移民百年祭 Site map 移民史 翻訳
紺谷君の伯剌西爾ぶらぶら
     これまでの作品  (最終更新日 : 2005/06/29)
牢名主 【小学館『デニム』 93年月間ライター新人賞受賞】 [画像を表示]

牢名主 【小学館『デニム』 93年月間ライター新人賞受賞】 (2004/04/23)  いろいろな国を放浪していると、かならずと言っていいほど、いかがわしい日本人が集まってくる安宿がある。タイのチャイナタウンにあるラッキュウ、ネパールのストーンロッヂハウス、サンパウロのペンソン荒木、ロスの大元。どこも一泊5ドルぐらいで、一部屋に5・6個のベットを並べてあるだけ。日当たりの悪い部屋、シラミのたかるベット、天井から吊り下げられた巨大な扇風機、相場が決まっている。そして、かならず仙人のような牢名主が、何ヵ月も居座っている。部屋の奥の薄暗い場所で大麻をふかし、まるで貧乏神のように見える。
ヒゲの牢名主たち.jpg
N氏、A氏、K氏、髭の牢名主たち(本文とは関係ありません)

 彼らは長期滞在していること、パスポートの印が多いこと、髪や髭を延ばしていることを自慢だと思っているらしい。真新しいジーパンをはいている新参者には鼻もかけない。不思議なことに、放浪の初心者達は、牢名主を神のように崇めてしまう。彼らは、なるべく丁寧な言葉を使って話しだそうとする。しかし、仙人は、いかにもバカにしたような目つきで、意味不明の哲学崩れの単語を吐くだけ。それがまた効果を高めるらしい。実際、僕もまた初心者の頃、貧乏神を仙人と間違え、よくいじめられたものだ。だからこそ、牢名主のバケの皮を剥いでやりたいと思ったのかもしれない。

 チリで会った牢名主は、各国のニセ仙人と同じように部屋の奧に居着いていた。荷物をやたら広げ、部屋の3分の1ぐらいを占領している。まるで、自分の力を誇示しているかのように。少し違うのは、汚い格好を誇りに思う彼らには珍しく、小綺麗なシャツを身につけている。まだ、頬の髭剃り後が新しく、青い顎を突き出している。まるで、カマキリが獲物を狙うときのように、尖った顎を振るわせながら、手鏡を持っていた。
「彼が、そうなんですよ」
 隣のベットに居た学生風のジーパンも、牢名主を信仰している一人らしく、いかに彼が偉大(?)であるかを語り出した。
「そうなんです。あの人の情報は、間違いないんですよ。サンチアゴ中の女郎屋に顔見知りの女性が居るみたいなんです。どの店が安いのか、どの娘が良いのか、みんな知っているんです」
 ジーパンは、黙っているのが怖いらしく、話を止めようとはしない。カマキリ宗教を布教することで、自分の不安を取り除いているのかもしれない。
「あの人は、世界中の女とヤッているんですよ。いままで千人以上の女と寝たんですって。それも、女に貢がせるそうですよ」
 身を乗り出すようにして、喋る。
 学生の話の内容からではなく、彼の熱気から、あのカマキリが牢名主に君臨している理由が分かった気がした。
 思ったとおり、僕の質問に対して、カマキリ牢名主は、口元の割れた顎に奇妙な皺を寄せながら生返事をするだけ。
「だいたい、ここの相場はいくらぐらいなんですか?」
「どうだかねぇ」
「どの店が良いんですか?」
「さあねぇ、私はよく知らないんだよ」
 自分が偉いと思われたいらしく、出し惜しみしているのだ。
 このカマキリ野郎め。
 彼の視線は、最後まで僕には向けられず、鏡に映った自分の青い顎にあった。

