代、戦前の赤間さんが受けた教育、などを思い浮かべたに違いない。さらに推測すれば、陛下の自然に湧き出る威厳、敬う気持ち、それこそが本当の皇室のありかただとと感じているのでは。(つづく・紺谷充彦記者)


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