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伯国東京農大会
     随 筆  (最終更新日 : 2007/05/21)
鈴木達弥兄を偲んで又普段考えている事

鈴木達弥兄を偲んで又普段考えている事 (2004/10/31)
ブラジル農大会 石川準二
 皆さんも新聞等のニュースでご存知だと思いますが、若手のホープであった鈴木達弥こと「タッチャン」が三月二十五日に、押し入り強盗によって殺害されました。タッチャンと言えば「タッチャンのミニミニ情報」で、世界の農大OBたちの活躍振りを速報で私達に報せてくれたりした情報マンでした。
 彼はラン栽培という労働の傍ら、このミニ情報を編集してインターネットの設備がない、多くの校友達に郵送してくれて居たのですが、これの編集に当たっては、可成の時間が割かれていた事と察します。昼の厳しい労働から開放されて、彼の幽玄の世界に没頭出来る唯一の楽しみが、このインターネットを通じて世界の遠く離れた校友達との交流で有ったのではないでしょうか。ブラジルには何度かに亘って来ており、学生時代の友人達(志雄塾)が沢山移住しているパラグァイのイグアスー植民地に行かず、ブラジルを終の住家と決めてアチバイヤを居住地としたのには、それなりの覚悟があったからでしょう。
 私がタッチャンと初めて会ったのは六年ほど前に、開発学科の早道先生がペルーの学術調査の時に、一寸足をのばしてブラジルに来た時に、沖校友に案内されて、独立間もない彼のラン園を尋ねたのが初めてです。圃場もまだ雑然として居て、一人で黙々と泥にまみれて頑張って居た彼の姿が、今でも目に焼き付いています。その後、タッチャンとは会うことはあっても、圃場を、尋ねることはなかったのですが、たまたま日本からの研修生を、近所に住む藤原ラン園に案内するために、タッチャンに案内を頼んだ所、快く引き受けてくれて、電話の説明だけでは判らないだろうからとFAXで略図まで送ってくれたのです。目的の訪問も無事に終え、タッチャンを交えて近くのレストランで昼食を共にしたのが彼との最後になってしまいました。
 私達の日々の生活の中に生と死が紙一重で織り合っている事が痛感された事件でした。戦前にブラジルに移住した校友も二〇〇二年に亡くなった久万先輩を最後に居なくなりました。戦後に移住した私達も、既に齢七〇才を過ぎた方も居り、私を含めて何時お迎えが来てもおかしくない環境に入っています。その様な時期にタッチャンの様な若手が亡くなっていくのは本当に残念でした。又ブラジルの環境も、新しく来た若い方達にとっては必ずしも良い環境とは言えない様で、長い間頑張って居た須藤君、坂本君と続けて家族共々日本に帰ってしまいました。せっかく出来たブラジル農大の組織も、引き継いてくれる若い次の世代が育たなければ消えていく運命になるのでしょう。そうかと言って悲観ばかりして、何もしないというのは、いけない事で、今の私達に与えられた時間と体力で、後進達に負担をかけない様に、会の運営の基礎をしっかりと作っておき、次の世代にバトンタッチをして行きたいと常々思っています。人生は一度きり、二度と経験することは出来ません。人生に悔いが残らない様に先輩、同僚、後輩達の話をよく聞いて、残された人生を充実したものにして行きたいですね。
(2004年8月 伯国東京農大会 会報40号)


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