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     ブラジルの農大生  (最終更新日 : 2009/12/21)
私のブラジル農業人生  荒木克弥

私のブラジル農業人生  荒木克弥 (2004/10/26)
荒木克弥
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 私共の生きてきた二十世紀もあと三年で幕を閉じようとして、世界は今や政治経済、商工業もまったく不透明なまま、激動というべく変革が来る二十一世紀に向けて、大きく動き出してきているのが現状である。農業面でも最近の海上輸送や航空輸送、その他の流通手段の発達と、通信網の利用によるグローバリゼーション化が、地球の裏側とされている南米・ブラジルにも、ひたひたと迫ってきている。
 例えば、近年サンパウロ市の日系家庭の食卓や、お寿司屋さんでにぎられている白米が、北米加州で作られた田牧米で、聞くところによれば、この田牧米は福島県からの実習生の田牧さんが加州に進出して作られた水田米だとか。
 さらに最近オランダで品種改良されたスプレー菊の苗が毎週何十万本とブラジルのサンパウロ空港から日本の成田空港に輸送され、三ヵ月後には愛知県から出荷されて、日本の仏壇に飾られているが、このことを知っている方が果たして何人おられるだろうか。また時には、グリーンオニオンや玉ねぎが北海道で不作であれば、チリから大量に買い付けされていくし、その他数々の果物や花が世界の空を駆け巡っている。
 ブラジルの私の農場からも、花の付く観葉植物と言れているスパティフィラムの苗が増殖育成されて、沖縄の生産者に送られ、白い花の付く寸前に本土の生産者に受け継がれて一般家庭に行き渡るという、完全なリレー栽培が実施されている。こんなことは、今から三十七年前の1960年、私が北米加州に農業実習生として渡った時には想像もできなかった。
 当時1ドル360円で、学生アルバイトが一日重労働して500円も貰えば上機嫌の時代であったが、そんな時代に東京農業大学の四年生になったばかりの、何も知らないイガ栗頭の坊主を、国際農友会の第九回派米実習生として、全国の農村青年の皆様の一員に加えていただいた時の感動が、私の人生を大きく変貌させてくれた。雲一つない紺碧の空、どこまでも続く果てしない白線も眩しいフリーウェイ。整然と植え付けられた、企業的農業経営として栽培されている加州農業を、車窓から見せつけられた時の驚きは、四十年近く経った今でも、強烈に私の脳裏に焼き付いていて離れない。
 私のブラジルでの農業人生は何であったかと、ふと考えてみれば、若い時代の、奇しくも強烈に焼き付けられた、別世界の如き米国の加州農業が始まりであった。山形と東京しか知らない全くの田舎者が、異人種の世界に放り出された時の驚きは、あたかも真っ白い布地に真紅の字を書きなぐられたようなもので、その感動を爾来持続させつつ、私なりに編曲しながらも、移り住んだここブラジルでの花卉産業の発展に寄与させてもらってきた。そしてまた、己の花卉園の造成に夢を膨らませ、その情熱を今日まで燃焼させ続けることにもなったのである。
 実習生だった頃の私の大きな励みであり、支えでもあったものに、加州サンディエゴの篤農家、知野潤三氏からいただいた一言がある。「昔の農家は『失敗は成功のもと』であったが、これからの農家は『成功が成功のもと』で、小さな失敗も許されない。充分な調査と、きめ細かい計画性と、大きな視野の上に立って農業をしていけ…。」このお言葉が常に私の胸にどっしりと腰をおろしていた。
 年男を五回迎えた現在、サンパウロ市郊外の温室5ヘクタール(1万5千坪)と、アマゾン河中流のマナウス市(人口150万)近郊に、四人のパートナーと五年前に設立した有限会社の蘭農場14ヘクタールが私の全てである。マナウスの蘭農場では、熱帯性気候を好むニューギニア原産のデンドロファレノプシスという東洋蘭を生産しているが、この東洋蘭はもともと、マナウスと同じ赤道直下のシンガポールで栽培され、切り花として全世界に売り出されているものである。我々は、南米大陸諸国と北米東海岸諸州、カナダ東部の市場をターゲットとし、蘭の生産開始にあたっては、風向、温度、雨量、水質、商品空輸時に利用する空港設備をあらかじめ綿密に調査したのであった。そして現在は、ブラジルの消費市場だけで黒字経営に入っており、大変順調な滑り出しである。また、余談であるが、この農場の労働者は全て、文明に順化したアマゾンのインディオだけであり、我々日本人(特に私など)は、このインディオに良く似ているらしく、農場を訪問した際に間違えられることもしばしばである。
 このようにサンパウロと3千キロ離れたマナウス市近郊の二つの農場を駆け回り、美しい花に囲まれて、大勢のブラジル人と共に、毎日楽しく花の栽培を続けられることに感謝したい。そしてまた、今では日本の花の篤農家の皆様と深い親交を結ばせていただいたり、千葉大学の安藤敏夫先生を中心に、広く各大学や各県の農事試験場の花の専門家である諸先生方にご指導を仰いだり、交流させていただくことができるまでになったことも、ありがたく思わずにはいられない。
 地球はどんどん小さくなってきている。最近では衛星放送でNHKの番組が、私共のブラジル全国の茶の間のテレビに流れ、あたかも日本の何処かに住んでいると錯覚させられるほどである。また、私共の花のビジネスも、北米フロリダの業者から連日ファックスが入ってくるし、日本、オランダ、タイ、コロンビア、エクアドル、アルゼンチン、ニュージーランドと、約十ヶ国の花関連業者と何らかの取引が進行中である。そんな中、はなはだブロークンではあるが、英語、スペイン語、ポルトガル語、日本語の四ヶ国語を駆使し、この仕事を通じて国際交流をしているのだと、悦に入っている。
 しかし、次第に移民一世の私には荷が過重になりつつあるのも事実で、次世代のブラジル生まれで、横文字の教育を受けた息子たちにバトンタッチすべき時期がいずれ到来することも覚悟するようになった。ところが、これらの若い者たちは、インターネットや言葉の自由さから、物事をかなり表面的にとらえやすいきらいがあるので、物事の内面的な深みをこれからじっくり教えていくのが、私共一世に課せられた義務であると言い聞かせ、花卉園芸の後継者の若者たちを集めては、己の浅学を承知で、遠くの先輩方からいただいたものや、自分の経験を彼らに口移しで伝えることも実践中である。
 地域産業の活性化問題とあわせて、若者たちとの語らいの場を設ける、この運動も足掛け十年になろうとしている。現在、語らいに参加していた青年たちの中には、大学を卒業し、外国での研修も終え、実社会で花栽培の後継者として活躍する者も出始めたが、今後もより一層、若者たちに、あきれられても、飽きられても、苦言を呈しつづけていく覚悟である。
(1997年7月1日 伯国東京農大会 会報27号)


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