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(最終更新日 : 2007/12/19)
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大地に生きるアマゾン農業 宮内敏行(2007年)
大地に生きるアマゾン農業 宮内敏行(2007年) (2007/05/21)
~自然との共生を目指して活躍する同窓生たち~
宮内 敏行
愛媛県松山市越智町
(昭和三十年農学部農学科卒)
元愛媛県農業試験場長
元愛媛県立農業大学校長
私は機会を得て一昨年、四十二年ぶりにブラジル・アマゾン地方を再訪した。昭和三十二年からアマゾン川流域で農業実習生として一年余り生活した経験があり、その後、これら移住地がどのように変化・発展したかをこの目で確かめたいという期待と一抹の不安を抱えながら成田空港を出発したのだった。
戦後、ブラジル移住が再開されたのは昭和二十七年頃からのことだ。アマゾン地方の広大な土地、豊富な水と資源を生かし、米、コショウ、ジュート麻、ゴム、カカオなどの栽培を通して生計を立てようと、新天地を求めて家族移住や青年の単身移住が盛んになっていた。私が渡伯した昭和三十年代は、東南アジアから導入したコショウがトメアスー移住地で定着、「黒ダイヤ」とも言われて一大ブームを巻き起こしていた。開拓地にはコショウ御殿が次々と建ち並び、生活様式も近代化されるなど、営農・生活ともに安定充実した時代だった。
ところが今回の訪問で、あれほど隆盛を極めていたコショウも、土壌病害の発生などで土壌劣悪化が進み、昔の面影はなくなっていた。そして入植者が処女地を求めて、奥地へ奥地へと移動している現状を見たとき、熱帯作物の定着の困難さと経営の難しさを肌で感じ取ることができた。
このトメアスーは、アマゾン川支流の集落で原始林に囲まれた日系人の多い静かな移住地だった。ところが近年、世界的な木材需要に呼応して製材工場が新設され、広大な原始林が次々と切り開かれた。用材である黒壇、紫壇、アカプー、マサランドゥバーなどの高級木の乱伐と盗木が進み、緑一色の鬱蒼とした原始林で覆われていた面影を今は残していない。そして、森を上空から見たとき、随所に赤茶けた地肌が現れ、確実に人工的な開発が進んでいるのが分かる。
このたび訪れたのは雨季の最中。四十年前に住んだときには、毎日決まったように午後三時から四時頃にかけて四、五十分間、強いスコールが降ったものだった。これこそが熱帯での雨季の特徴でもあった。しかし、今回の訪問中は朝から雨がしとしとと降り続き、さながら日本の梅雨を思わせた。「最近、特にこうした雨の降り方が多くなった」と在住者は言う。信じたくないが、ここでも気象異変が起きている。果たしてエルニーニョ現象によるものか、乱開発による天候異変なのかは定かでない。
このように今、アマゾン地方では広大な原始林の伐採や乱開発、異常気象などの大きな変化が急速に生じている。これに対して、一九九二年の「環境と開発に関するリオ宣言」を契機に、移住者たちも“加害者”の一人であることを深く反省する動きが出てきた。認識を新たにしてアマゾンの森を守り、環境保全のあり方を真剣に考えて取り組む機運が日系人も含めて醸成されつつある。
それは、規模拡大のために行われてきた焼き畑農法による開拓や、多肥・多労による日本式の集約農法などの見直しを通じて、自然との調和と共生を目指した基盤整備と営農技術の改善に現れつつある。特にアマゾン川流域に永住する農大卒業生三十余人が常に地域のリーダーとなり、仲間を集めて「アマゾニア森林保護植林協会」をつくり、「地球人一人一本」の植林運動の展開などに取り組んでいる。さらに、コショウ、果樹、野菜などの混植(多断層栽培)による「空間利用混植立体農業」を編み出すなどの営農改善やボランティア活動の実践なども行われている。
また、熱帯特有の緑一色の景観から、花のある町づくり、アマゾンに咲く樹木を集めての森林公園の設置を計画するなど、土地と水と緑と人を大切にしながら、自然と人間が共生出来る農業の展開に積極的に取り組む姿は、以前では到底、想像もできなかったことだ。これらの計画は、費用と時間がかかる遠大なプロジェクトであるには違いない。しかし、住民一人ひとりの地道な取り組みが世に訴え、世界に向けて環境保全への警鐘を鳴らすきっかけともなろう。
今、日本農業は内憂外患の時代だ。生き残りをかけた生産性向上のため、種苗生産も含めてハイテク技術を駆使しながら新技術の開発、新経営方式の確立に懸命である。ただ、効率性を追求するあまり、自然生態系や土地条件、さらには気象環境をも破壊し、国民が真に求める安心、安全、新鮮さや旬の味、季節感を喪失させてはいないだろうか。「再考」してみる必要はないだろうか。
開発と保全は、常にいつでもどこでも両刃の剣となり得る。最近、エコロジーを重視した、環境に優しく、人間と自然が共生できる農業の確立が急がれている。しかし、農業の基本は土地を守り、地域の特性を生かしながら環境に適応する土づくり、技づくりから始めることが重要である。
農業を意味する「アグリカルチャー」という言葉は、「アグリ(土地)」と「カルチャー(耕す、文化)」という語から成り立っている。つまり、農業は土地を耕すことから始めて、楽しみや文化をはぐくみ育てるものといえよう。「農」こそ、大地に根付いた基本的な「業」である。生あるものは土に帰るという仏教の教え、すなわち「輪廻」の意味を今一度かみしめながら、現在、地球規模で開発が進んでいることが将来何を生じさせるのかを真剣に考えるべきだろう。
愛媛では先日「甦れ!農」というタイトルのシンポジウムが開かれた。今更なぜ、こうした言葉を取り上げなければならないのか。これまでの農業の経済効率性を追求するあまり、「農」の本質を見失い、自然の摂理を忘れて自然と共生できなかったことにあるのではないか。
「農」は人類が生きて行くための原点。そこから経済や文化、教育、歴史が生まれることを再認識し、「農」の再興を世界共通の課題として取り組むことが大切だ。このことが東京農業大学の果たすべき大きな役割の一つでもあると信じている。
なお、アマゾン川流域に在住する同窓生たちは、日系人を含め、地域の人々の信頼も厚く、産業組合長、日本人会長、日本語学校長、文教協会長など数多くの要職に就かれている。S氏のように、僧侶となり「人の道」を説く毎日を送っている方もいる。地域社会へのボランティアも含め、多方面での幅広い活動が顕著だ。アマゾンでも建学の理念である「質実剛健」を基本に「科学性と実用性」が存分に発揮され、いかされていることを付記し、ますますのご活躍を祈ってやまない。
(東京農業大学「学報」1998年度掲載)
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