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伯国東京農大会
     会の沿革  (最終更新日 : 2014/03/17)
伯国東京農大会30年の流れ  会長 大島正敬

伯国東京農大会30年の流れ  会長 大島正敬 (2010/01/12) 農大会は今年創立30周年を迎えた。1979年6月7日サンパウロ第2登記役場に東京農大会として登録されたのが始まりである。会の憲法たる定款はこれまで1979年12月、95年、96年、2005年7月と計4回の改正を経て、今日に至っている。
 30年の歴史を刻んで来たのであるが、農大会も決して平坦な道を歩んだわけではない。紆余屈折の歴史と時を経て今日が在る。
 戦前の呼び寄せは、個人の移住で始まりましたが、伝田貫一郎、井久保治等はじめとし、農大移住史に燦然たる足跡を残されました。先輩達のご子息は、現在では、日系コロニアの重鎮として活躍しておられます。
戦後1955頃より移住が再開され、農大卒のいわゆる学卒移住が始まった。1960年農業拓植学科卒の移住が始まると、それに伴い学校当局、校友各界、実習生等の移住、訪伯者がどんどん増えていった。これらの校友を迎えて維持便宜を計ったのが久万敏雄、高松浩二、北原穣氏等であった。
1970年代に入ると、農大卒業生の移住地集団が誕生した。サンパウロ市内を中心とした集団、アチバイアを中心とした集団、中央線を中心とした3集団である。農大関係者の訪伯の機会を利用して各地方毎に集まることが多かった。こうした矢先の1972年頃、追悼の碑を作ろうという気運が高まった。そして、遂に1973年、グァルーリョス市サンジュダス・タデウ墓地内で開眼供養が行われた。供養には、平林学長の代理として、小野功先生、杉野忠夫未亡人、杉野千代さんを始め、コロニア各界、パトロン等の出席を得た。碑には、「杉野忠夫先生、先覚農大同窓生、追悼之碑」、その側に「煩悩障眼雖不見大悲無倦常照我(ボンノウショウゲンスイフケンダイヒムケンジョウショウガ)と彫られた。親鸞聖人の教行信証巻末にある。*意味「煩悩が邪魔をして、私の目を覆い、如来様のお救いのお心になかなか気が付くことは出来ないけれども、大悲のお心はやむ事なく、常に私を照らしていて下さる。」
1976年7月小野三郎理事長を団長とする東京農業大学中南米農業視察団を迎えた。一行は、小野三郎、笠松健二、松田藤四郎先生を含む40名に上る大型視察団であった。
そして翌年1977年には、高松浩二伯国支部長が母校を訪ね、会館建設に関する具体的な実行計画を提示した。当時の小野理事長の提案に対して農大後援会も正式に承認した事で伯国会館の建設が現実化されることになった。この委員会のメンバーは、金木良三農学部長、近藤典生教授、松田籐四郎教授、押見有理事、小野功助教授など、強力メンバーが伯国会館実現に尽力した。
1979年学校当局により5千万円の会館建設資金が承認交付された。会館は数ある候補の中からサンパウロ市アクリマソン区ロベルトソン303番に決定した。
当会館は立地条件、環境条件、建築面積からして申し分がなかった。待望の農大会館は、校友諸兄に誇らしく受け入れられた。
会館の落成披露には学校当局より、金木良三農学部長、小野功助教授が駆けつけた。時同じくして、アマゾン日本人移住50周年の年でもあった。ちなみに2009年はアマゾン入植80周年を祝っている。
こうして出来上がった会館も思わぬ弱点をさらす事になった。住宅として建てられてからかなり年月を経ており、傾斜地に盛り土をして建てた処から、地盤沈下や、雨漏り、シロアリの被害に悩まされることになり、これらの経費が会の運営を圧迫することになった。
会館を持ったことで会の活動は活発になり、地方の校友との連携のための組織も作られた。
定款も何度も改定されたし、恒例の慰霊祭は毎年欠かすことなく続けられ今年36回を数えた。会報48号目、校友関連バザー(8回行われた)研修生の受け入れ、バイオビジネス学科の留学生の推薦(13回目)、農場見学、ピクニック、講演会等、盛りだくさんの行事をこなして来た。
更に1998年にはパンアメリカ校友大会の前進たる「東京農大校友ラテンアメリカシンポジウム」がアルゼンチンで行われた。現在は名称も改め「パンアメリカ校友大会」として来年10回目として振り出しのアルゼンチンで行われる。
1999年パンアメリカ校友大会サンパウロ会議に出席された松田理事長、進士学長、小野教授は一日会館の現状をつぶさに見て頂いた結果、大幅な改築が必要であること。2001年になり、伯国農大会は石川準二会長の新体制になったのをきっかけに旧会館の修理を前提とした5千万円の助成が決定した。再建策の検討と同時に新会館候補地の詮索が始まった。百余の候補の中から、立地の良い現在地の住宅地を購入、全面改築に踏み切った。サンジェオに建設を請け負わせた。
建築監督委員として、石川、沖、高桑、原島諸兄が当ったが、多くの折衝は原島専務理事が当った。
こうして640平米の用地に608平米の建坪の現会館が出来上がった。会館は多目的用途で、サロン、会議室、宿泊設備、ガレージを有する完璧な会館となった。地下鉄サウーデ駅から徒歩5分というのも魅力の一つである。
新会館の落成式は2004年8月17日に母校より松田理事長、進士学長の出席をいただき西山巌領事、コロニア各位の出席を得て盛大に行われた。
松田理事長はあいさつで、この会館は機能的で多目的に校友はもとより地域社会に貢献できるものに成って欲しいと結んだ。
現在、その目的に沿って機能的に多目的に健全に運営されている。全会員の協力と役員諸兄の献身のお陰です。感謝申し上げています。
以上、伯国農大会の30年の流れを記述してみました。最後に農大会議室にある三標語を紹介してこの稿を終えます。質実剛健(しつじつごうけん)=飾り気がなく真面目であり、かつ心身ともに健康で強くたくましい様子。 自疆不息(じきょうふそく)=自ら努め励んで怠らないこと。独立不羈(どくりつふき)=何の制約も受けることなく、自らの考えに従って事を行うこと。 「不羈」は、自由奔放で束縛しえないこと。または才知が人並はずれてすぐれていて、常規では律しきれないこと。以上を持って座右の銘とすべし。


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