 次の日、隣のジーパンが僕をカマキリ宗教に入れようというのか、昼食に誘った。教祖と二人の信者と僕は、テーブルを供にした。信者達が、しきりにカマキリを持ち上げる。恍惚とした目付きで、教祖様を称える。カマキリは、気分よく喋り続ける。終始、女のことしか話さない。
「値段は、あってないようなものなんだ。そのへんの女に百ドル払う奴もいれば、高級ボワッチでタダの時もある。もちろん私は、一度も女に金を払った事がないがね」
 彼は、酔うように話し、次第に唾を飛ばし始める。
「いやぁー、チリの女は特に良いよ。セックス自体を楽しんでいるね。暗い雰囲気がないんだ。それに比べ東南アジアの女には蔭があるよ。彼女らは貧村から売られて来たんだからね。それも、十二・三歳ぐらいで、もう。私がヤッた一三歳の娘は、ベットの中で、最初から最後まで、目をつぶって歯を食いしばっていたよ。また、それも味があったけどね」
 要するに、自慢しているだけなのだ。女に金を払ったことのないこと、十三歳の娘とヤッたこと。二人の信者は、いかにも物欲しそうな顔で未知のセックスに聞き惚れていた。しかし、僕に言わせれば、自慢することで自分の行為を正当化しようとしているのだ。また、そうしないと日本社会からの疎外感を取り除けないのであろう。誰かに認められたいのかもしれない。
 牢名主であり、仙人であり、また教祖でもあるカマキリは、当然、他人の話などを聞こうとしない。自分だけの視野で判断した勝手な理論を振り回し、それを他人にまで押し付けようとする。
「人間なんてものは、所詮、ヤルためだけに生まれてきたんだよ。男は種をばら蒔く生き物、女は新しい生を育むもの。金も、名誉も、地位も、すべてよりよい女を獲得する手段に過ぎないんだ。そうだろう。勿体ぶって、理性とか、道徳とか言っているけど、結局は猿の域を出ていないんだよ。食って、糞垂れて、セックスして、女のために敵と戦う。そして、自分の種を広めようとする。それ以外の何物でもないんだよ」
「確かに、種の保存は我々の宿命でしょう。しかし、それだけでは知性を備えた人間として、あまりにも悲しいでしょう。種を増やすことは結果であって、それを目的とすべきではないんじゃないんですか?」
「ちがうね、もともと人間に知性なんてものは無いんだ。有るのは、性欲だけ。すべての衝動は、性に付随したものに過ぎない。だから、目的なんてものは、どんな目標にしても究極的にセックスすることになるのさ。君は考えが浅いよ」
 僕も熱くなって反論する。
「金を儲けること自体を目的とする金の亡者もいるし、人に尽くすことに喜びを感じる博愛家もいる。芸術のために人生を費やす人も多いし、冒険のために命さえ賭ける奴もいる。ギャンブルや麻薬で破滅するものさえいる。とても、すべてセックスのためだけだとは考えられないでしょう。あなたは、すべて自分だけを基準にして考えを構成している。すべての人々が、あなたの価値観と同じであるはずがない。あなたは、……」
 僕の思いがけない抵抗にあった彼は、話の腰を折ってまで自分の主張を押し出してくる。
「君は間違っている。皆、偽善者だ。セックスの欲望を、何か他の者にすり替えようとしているだけだ」
 まるで、子供からオモチャを取り上げた時のように、感情的になって自分の論理を取り戻そうとしている。
 蟹は甲羅に似せて穴を掘る。
 僕は、カマキリと論争するのを止めた。
 議論は、あくまで議論に過ぎない。そんなもので相手を打ち負かしても、何も得る者はない。むしろ相手から恨みを買うだけで損だ。僕は一人冷めて、奴の長いお経を聞き流していた。二人の信者は、イエスマンに徹している……

