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伯国東京農大会
     会の沿革  (最終更新日 : 2014/03/17)
新会館完成への歩み [全画像を表示]

新会館完成への歩み (2004/10/26)
専務理事 原島義弘
 メトロ・サウジ駅から徒歩五分という立地条件に恵まれた場所に、新会館が竣工したが、ここに至るまでの経過を記録をもとにしてお知らせ致します。

◇胎動期
 サンパウロ市は1980年代から本格的に始まった地下鉄網が発展するに従い自然現象として流通経済が駅の周辺に集中した。新しい駅が建設された地区は地価が上がり、これに伴い偶然その近くに会館を所有していた団体は会の活性化や運営とか全ての面で恩恵に預かるようになる。農大旧会館は環境としては申し分ないが、駅には遠く、前述の様な時代の流れに乗る事が出来なかった。それに加え築後50年の傷みの為に年中改修を繰り返し、更に地盤沈下による建物の傾斜と、役員の苦労は絶えない状態だった。

◇始動期
 こんな中、1999年7月にパンアメリカ・サンパウロ大会に出席された松田理事長が会館の傷みを見て、ここから移転しないという条件付きで会館修理の為に援助しても良いとの話をされた。その後、これについて役員会で検討したが、売却してアパートに移り地味に経営していこうか等、意見が二転三転し纏まらず、この話は空転していた。

