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伯国東京農大会
     会の沿革  (最終更新日 : 2014/03/17)
追悼の碑の由来 [画像を表示]

追悼の碑の由来 (2004/10/26)
会報編集部編
1、序言

 私共東京農大の特長として、校友が母校を中心として一つの家族としての繋がりの中で、お互いの交流をはかり合っていることである。伯国東京農大会も同様、母校、先輩、後輩、学生、在伯実習生そして二、三世へと親しい交わりをもつ雰囲気の中に育っている。その中心が追悼の碑であり、又、母校の厚意により購入された会館である。この追悼の碑の前に少なくとも年一回、七月第四日曜日に集まり、心を新たにしてその親睦を深めている。この大切な慰霊碑について、その由来を書きとめておくことは私たちの義務である。会報編集部はそのため、当時の関係者の記憶や資料をたどってまとめることにした。

2、由来

a、追悼の碑の建立案決定
 農業拓殖学科育ての親、杉野忠夫先生はその使命とされた海外拓殖精神、活動はもとよりだが、その陰に、若い青年に対する深い理解と情熱、愛情(思いやり)がひめられ、その心がいつも青年達を元気づけていた。そして亡くなる前からブラジル指向であり、「自分が死んだらアマゾンと南伯(サンパウロ)に分骨してくれ」と言い遺していた。その後、杉野先生は1965年6月29日永眠された。1965年9月頃、その御遺骨は、遺言通り、当時訪日中だった北原穣氏が杉野家よりあづかって来た。その後、北原氏は苦労して、イタケーラの義父山岸又次郎家の墓地へ仮安置しておいた。
 1972年10月17日、アチバイア支部総会を秋山仁氏宅にて開催。その時、秋山、原島義弘両兄などより、土地を買い、碑をつくろうという空気がでて来た。又、田中武美、川辺幹男両兄などもいて、話は進展し、1972年10月28日、コケシ食堂にて、建設のための発起人会を開くこととなった。久万敏夫会長をはじめ集まった者の中から、次の諸兄が発起人となった。久万敏夫、北原穣、佐々木恂、知久荘之助、高山利雄、田中武美、荒木克弥、前田耕治、沖真一、下条昭弘、川辺幹男、秋山仁、石川準二(敬称略)。趣意書を作り、手分けして募金運動を開始することとなった。会計責任者は荒木克弥、川辺幹男両兄に決定した。
 1972年11月25日、総会。募金開始。この募金運動のため、石川、川辺、秋山、知久、荒木の諸兄が努力した。

b、墓地購入
 追悼の碑であるから必ずしも墓地でなくてもよい。しかし、個人の土地では、売買、又は移転などで面倒な問題が生ずるおそれがあるので、やはり墓地内に求めた。1973年2月、前田耕治、上原真也、田中武美、川辺幹男諸兄の努力でグヮルーリョスのサンジューダスタデウ墓地内に2.2mx2.2mの土地を購入した。しかし、当時、伯国東京農大会として正式な登録がなされていなかったので(伯国東京農大会の正式登録以前は、東京農業大学校友会南伯支部と称した)、近くに住んでいた川辺氏に便宣をはかってもらい、同兄名義の書類をもって登録した。購入費は当時の価額として65046クルゼイロス(当時の貨幣価値不明。一説には当時、食堂での食事代が20クルゼイロス位)。尚、この墓地物色のため、京野四郎氏及び、かつてバストス中学校校長(公認のブラジル語の学校、バストス中学)、山岸又次郎氏の御協力も銘記すべきである。

c、石碑(墓石)探しと題字彫りについて
 この石探しのために度々向井恒夫氏宅にて相談した。そして佐々木、荒木、川辺諸兄が弁当持ちで歩いた。農大生だけでなく、元コチア養鶏(GPAO)理事長、向井恒夫氏や同氏弟さんの義父で、ピラカイア在住の佐藤六郎氏の御尽力にあずかって、その佐藤さんが石を選ぶことを承諾してくれた。1973年3月11日、向井、佐藤、川辺諸氏にて、石を掘り起こす許可を、農場主から貰うために行く。同月15日、佐々木、川辺、荒木、向井、佐藤諸氏にて石を掘り起こした。1屯近くもあった。従って、これをピラカイアの山のふもとにあるブラジル人の石屋まで運ぶのに苦労した。この石碑代は9550クルゼイロスが計上されている。

