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伯国東京農大会
     ブラジルの農大生  (最終更新日 : 2009/12/21)
なつかしき先輩の話I 松尾三久

なつかしき先輩の話I 松尾三久 (2004/10/26) 独断と偏見に満ちたる一移住者の回想記1
松尾三久
 昭和36年頃から40年頃までのことである。
毎日の柔道部の練習で痛めつけられて、夜は酒を飲まされたり飲ませたりして、朝は生活の為に牛乳配達をし、休みはいつも土方をして授業料を払うべく働いていた。当然、難解なる津川教授の話やその他の学科も全然理解出来ない日が続き、それは今に至るも、悪夢の如く思い出されるのである。
 今にして思えば、西条八十氏の如く
「若き二十の頃なれや 三年が程も通いしが 酒、唄、たばこ、また女 他に学びし事も無し」
とばかりに振り返ることも出来るけれども、その頃は、暗い青春に悩んだものである。
 その頃の楽しみは、移住研なるものが発行する「海外だより」という本を読むことであった。私はいつもその本を読んで胸を躍らせたものであった。中でも「N」先輩の便りは何回も読んで暗記してしまって今でも覚えているほどである。
「雨季近し 移住者の祈りを込めてマットは燃える」
「暗き夜空に黒き肌 残るは無情 ああ無情なり」等々。
 帰国した「N」氏は、精悍なる風貌にして、その実行力は又抜群の人であった。私は尊敬し、その話を聞き、そして行動を共にするうちに、N氏と共に運命を賭けて(大変大袈裟ですが)卒業後、共に働くということになったわけです。
 1965年、アマゾン河口ベレン市より350km、ブラジリアよりのパラゴ・ミナス郡、そこで私はN先輩、清水先輩、拓大の井上元さんと共に理想郷の建設を目指して働き始めた。
 それは楽しくも苦しくもある開拓の日々であった。そして現実は厳しく、Nさんはマラリアに倒れ、恋に破れ、そしてベレン市を去った。開拓地を去る時「松尾、お前を呼び一緒に働こうと言いながらここを出て行く俺を許してくれ。」と言うNさんに、私は「先輩に呼んでもらってブラジルで働けるようになったことをいつも有難く思っています。お元気でいて下さい。」と答えるのが精一杯であったことを昨日のことのように思い出す。
「義理を忘れちゃ男がすたる 意地が若さをもてあます 人情一つにつまずいて 泣くにも泣けぬこの町は つめたい町さ 東京東京無情~」
と歌いつつパラゴ・ミナスを出たNさん、今ではベレンでも大成功されていると聞く。アマゾンの長、長坂「N」さん、懐かしくてならない。いつの日か七月の同窓会でお会いしたく思っております。
 K先輩、この舟木一夫にも似た貴公子然とした先輩は又私の憧れであった。(私は先輩コンプレックスがあったのかもしれない?)そのキコーシがアマゾンのモンテアレグレにやって来てもう三十年、おしもおされぬモンテの顔役である。酒も強くなられて…。
 移住十年頃、東京から奥様を呼ばれたが事情があって一年後に奥様を東京まで送られたと聞く。そして私はそのコラージェン(度胸)に驚くのである。私にもその度胸があったならと、それがあれば今とは違った状況になったであろうと。だが、すべては運命なのであると思う。アマゾンの岸靖夫先輩よ、又お会い出来る日をお待ちしております。

 こういう立派な先輩をもつ私ではあるが、中々出世もせずミナス境の山地で、日中は現地の女性たちの心の痛み、身体の痛み等を取ったり、夜は道場で子供等を投げ飛ばしたりしてテキトーに暮らしている。もう北伯アマゾンともエンが切れてしまった、と思っていたが、今年から次女がマナウス市IPAMAというところで働くことになり、私も又北伯へ行くチャンスがあるかも知れない。
 その時は北伯のセンパイ、どうぞよろしくお願いいたします。ではこの辺でさよーなら。
(1995年7月1日 伯国東京農大会 会報23号)


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