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活躍する新日系農協8

活躍する新日系農協8 (2002/03/05) 種イモの自給
―カッポン・ボニート組合―


 「トマトは東に進み、バタタは西に向かった」
 一九四〇年代、サンパウロ近郊を中心としていたコチア産組のバタタ(じゃがいも)生産は、連作障害などの影響もあり、西に向かって拡大した。拠点となるコチア倉庫は、イビウナ(四一年)、ピエダーデ(四三年)、イタペチニンガ(四三年)、ソロカバ(四五年)に作られ、四七年にカッポン・ボニートに設置された。同地域では、そうした時期から日系生産者がバタタ生産を本格的に始めていた―。
 九四年、コチア崩壊後、カッポン・ボニート農業協同組合(岡村建治組合長)でも存続するかどうかの緊急会議が行われた。
 同組合の宮田隆行理事は、同会議の状況を「今でも強烈に憶えている」という。「深夜四時ごろまで、誰も席を立たなかった。トイレにも一服もしないで、議論が長時間続けられた。そんな白熱した議論は、後にも先にもないだろう」と振り返る。
 結局、組合員一人当たり一万ドルを出資して、同組合を存続させることとなった。
 現在、同組合は、組合員六十二人と従業員四十二人で経営。昨年度総売上げ一千三百万レアル。生産物は、とうもろこし、バタタ、ぶどうのほか有機野菜などの生産を行っており、各分野で組合員がグループ活動を行っている。
 組合組織としては、役員・監事は八人で、七人が日系人。購買部、穀物部、種いも部に分かれ、購買部は、肥料・農薬・種子・飼料などの販売。穀物部は飼料サイロ二基を所有し、昨年度一万六千トンのとうもろこしを販売している。また、種いも部では、植え付け用の種いも一万五千箱(三十キロ・箱)を組合員に配給している。
 同組合の活動で特に注目できるのが、種イモの自給であろう。バタタ生産者にとって種イモ自給は、長年の課題だったからだ。
 コチア時代は、オランダから輸入した種イモを増殖させて、生産者に分けていたが、コチア解散後には独自に輸入せざるを得なくなった。コチアではオランダに駐在員を派遣し、同品質を徹底させていたため、種イモの品質は保たれていた。しかし、最近では品質が低下したことと、種イモの原価も高くなり、生産コストが合わなくなってきたのだ。
 宮田理事によると、「これまでオランダ産などの輸入種の使用では生産コストが合わなくなり、同地にあった原種の育成を行うことで、経費節減を行うことにした」と説明する。
 一千五百ヘクタールのバタタ栽培面積を持つ同組合では、種イモ自給の研究を始め、生産のためのハウス(二千平方メートル)などの施設を建設した。昨年度に一万五千箱を組合員に配給、輸入に頼ってきた種イモを栽培し、経費三〇%削減に成功している。
 また、今年度には、JATAK(全拓協)地域プロジェクトによる援助を受けて貯蔵用の大型冷蔵室を建設する他、生産用ハウス(一千平方メートル)を増築する。
 バタタ生産者にとって種イモの自給は重要課題であり、同地域に合った種イモを栽培、普及することで地域の安定した供給が可能になるはず。近い将来「西からバタタは復活する」(おわり・紺谷充彦)


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