 港町には女が集まってくる。
「バルパライソ」
 天国の落とし穴
 そこも例外ではない。南米では、サントス、ベレン、と並ぶ良港である。海の男達の鬱積した不満を吐き出すための街となっている。夜の女が集まっており、そしてその女を求めるために、無国籍な放浪者すらやって来る。
「エレザの家」 そこもまた、極東の貧乏神に取り憑かれた宿であった。
 僕が再びカマキリ牢名主に会ったのは、その「エレザの家」だった。ここでは、前の牢名主の権威は失墜しており、彼の荷物は、まだ小さくまとめられたままである。彼は僕を見つけると、やっと落ち着きを取り戻したらしく、話しかけてきた。
「ここの女はどうだ? バルパラは港町だからなぁ、女は多いだろう」
 あいかわらず女のことしか話さない奴。今度は、こっちの方が勿体つけて話してやろう。
「まあまあだね。でも、やはり旅行者より船員の方がもてるんじゃない。大きな船が入った日なんかはダメだね」
 まだ一回しかヤッていないの、いかにもなんでも知っているような自信に満ちた表情をつくりだす。ちょっと顎を浮かせるようにするのがコツらしい。
「そうだろう、そうだろう、サントスでもそうだった。やはり船員は金の使い方が違うからなぁ。それに……」
 彼は、伸び始めた髭を必要以上に気にしながら、港町と女の関係について講釈を始めた。
 馬鹿みたいに簡単なことを、大学教授のようにできるだけ難しく論じる。もっとも僕は聞いてはいない。
 僕が退屈そうにしているのに気づいたのか、興味を引き付けようとしているのか、一冊のノートを大切そうに取り出してきた。
「これで、五冊目なんだけどね」
 彼は、ゆっくりとその膨れ上がった大学ノートを開いた。細かい字がビッシリと並んでいる。その横に毛が張り付けてある。一本づつ縮れた毛が丁寧にテープで留めてあった。
「陰毛?」
 それが、アソコの毛であると気づくのに、少し時間がかかった。見開き一ページ五人、キチンと整理された表になっている。『締まり具合』 『濡れ度』 『性感帯』 そんな欄まで設けてある。彼はいかにも誇らしげに目を細め、バイブルでも読むかのように蘊蓄を傾け始めた。
――夜
 カマキリ野郎も、見知らぬ場所へ最初から一人で乗り込むのは、不安らしく、しきりに僕を誘おうとする。僕の方も奴がどうやっておんなを口説くのか興味があったので、さっそく街に繰り出すことにした。
 せいぜい二百メートルかそこらの通りに競って日本語、中国語、韓国語の看板が並んでいる。髪を肩まで伸ばして、華奢な身体つきをしているのがベトナム人。吠えるような声で話し合っているのが香港人。喧嘩早いのが韓国人。特に日本人は、おとなしく、金払いが良いので人気があるようだ。青い眼、茶色の瞳、敵意むき出しの眼球、さまざまな視線が絡み付いてくる。薄暗いバーには、人種間の摩擦熱のような熱気が立ち込んでいた。その中を泳ぐようにして、うつろな目付きの女達が振舞っている。
「バー専属の女も居れば、店を渡り歩くフリーの女も居る。これだけで食っている奴もいるし、アルバイト気分の奴もいる。出稼ぎもいれば、ここで生まれ育ったのもいる。女郎の母をもち、父親は分からない、そして自分もまた女郎として生きる。そういった娘はいったいどんな気持ちなんだろうね?」
 カマキリにしては殊勝なことを言う。
「ところで、しっているか? 『エレザの家』のエレザ、彼女もそうなんだよ。だから、彼女の娘、あの女の子、なんて言ったかな、そう、マリちゃん。今、小学生ぐらいでしょう、あの娘もそうなるのかねぇ」
「マリちゃんの父親は日本人でしょう?」
「そうみたいね、日本に行ったことがあると、エレザははなしていたけど・・・。でも未婚の母であるということは、ゼンゼン気にしていないみたいね。むしろ、娘に日本人の血が入っていることを喜んでいるみたいだね。マリちゃんは、他の子供より物覚えがいいんだってさ。南米の女は、日本人の子供を欲しがっているんだ。チリの男は、浮気っぽくて、怒りっぽくて、頭が悪いってよ。だから、私はずいぶんとコンドームなしでヤッたもんだ」