◇実動期
 2000年12月に原島が訪日して、松田理事長と会談し会館改築の援助資金五千万円拠出の確約を得る。小野先生にこの確約の立会いをお願いする。
 2001年2月25日の総会で新会長に石川氏が選出され、それに伴い新役員体制が発足し、ただちに新会館建設の為の実務が動き出し、学校側と打合わせに入った。
 2001年7月21日に常任理事の塩倉先生が林学調査でアマゾン地方を一週間に渡り訪問された(石川会長、原島理事が道案内として同道)。その後、慰霊ユに出席されるためサンパウロに滞在、この間に会館の地盤沈下や傷みの度合いを見ていただいた。そして将来の展望を考慮して、移転も止むを得ないという意見具申を学校側にするという約束をいただいた。最初は現会館を取り壊し、そこに新築ということが、その後、塩倉先生のお蔭で学校側から移転の許可を得る事が出来たので、この際、地下鉄の近辺に新拠点を求めようという事になった。そして、それぞれに伝のある不動産屋に物件の以来を発注した。2001年~2002年12月にかけて何件もの不動産屋が持ってきた数十件の物件を見るが、イマイチという感じで、視察者の意見が一致しなかった。視察者は石川、鈴木(日)、大島、高桑、沖、原島、池田、荒木、藤田、大渕、大森、高木、景山、田中の諸兄である。
 2002年5月7日に原島理事が訪日して松田理事長、塩倉常務と会談し、新会館建設にあたり、次の条件を満たすようにとの具体的な指示をうけた。
◎校友子弟等の宿泊施設を備えること。
◎本校学生が訪伯した時の一時宿泊施設を備えること。
◎来客用客室を設けること。
◎集会室を設けること。
◎その他のことは任せる。
以上。
その後、担当者とブラジルへの送金についての打合わせを行なった。
 2002年5月21日に送金受入れ機関として、急遽農大の口座を開設した、ブラジル銀行リベルダーデ支店から、US$385,594.20(五千万円)入金と通知を受ける。円安で対ドル為替が約129円。入金後三ヶ月間はドル建てで口座に置いておけるが、三ヵ月後はレアルに替えないと日本に戻されてしまうので、期限が来た8月12日に下条会計と石川会長、原島理事立会いで、その日の為替相場の、3.0829レアルで交換。総額、1,188,748.36レアルを農大口座に入金し、有利な利子の運用に投資。
 2002年12月18日、森西不動産紹介の物件が視察者全員の賛成で決定に至る。地下鉄サウジ駅から徒歩5分という立地に、土地巾は前巾18メートル、奥巾15メートル、奥行きは40メートル、全体640平米の土地。1963年10月建築の257平米の確りした平屋が建つ物件。55万レアルの値段を45万で交渉に入ったが、どうしても50万レアル以下にならず、やむなく50万レアルで合意。2003年1月21日に仮契約に入り、手付金5万レアルを払い、書類を作る。立会いは、石川、大島、川辺、大渕、原島。
 2003年1月26日の定期総会で石川会長は再選。副会長、専務等が改選された。新会館建設のため、建設委員を設立。委員長に石川会長、建設会計に高桑第二会計、委員に全理事が加わる。建設会計監査は池田書記、原島専務。3月11日にグロリア街98番地の十五公証役場に於いて、クララ・ヨシイ公証人による地権作成が完了し、ここに土地の登記が終わる。地権証書の農大側の署名者は、石川、大島、川辺、大渕、原島。
 建設委員会で大体の建設案を作成し、それをミドリ・ヤマウチ設計士に依頼し、出来た設計図を基に、3月16日に建設業者の入札が行われた。篠原建設、道建設、清水建設、サンジェオ建設の4業者が応募したが、農大の要望に添ったサンジェオ建設が落札。
 役員会で今後建設に関わっていく委員を、年中現場に顔を出せる者ということで絞り込み、石川、沖、高桑、藤田、原島に決める。なお建設業者側から、現場への指示、折衝は窓口を一本にしてもらわないと工事が混乱する恐れがあるという申入れがあり、これに対しては原島専務理事が担当することになった。
 3月25日に工費47万1千393レアルで建設会社と契約書を取り交わし、それを登記所に届ける。工事は「新築」で申請すると建築許可が一年以上かかるが、現在ある建物に増築するという形式をとると一ヶ月以内に工事が開始出来るという。レアル貨のインフレによる目減りを恐れ、一日も早い完成を目指し、この「増改築」で申請する。この為に建物の外壁は残し、その要所要所を縦割りにして基礎杭を打ち込み、二階サロンが100人収容に耐えられる基盤を作った。二階の部分は法人建築基準により、前部は通りから6メートルを空け、両側は3メートルずつ空けた。640平米の土地に、608.06平米の殆ど新築の鉄筋レンガ積み二階屋で、一階に来客用のバス・トイレ付きの部屋が3部屋、応接室、事務室、会議室、娯楽室、台所、トイレ3ヶ所。二階に100人収容できるホール、シュラスケーラ、男女独立でそれぞれにシャワーが2ヶ所、トイレが2ヶ所の更衣室、それに日本からの実習生が10人ずつ泊まれる部屋が2部屋。サロンは防音設備がありカラオケが出来る。裏に、男4人、女4人収容出来る学生寮と、その食堂兼談話室、管理人住居、駐車が17台可能のスペースがあり、窓枠等全てアルミ仕上げ、ガレージ入口は自動開閉装置付き。以上、学校側の要求する条件を全て備えている建物である。
 起工式を2003年4月13日に日伯寺の導師により執り行い、竣工引渡しは同年の11月2日の予定であった。しかし、利用出来ると思っていた隣の塀が予想以上に老朽化していて、全面的に建てなければならなくなったりの突発工事や、仕様が違うために遣り直し、当初計画に無かった風呂場の建設、また応接室、学生寮食堂、管理人住居の設計変更に伴う工事の遣り直し等で大幅に工期が遅れ、引渡しが2004年1月15日になり、工費も農大側の増設要求費用を入れ、総額52万8千158レアルになった。この他に、今後見込まれる出費は、学生寮の備え付け家具、台所の流し台下の備え付け扉と引き出し、ガスレンジ、冷蔵庫、来客室のベットと家具、サロン用の折りたたみ椅子とテーブル、シャワー器具、カーテン等々で、15万レアルは掛かると予想。現在ある家具で使用可能なものは補修点検して使うようにして出費の削減に努めている。
 落成式については、学校側と打ち合わせた結果、学校の意向で本格的な落成式は、パンアメリカ・ベレン大会に合わせて挙行することになり、その期日は8月17日~18日を予定している。学校側出席は、学長、理事長、校友会長、常務理事、小野先生、室長等6~7名の予定。内輪の落成式は2004年度総会の2月1日(日)に行う。
 尚、旧会館は3軒の不動産屋に頼み、45万レアルで売り出し中。
(2004年4月1日 伯国東京農大会 会報39号)

新会館平面図.gif
新会館平面図

新会館.jpg


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