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紺谷君の伯剌西爾ぶらぶら
     「ハルとナツ」エキストラ出演記  (最終更新日 : 2004/07/17)
7 囚人の連帯感 [画像を表示]

7 囚人の連帯感 (2004/07/17)  7月7日、カンピーナスでの撮影最終日。
「留置所に入れられた日本人の役ですから、不精髭を伸ばしておいて下さい」
 そんな連絡を最初に受けたのは5月末のことだった。留置所のシーンは、雨が降っている日が望ましいということで、撮影班は雨の日を狙っていたようだ。しかし、思った日に雨が降らず、3~4回日程が変更され、結局最終日の7日に「天候に関係なく撮影」ということになった。
 現場に到着すると、早速着替えて、メイクがほどこされた。服装は、シャツに短パン、サンダル。メイクは髭の濃い人はドーランや油を塗るだけだったが、薄い人や髭のない2人は、髪の毛を細かく切って頬に貼り付けていた。一人だけ囚人役が似合わない爽やか系の青年がいたのだが、入念にメイクされてシャブ中患者のようになっていた。
 さて、12人の男たち、それまで互いに言葉を交わさなかったのに、全員が囚人の格好をしたとたん、妙な親近感が湧いてきた。
 普段の社会生活においては、どうしても服装や持ち物、社会的地位などで優劣をつけてしまう。知らず知らずのうちに、横柄になったり阿(おもね)ったりしてしまうものだ。しかし、服装も小物も剥ぎ取られ、全員がボロボロのシャツを着せられ、顔も腕も油や泥を塗りつけられた状態になっては、地位や年齢などは関係なし、利害関係もなく、いわば裸一貫の男同士となった。だからこそ、妙な連帯感とういか、仲間意識が生まれたのかもしれない。
 そして、話題も戦中戦後のことに集中した。70代の戦後移住者は、日本での軍事教練の話、移住地生まれの日系2世は、「勝ち組み」※1だった父親のこと。さらに「臣道連盟」※2「特攻隊」※3、「玉音放送」のことなど話は尽きなかった。
 我々12人のいるドラマの時代設定は、第2次世界大戦中である。ブラジルは連合軍側であり日本人は「敵性国民」の扱いを受けた。日本語新聞や雑誌が廃刊にされるだけでなく、日本語を話すことすら禁止された。1942年には日本との国交断絶、日本大使館や領事館が閉鎖されてしまった。
 ドラマのストーリーは、ラジオを聞いていた日本人が、「日本語の放送を聞いていたろ!」と無理やり連行され、他の日本人は見て見ぬふりをしているのに、ハルの父・忠治(村田雄浩)がそれを止めようとして、一緒に連行されてしまうというもの。
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囚人役となったエキストラたち

 まず、セットの留置所に入る前に、監督から説明を受けた。
 それによれば、忠治が無理やり連行されてくる。我々エキストラはすでに拘束されている人たちで、鉄格子に顔をつけてその様子を覗いている。看守が来て、忠治が留置所に押し込められる。忠治が背後の気配に気づくと、我々は日本人の習性でついお辞儀してしまう。忠治もお辞儀を返し、我々は握手を求めて殺到する。そんな演技をして欲しいとのことだった。
 セットの留置所に移動する。中は4畳半ほどの広さで、背後から強い照明を当てていた。さらに雰囲気を演出するためか、大量のもぐさが焚かれていた。12人は鉄格子にへばりついた。
 撮影自体は手間取った。
 10回以上撮り直しになった。そのうちの半分は看守役のブラジル人のせいだ。手先が不器用なのだ。南京錠を開けて締めるという作業がスムーズに出来ない。どうしても手間取ってしまう。
「どうして、こんな簡単ことが出来ないんだ」
 助監督のため息混じりの呟きが聞えてきていた。
 まあ、看守は「憎まれ役」と相場が決まっている。
 我々囚人も、「まったく、あの看守、トロイよ!」と囁きあって、ますます心を一つにしていた。(つづく)





※1「勝ち組み」
 日本が戦争でアメリカに勝ったと信じていたグループ。これに対し負けたことを認識していたグループを「負け組み」または「認識派」と呼んだ。
※2「臣道連盟」
 「勝ち組み」の総本山となった思想団体。
※3「特攻隊」
 「臣道連盟」の下部組織で暗殺やテロを行い、「負け組み」の中心人物を次々に殺害した。


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