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日系社会の天皇観⑤

日系社会の天皇観⑤ (1997/05/02) 郷原重登さん

 郷原ます恵さん(九五)は、明治天皇のご身像、大正天皇・昭和天皇のご真影を、毎日拝んでいる。「天皇は神様だと考えています」「陛下の心は神のように広いため、神様が天皇に乗り移られている」と手を合わせながら話す。陛下のご来伯についても、ます恵さんは「日本人として、こんなにありがたいことはない」と何度も合掌する。
 ます恵さんは、夫の重登さん(故人)とともに三二年、日伯実科女学校を創立。日本語科、師範科、手芸、料理などの日本的な教育と共に、厳しく日本的な精神まで教え、赤間学院と並び伝統と充実した内容でコロニアに知られていた。しかし時代は流れていく。八十年には女学校が閉鎖され、現在は『むつみ幼稚園』に受け継がれ、約百五十人の園児が通っている。
 「教育を信仰にまで昇華させている」。同校について詳しいある人はそういった評価をしている。八十年に亡くなった重登さんは信念の人。前校長であった重登さんの生き方が、同校や妻のます恵さんに大きく影響している。戦時中、警察に呼ばれ「日本語を教えるのは止めろ」と言われたにもかかわらず「たとえ日本語であろうと、良いブラジル人を作るためならば、止めることはできない」と返答し、刑務所に入れられたというエピソードもあるほど一途な性格。五二年に訪日し日本の状況を見るまで、重登さんは日本の勝利を信じていた。帰伯した時は、さすがにがっかりした様子だったという。それでも「日本は川の流れのよう、水面は濁っているかもしれないが、水の中は澄んでいる。水中には天皇崇拝の精神が生きている」と語っていたという。
 また教育においても『言魂』(ことだま)という言葉を使用していた。人の魂は言葉そのものに宿っている。だからこそ日本の精神である日本語を疎かにしてはいけないと言うのだ。郷原さんは、学校内でのブラジル語の使用は認めていなかった。特に日本語の会話の中にブラジル語を混ぜることは毛嫌いしていた。
 現在、むつみ幼稚園の園長である長男の満さん(五五)は「確かに教育勅語は暗記させられた。しかし、今は特に関心はない。天皇のご来伯も邦字新聞を読んでいなければ知らないのでは。ブラジル紙に出ていないので、友達の二世で知っている人は殆どいない」。また、娘のとみ子さん(六四)は「ある期間には反発もあったが、父の教育は良かった。年をとった今では感謝している」と話している。ます恵さんは「私は主人に奉仕するために生きている」と重登さんの写真を前にして手を合わせていた。
 九五歳のます恵さんは詩吟の会に参加しており、記憶力の凄さで会の人たちを驚かしている。「何節もある詩をすぐに覚えてしまう。こちらは一節さえもなかなか記憶できないのに」と驚嘆している。ます恵さんによれば「詩の中にそのまま入り込めば自然に覚えられる」というが、凡人にはなかなか難しそうだ。(紺谷充彦記者・つづく)


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