 青白い光を浴びながら、カマキリは淡々と語った。
「ハポネス?」
 ふいに声をかけられた。カマキリのまなざしは、彼女らを捉えて離さない。テーブルの下から伸びた長い脚は、意味ありげにこちらに絡んでくる。
 目鼻立ちは、クッキリとしているが、どこか丸みがある。東洋系ともヨーロッパ系ともいえぬ顔。角っぽくもなく、平べったくもない。ハーフにちがいない。混血特有の美しさが、僕らの感情に染み込んでくる。周りの女達と違う。いかにも悲愴感を背負っているような他の女と。挑発的な服装だが、着こなし方に無駄がなく、洗練されたセンスが漂ってくる。
「こいつらは、そうとう高いぞ!」
 日本人だけを目当てにして向こうから寄って来る娼妓には、ロクなのがいない。遠くの方から自分に話かけてくれるのを、目で合図しながら待っている謙虚な女のほうが、いろいろと尽くしてくれる。さらに、高そうな服を身につけているのも曲者である。それだけ金が掛かることを意味しているからだ。あと、日本語を使う奴。
 解ってはいるのだが…… 彼女らの、脚、髪、肌、表情、声、匂い、の前では、僕の理性もどこかに行ってしまう。ひたすら懐具合を気にしていた。
 カマキリは、僕以上に興奮している様子である。光線の具合か、酒のせいか、彼の顔はますます青みを帯び、得意の顎に至っては、青というよりどす黒くなっている。カタコトのスペイン語を駆使して襲いかかるような調子でハーフ達を引き付けようとしている。
「私は、日本では、車を五台持っている。私の父親は、会社の社長である。アメリカとフランスに別荘をもっている。もちろん英語も、フランス語も話せる。アメリカの大学に留学していてる。今、スペイン語を勉強中である」
 彼女らは、奴の言葉を理解し、さらにそれを信じているのかどうかは、解らない。しかし、確実に興味を引いている。僕は、『美しい』 『奇麗』 云々を連発していたが、いまひとつ効果が上がらない。
 さらに、カマキリは比較宣伝まで使う。
「彼は、無職で貧しい。大学も行っていない。ほら、見ろ、彼の服装を」
 僕は、スペイン語の語学力が奴よりも劣っていることもあり、弁解すらできない。それよりも、カマキリの話にあきれて、会話に参加する気持ちすらなくなっていた。僕の隣に居た髪の長い方の女も、いつの間にか奴の側に座って居る。ただ恨めしそうに、彼女の横顔を眺めていた。
「カード、持っているの?」
 甘い声でショートカットの方が奴に尋ねる。
「ああ、有るよ。アメックスも、VISAも」
 カマキリは、ゆっくりと懐から財布を取り出し、何枚かのカードを見せびらかした。彼女らは、宝石でも持つような手つきで見入っている。
「ほら、これ重いでしょう。このネックレスは純金だよ。ほら、この時計、シャツ」
 カマキリは、次々とブルジョアの勲章を取り出していた。
 空気が偏っていた。カマキリの両腕は、二人のハーフの腰に巻き付いている。
 カマキリは、僕を無視して立ち上がった。彼女達は、奴について行く。
「バモス」──行きましょう──
 その言葉だけが、はっきりと僕に聞き取れた。

「ハァ」と気づいた。
 自分が何処にいるのか解らない。
 記憶が蘇ってくる……
 酒場には誰もいない。カマキリも、ハーフ達も。ただ、客にあぶれた青白い娼婦達だけが、隅の方で、灰色の煙りを吐いていた。
「やられた! 睡眠薬だ」
 その時、初めて、変わった味のするビールだったことを思い出した。
――それ以来、あのカマキリ牢名主とは会っていない。翌日、「エレザの家」で僕が目覚めた時、奴の荷物はすでに無かった。
 ただ、身ぐるみ剥がされた日本人が、道端に倒れていたという噂を聞いただけである。それが奴であったかどうかは、分からない。
 どちらにしても、奴は金を盗まれたのであって、金を払った訳ではない。
 僕は、顎が外れるぐらい笑ってやった。


前のページへ / 上へ / 次のページへ

© Copyright 2019 紺谷充彦. All rights reserved.