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紺谷君の伯剌西爾ぶらぶら
     「ハルとナツ」エキストラ出演記  (最終更新日 : 2004/07/17)
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4 70年前へ (2004/06/10)
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イタリア系、黒人、日系人エキストラたち

 バスで撮影場所に到着したのが、午前5時。夜明けに、コーヒー農園に向かうシーンを撮影する。池に50メートルほどの橋が架かっており、それをコロノ(雇われ農民)たちがトボトボ渡っていくという設定だ。
 梯子やペネイラ(丸網)、麻袋などの小道具が渡されたあと、演技指導のスタッフが「疲れたように歩いて下さい」と叫んだ。
 毎日過酷な労働をしているコロノは、いやいやながらも農園に向かうというので、「疲れた感じで歩きなさい」というのだ。ただ、大袈裟に「疲れている」という演技では臭くなるので、そうやってはいけない。さりげない「疲れ」を演出するようにと指導している。
「徹夜明けだし、さんざん待たされて、みんな疲れているよね。言われなくてもトボトボ歩けるんじゃない」
 そう、アライちゃんと囁きあっていた。
 ロケの時代設定は、1934年(昭和9年)。史実でも一番日本人移民が多かった頃である。ブラジルに渡った日本人移民は約二十万人、そのうち昭和7年から昭和9年までの間に6万人近くの日本人が移民している。

 そうこうするうちに、日本人監督やスタッフ、日本から来た役者らも続々と集まってきた。
 まず、目を引いたのが牛車だ。4頭立ての牛車が3台現れた。牛追い人が鞭を鳴らしている。さすがに間近でみると迫力があり、咽返るような牛糞の臭いが鼻についた。
 また、黒人エキストラの十数人は裸足にされていた。当時、奴隷は解放されていた(奴隷解放令公布1888年)が、未だ奴隷のように扱われていたことも事実だ。
 それに、コロノを見張る現場監督。こいつは馬に跨り、毛織物のマントに革ブーツ、背中にライフルを背負っている。そいつが馬を駆けさせ颯爽と過ぎていく。
 まさに、70年前に戻ったような気分になってきた。
 すると、同じエキストラだと分かっているのに、馬に乗った現場監督に緊張する。「怖い」と感じる。単にライフルを背負っているからか、それとも潜在的にこっちのボロボロ服と、向こうの偉容な姿を比較してしまうからだろうか。何故か僕は、本物の監督よりも、馬に跨った役者監督の方に緊張していた。
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この橋を100人のエキストラが通った

 ブラジル業界流に「アッソン」(アクション)でカメラが回され、結局我々は3回橋を渡った。つまり3回撮り直した。橋の反対側にカメラが設置されており、橋の手前に並んだ100人のエキストラと日本からの役者、牛車、馬がゾロゾロと渡っていく。
 一回目の撮影では僕の構成家族が、その行列の先頭だった。カメラを過ぎてから振りかえって行列を眺めた。
――横から射している朝日が池を照らしている。疲れた日本人コロノが向かって来る。牛追い人が鞭を鳴らしている。裸足の黒人が脚を引きずっている。抱えている梯子が揺れている。馬に跨った現場監督が砂煙を上げて過ぎていく……
 ほんの数秒だけだったが、当時の移民の様子を実際に見た気がした。
(つづく)


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