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コロニアおばあちゃんの知恵4

コロニアおばあちゃんの知恵4 (2002/01/08) 続・漬物の話

 コロニア夫人のバイブルと呼ばれる「ハツエさんの本」によれば、漬物について「当国では風土や気候などの関係で、品質上からも香味良好な物が得られ難い。また、手塩をかけて作っても長く貯蔵できないうえ、酸敗、腐敗が甚だしい」と説明しているが、野菜を食する習慣を持っていた日本人は、移住初期から漬物にはこだわったようだ。
 まず、コロニアで代表的なのが、「花梅」であろう。正式名はビナグレイラ、別名カルルー・アゼードというが、日本人は「ウーメ」または「花梅」と呼ぶ。ふよう科の植物で綿に良く似ており、この実のガクのところが真っ赤になり、酸味も強いため、塩漬にして、梅干の代用品としていた。もちろん、現在でも食されており、日系レストランなどでも出される。
 ブラジル俳句では秋の季語にもなっており、日系人の中では随分浸透していたことを示している。さらに、アマゾンにも同様の梅干代用品が存在し、未確認だが「木の実でウーメを作った」という話も聞いた。
 それに、シュシュ(はやとうり)もコロニア漬物の代表選手であろう。二つに割って二・三日、日に干してからしなびたものを糠味噌に漬けたり、塩漬け、糠漬け、かす漬けなどにも利用されている。シュシュの原産は中米で、十八世紀にブラジルに普及したというから、移住初期から漬物として利用されていたに違いない。
 また、マモン(パパイヤ)やスイカも漬物にしていた。地方の移住地などでは、「日本人は何でも食べ、青いマモンまで取ってしまう」と揶揄されたこともあったという。スイカは「サンパウロ州には、北米の南北戦争(1861~65年)の際にブラジルに来た農業者が広めた」(ブラジルの野菜・橋本梧郎著)とあるので、移民当初もブラジルに普及していたのだろう。

【糠漬けの匂い】
 先日、糠漬けを貰ったので、持って帰った。ブラジル人は、「糠漬けの匂いを異常なまでに嫌う」と聞いていたため、厳重に新聞紙で包んだのだが、やはりメトロ(地下鉄)の中で、「何か臭い」と周りのささやき声が聞こえてきた。
 ここで、コソコソすれば、よけいに怪しまれると思って、良心の呵責に耐えながら堂々としていた。
 新聞紙に包んでビニール袋に入れ、自分では大丈夫と感じていたが、ブラジル人の糠漬けに対する嗅覚は想像以上だった。
 ところで、うちの山ノ神の糠漬け(連載第三回参照)だが、「冷蔵庫に入れておけば大丈夫。毎日かき回さなくても。三日に一度ぐらいで」から始まり、「表面に、糠が見えないほど塩をかけておけば」、「ちゃんとフタをして空気に触れないようにすれば、乳酸菌以外の菌が繁殖しないから長期保存は可能よ」となり、仕舞には「だって、手が糠臭くなるんだもの、特にブラジル人はこの匂いを嫌うでしょう」とのこと。
 結局、うちの糠漬けは一度も食卓に現れることはなく、糠床はいつの間にか無くなっていた。(つづく・紺谷充彦)


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