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     過去の記事  (最終更新日 : 2002/03/05)
活躍する新日系農協7

活躍する新日系農協7 (2002/03/05) 垂直化」を食い止め
―サンミゲール南伯農業協同組合―


 コチアは、中央会も各単協も同じ会社登録番号番号(CGC)を使用していたため、法的には各単協もコチア解散と共に潰れることになったが、南伯産業組合中央会の場合、会社登録が単協と別だったため、各単協は書類上では存続した。
 ただ、各単協の不動産や設備は中央会名義となっていたし、利益が上がれば中央会に送られるといったシステムで、単協は書類だけを保持しているに過ぎない存在だった。
 南伯中央会の傘下にあったサンミゲール・アルカンジョ南伯農業協同組合(六九年設立、同市ピニャール移住地のぶどう生産者中心)も、九四年三月の同中央会解散後、消滅はしないものの庇護を失ったため危機的状況に陥った。
 同組合では、緊急理事会が重ねられ、結局、継続していくことが決められた。当時、組合の余剰金は一万レアル、回転資金は確保できたが、従業員の給料は組合員が負担。各組合員が畑一ヘクタール当たり十五レアルを支払うといった状態が五カ月間続いたという。
 さらに、中央会解散以前から生産者の「組合離れ」が顕著に現れてきていた。個人で農機具や農薬を買い、生産し、農産物を売るという「垂直化現象」が起こっていたのだ。生産物を売るのも、それぞれ好きなように販売するため生産物の品質に偏りが出てきた。
 また、大手組合が相次いで解散したことで、技術に関する情報収集が困難になったことや、組合消失で価格にパラメーターが無くなった影響も大きい。価格を付けるのは、買い手となり、品質を考えずに一様の値段を付けた。生産者たちは畑で生産物を直売し、売れない分をセアザに送っていたため、低品質の生産物が高い値段となるようなことも起こったのだ。
 同組合理事長の市瀬成生さんによれば、中央会解散後の二年間は、同組合はただ維持することだけに留まったが、三年目からは「ヨチヨチ歩き」が始まったっという。
 定款の改正や信頼回復によって、組合としての機能が復活し始め、分割払いや割引といった取り引きも可能になった。「なにより、対応の良さ、支払い期限の長さ、低価格、配達の迅速さ」が離れていた組合員を引き戻す要因となったという。大手農薬会社と提携したこともあり、九六年以降、毎年、農機具、農薬などの販売量が倍増していったのだ。
 解散当時、同組合購買部の参加率は三〇%だったが、現在では九〇%前後の参加率(組合員百人)となっている。
 「商品を提供することはたやすい。難しいのは、その商品をもって組合員を満足させることで、そのために使用法を指導する農業技師三人を待機させている」と説明している。
 また、販売部門でも生産物の価格を上げるため、品質によって三種類の箱を作り、セアザ市場に出荷したという。生産物は、その品質に見合った価格が付けられ、正当な報酬が得られるようになり、それが高品質の生産物を作る励みともなった。高品質の農産物を生産する組合員は、最高で五割増で販売可能になったという。
 市瀬さんは「組合を介して出荷される生産物は、昨年度一八%だったが、生産者の『垂直化』を食い止め、今年度は四〇%とする」と力強く語っていた。(つづく・紺谷充彦記者)

※単協=単位農協、六六年の新組合法で協同組合の活動を制限されたことから、地域別組合(単協)を結成、中央会組織が統括するシステムとした。


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