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日系社会の天皇観⑥

日系社会の天皇観⑥ (1997/05/05) 天皇のご来伯まで、あと一カ月


 天皇のご来伯まで、あと一カ月。サンパウロ歓迎委員会側では、参加人数が足りなく悲鳴を挙げている。イビラプエーラ体育館での歓迎式典に参加する人数は、四月十九日の締め切りを過ぎても予定していた定員(一万千人)の半分も集まっていなかったため締め切りを延期している。一方、クリチーバでの式典はバリグイ公園で行われ、定員は一万千人。北パラナを初め地方から百二十台以上のバスで、多くの人が式典に参加する。
 サンパウロで天皇陛下歓迎の盛り上がりに欠けている原因として、一世の減少、都市部ではブラジル社会への同化が速かったなどの理由が挙げられるだろう。しかし、それだけではないはず。「歓迎委員会側が、開かれた天皇観をもって新しいイベントを行わないから。いつまでも一世だけに拘って、若い人にアピールしなかったのでは」といった批判もある。
 意識の変遷という角度から考えてみたとき、天皇は大和民族の長として、常に国民と伴にあった。それが、戦中に皇室に対する意識が歪められた。特にブラジルの場合、「勝組」「負組」という形で混乱を起こし、現在でも一世の心の奥底に特別な意識が沈殿している。そうした結果、二世は親の感情と共に天皇観を継承したのかもしれない。戦後移民の多いパラナでは、当時の感情は移入されていないのでは。
 若い二世・三世の人も天皇についての受けとめ方はさまざま。それこそ「天皇って何?」という人から「教育勅語や東方遥拝について知っている」「尊敬すべきだ」「日本の女性週刊誌などによく出てくる」という人もいる。ただ、戦前のような狂信的な人は見かけない。今回のご来伯にあたっても「土・日曜日なら出かけられた」「邦字新聞は読めないし、ブラジル紙に出ていないので解らなかった」「テレビ中継があるから、わざわざ行く必要がない」などと消極的。記者が話を聞いた十数人の中、はっきりと式典に参加するといった人は二人だけ。ほとんどの人は、健康上の都合や仕事で行けないとのこと。
 「サントスの戦後はまだ続いている」と強調するサントスの上さん、『海ゆかば』を高原で歌う馬場さん、陛下のご真影を必死に拝み続ける郷原さん、それぞれの姿が印象に残っている。(紺谷充彦記者・終わり)


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