d、杉野忠夫先生並びに先覚農大同窓生追悼の碑建立とその除幕式などについて
 1973年3月23日、久万支部長より、平林忠学長に来るべき除幕式への御出席要請を受け、北原氏が電話にて直接交渉した。こうして整えられた石碑の表字を千葉三郎前学長に依頼。「杉野忠夫先生、先覚農大同窓生、追悼之碑」と書かれた。その側に「煩悩障眼雖不見大悲無倦常照我=ボンノウショウゲンスイフケンダイヒムケンジョウショウガ」とある。(「煩悩まなこおさえてみずといえども、大悲ものうきことなく常に我を照らしたまえり」で、親鸞聖人の教行信証巻末にある。これについて佐々木陽明師の懇切な解説がある。)これらについて杉野夫人は「渡伯の思い出」の中で、「生前、杉野が最も好みましたお経の一節『煩悩障眼雖不見大悲無倦常照我』、杉野の書き残した色紙から写しとって、拡大して彫られた文字を亡夫はどれ程大きい喜びを感じていますか計り知れません。その上、千葉先生から頂きました文字も十八光を副えて下さいました。日本字を御存知ないブラジルの方が彫りこまれますため、川辺様や、皆々様も随分御苦労下さいましたと言うお話も伺いました。その様にしてお力を合わせての真心の結晶でございます。」とある。先生の海外拓殖精神の根底に一つの信念、思想があったことを教えられる。こうした校友諸兄、厚意ある皆様方の尽力で進められた追悼の碑建立は、いよいよ6月24日、晴天下、除幕式を挙行する運びとなった。当日は平林忠学長代理として、その式辞を携えて小野功拓殖学科助教授、杉野千代未亡人を御招待。校友は勿論、ジャミック、事業団、新聞社関係、パトロン関係として、山岸、吉岡、国武、森脇、安田、岡上、重田の諸氏。ピラカイアから佐藤、向井などの諸氏。更に、学生移住連盟、移住研楓会の諸兄など多数参列。大学、学住連などの花輪や、色とりどり供花に飾られ、南米浄土宗別院日伯第二世佐々木陽明師の導きにより執り行われた。この後、アルジャー日本人会館にて親睦会が盛大に催された。この時の様子については、海外移住研究部OB会楓会十周年記念号に「渡伯の思い出」杉野千代夫人、「南米の旅」小野功氏の御寄稿がある。それには久万支部長、坂口、北原、川辺、秋山、沖、及び校友諸兄の心のこもった当時を偲ぶよきよすがとなってくれている。

3、結び

 このようにして、杉野先生及び先覚者の遺徳を偲んで建立された。追悼法要は、今年で丁度十五回目となり、来賓、御遺族、校友家族と80名余、記念碑前にあつまり、共々農大家族の親しさを頒ち合った。今後も伯国東京農大会の歩みの中心になって、次の世代にとりついで行ってくれるものと信じている。以上のようにこの度、「追悼の碑」のいきさつについて、何人かの思い出と、残された数少ない資料からでも書き留めておく必要と義務を感じ、わかった範囲内のことをまとめた。
 尚、募金から建立までの決算書の控も保存されている。それによると在伯校友諸兄は勿論、来賓、母校、校友会、楓会、拓殖学科、拓殖推進協会、杉野明夫氏、日本学生移住連盟などの皆様の御協力をいただいている。ここに、この有意義な事業を計画し、遂行、完成して下さった、久万会長はじめ校友諸兄、その趣旨に賛同して御協力下さった、故向井、故山岸両氏、有志の方たち、すべての方たちに心から感謝する次第である。
 又、この稿のために当時の思い出話を提供して下さった、久万、川辺、北原、沖、佐々木、田中、向井氏の義兄弟矢部六郎の諸氏に感謝すると共に、特にお手許に保存中の貴重な諸資料を御提供下さった川辺氏に心から御礼申し上げる次第である。
 尚、現在、追悼の碑に収められている方は以下のとおりとなっている。

氏名生年月日物故年月日
杉野 忠夫1901/04/061965/06/29
千葉 三郎1894/01/251979/11/29
傳田寛一郎1903/06/241951/04/02
井久保 治1903/04/221953/11/22
北島  弘1937/08/221967/04/05
廣澤  茂1936/11/301970/11/21
堀江  豊1942/02/211972/06/30
吉澤 康夫1932/12/111972/09/08
富田 詳三1914/10/101972/10/20
務台 一郎1907/02/061973/03/18
大竹 丑夫1913/02/111974/07/09
吉田榮次郎1941/03/161977/04/08
(アマゾン支部)
秋山  仁1941/01/031978/11/17
吉田 新平1923/09/061979/06/04
櫻井又衛門1901/02/011980/10/23
井戸川正義1938/04/061983/03/23
向井 恒夫1919/01/031983/08/17
加藤 耕治 1984/01/20
久能木獣三1928/01/101986/08/07
荒岡 俊友1938/10/15 
由木尾 峻 1961/09/02
大場健一郎1943/04/231981/02/02

 以上の記事を掲載すべく原稿を印刷にまわした日、思いもよらず、「追悼の碑」建立に最も尽力してくれた川辺幹男兄の長男フェルナンド隆弘君がサントスのプライアグランデで水難死するという悲報に接した。本日12月1日、ピカンソのサンジューダスタデウの私たち農大追悼の碑のある同じ墓地に葬られた。故人の冥福を祈ると同時に、御遺族に心からお慰めを申し上げる次第である。
(1987年12月1日 伯国東京農大会 会報9号)

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