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活躍する新日系農協5

活躍する新日系農協5 (2002/03/01) 天の時、地の利を得て
―南ミナス州農業共同組合―


 サンパウロ市から二百六十キロのミナス州ポーザ・アレグレ市、ツルボランジア郡にある南ミナス農業協同組合は、日系組合員二十二家族と小規模ながら効率的・集約的な生産活動を行い、何と年間百五十万トンの柿を出荷している。
 同組合は、コチアの計画植民地として七八年に設立され、トマト生産地とし知られていた。八十年代中頃の長雨や雹で、トマト生産は壊滅状態に追い込まれ、代わりに柿やスモモなどの生産に切り替えられた。コチア解散直後に、同組合員らによって購入され、単協として独立している。
 現在、四万二千五百本の柿を中心にスモモ類一万二千本、アテモヤ九千五百本などの果樹の他、トマトやニンニクなども栽培。ブラジル人が好む柿(ラマ・ホルテ種、渋みを抜き完熟させる)を、昨年組合で購入した国産の選果機(柿の等級を選別する機械)で共同選果を行っている。組合を中心とした敷地に各組合員が果樹園を持ち、集約的で効率的なシステムを持ち、サンパウロ、リオ、ベロ・オリゾンテに生産物を出荷している。
 同組合設立の背景は、七〇年代初め、ミナス州政府が、蔬菜と果実を州都ベロ・オリゾンテをはじめ、サンパウロとリオの消費市場に一年中供給しようという構想で、南ミナス蔬菜・果実生産計画(PROHORT)を検討、コチア産業組合中央会に協力を求めたことから始まる。
 コチア組合は同構想に賛同、七五年、両者の協定によってPADSUL(南ミナス生産団地計画)が発表され、第一期(七八年入植)、第二期(八二年)、第三期(八五年)と三段階に分けて実施された。(『コチア産業組合中央会六十年の歩み』から抜粋)。
 この第一期計画(PADSUL・Ⅰ)で、造成された土地が同組合の基礎である。ミナス州南西部に位置するツルボランジア郡に九十五ヘクタールの土地を購入され、七八年八月から九月にかけて二十家族が入植した。
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 南ミナス農業協同組合の高島嘉希(よしのり)監事は、現在の成功を「たまたま運が良かった」と謙遜する。
 同市は、ベロ・オリゾンテ市まで三百二十キロ、サンパウロ市へ二百六十キロ、リオ市まで四百三十キロと交通の要所、孫子の兵法でいう「衢地」(くち)にあたり、「生産物をこれら三大市場へ配給するのに好適な地理的条件を備えていたことが長所になっている」という。
 また、同地は標高八百メートルから一千三百メートルという耕地のやや冷涼な気候と、昼夜の温度差が大きいという特異気象、山岳地の水源を上手く利用することによって、サンパウロやリオとはまったく異なる時期に収穫することができた。市場への供給量が少なくなっている端境期に生産ができ、有利に販売ができた。
 特に、主力となっている柿の生産に関しては、「トマト生産が不振となった八十年代に、様々な果樹を植えた結果、同地での生産に適応していることが発見された」と説明する。柿に限っては消毒することによって、葉が長持ちし、結実時期が延びるといった現象を生んだ。普通、柿の出荷時期は三~四月までだが、同地の柿は五月まで出荷でき、まさに「天の時」を得ることができたのだ。
 高島監事は、「同地は治安の心配もなく、土地も安い。より多くの日系の人が柿栽培を目指して集まってきて欲しい」と呼びかけている。(つづく・紺谷充彦記者)。

※衢地(くち)=孫子兵法「諸侯の地三属し、先ず至れば天下の衆を得べきものを衢地となす」


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