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伯国東京農大会
     会の沿革  (最終更新日 : 2014/03/17)
東京農大会の沿革

東京農大会の沿革 (2004/10/26)
五十嵐 司
 東京農大の歴史は明治24年創立の徳川育英賞農業科、明治26年東京農学校、明治34年東京高等農学校、明治44年東京農業大学、大正14年大学令の依る農学単科大学、昭和24年新制移行という経緯をたどっている。ブラジルへの卒業生の在勤や移住について、明治・大正期の資料がなく、僅かに昭和になってから卒業生たちが2~3人ずつ連絡をとり始め、相つどって交遊を結ぶようになって来た。昭和3年に着伯、パラナ州の水野農場で麦作の改良に従事した佐藤貫一氏(大正3年学卒、現サンパウロ大学体育教授)、昭和4年組の伝田寛一郎氏(ブラジル拓殖アリアンサ植民地支配人)、同じくブラジル拓殖の支配人であった井久保治氏、貿易業を営んだ大竹午夫氏、昭和6年に45才で移住、ブラジル拓殖チエテ植民地で棉作指導に当った加藤耕治(明治45年高農卒)、続いて務台一郎氏(貿易と養鶏)、久万敏夫氏(肥料メーカー・エレケイロス化学工業役員)、又、富田陽三氏、アマゾンで農業気象台長をした後、サンパウロに出てきた安東義代次郎氏、坂東喜内氏(苗木生産・伝田氏と同級)達が集まって母校の消息や、情報を交換したりしていた。
 戦中・戦後の一時期は、日系移住者一般と同じく、言語に絶する様な困難な時代で、特に活動すべき農地を失った農業指導者であったこれら先輩方は大変苦労された。厳しい条件の下で、妻子をかかえ生活を維持するためには、不慣れな武士の商法なども余儀なくされた。伝田氏を首班としてサンパウロ市ジャバクワラ区で農大OB共営のエンポリオ(食料品店)も開かれた。これには前期、務台氏らも加わり、苦しい乍ら互いに励まし合って苦難に耐えていった。伝田氏47才(昭和26年)、井久保氏50才(昭和28年)と早世されたのを見ても、想像に難くない苦しい生活が続いたのである。
 お二人共後輩の面倒をよく見、優秀な方たちで、ブラジル拓殖内で将来を約束されていた事であるから、今日ありせば南米銀行グループの総師クラスで活躍されているものを、と惜しまれている。
 当時の方々で未だにお元気な方達の最長老は加藤耕治先輩(95才)である。さて、戦後約10年、卒業生の数も増え、1969年(昭和44年)に至り、東京農大校友会支部という形がととのえられ、佐藤貫一氏が支部長に就任され、会員の組織的連絡、母校とのコンタクトも密接になった。ついで農業拓殖学科長、杉野忠夫教授の来伯、1972年には久万敏夫会長へのバトンタッチがあり、会員相互の連繋も増々盛んになってきた。この間、高松氏ら会の有志諸氏の自宅を開放しての新来卒業生や、大学よりの視察団などに対する献身的サービス活動は特筆に値しよう。またサンパウロ市隣接、グワルーリョスに建立された農大墓地の立案から建設までの久万会長以下役員・協力者諸氏の活動は目ざましいものがあった。同墓地には杉野教授以下卒業生10名のみたまが眠っておられ、昨年度には御来伯の途次メキシコの地で客死された元学長千葉三郎先生も合祀された。
 1978年(昭和53年)農大会館(東京農業大学ブラジル研修センター)設置にともない、当ブラジル政府に会の財団法人登録の申請がなされ、翌79年、正式に法人組織の東京農大会(ASSOCIAÇAO TOKYO NODAI DO BRASIL)として新しく発足した。これを祝し伯国地理学会より久万会長にカブラル章が授与された。
 1981年に至り、会に新風を入れ、更に躍進を期待して久万会長勇退され、高松浩二現会長に交代した。会員の現勢は未申し込み者を含め、北はアマゾン地区から南はリオグランデ・ド・スールにまたがり、全伯に二百数十名を数えるに至った。
(1981年 伯国東京農大会 会報第1号)


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