2月の日記・総集編 をとこもすなる日記… (2004/02/29)
2/11記 をとこもすなる日記…
於サンパウロ 在ブラジルの畏友・櫻田博さんの協力を得て、日記のサイトを開始。 人様より一世紀遅れてパソコンいじりを始めてから一年あまり。 これまでお世話になってきた方々、そして私の人と仕事に興味を持ってくださる方々への御礼の意を込めて、というのが主な理由。 さてブラジルの新聞報道によると、地球上の人類でインターネットにアクセスできる人たちは5パーセント程度とか。 私の取材の被写体となってくれた人たちの大半は、残り95%である。 電話もない人たち、そして郵便を送る術もない人たちも多い。 その人たちをアクセスの面倒臭さを理由に「切ろう」と思うようなことがあったら、私が記録と表現を辞める時、と決意をしつつ。
2/12記 とってもブルー
於サンパウロ さっそく四十五の手習い、未明よりホームページの日記入力で試行錯誤。 「文字の色を変えるには、font colorと入力して、それから英語のスペルでブルーならブルーと入力すればOK。パープルぐらいまでは対応しますよ」という櫻田さんの指導にしたがって青字に挑戦、brueと入れてみた。 しかし、変換した色はどう見ても紫。 なんだこのシステムは!と思いつつ、考え直すと、ブルーはblueだったかもしれない… blueでやってみると、ちゃんと青に。 顔色がブルーになりました。 RとLってホント、むずかしい。 こちら生まれの10歳の娘にもよく指摘されるが、ブラジルのインディオたちにもバカにされたことがあり。 このお話しは「BUMBA」の方の連載にでも書きましょう。 タイトルは「インディオたちにバカにされ」かな。 「RとLの悲劇」も浮かんだゾ。
2/13記 徒党を組まず
於サンパウロ 3月初旬に急きょ訪日することになり、残務でバタバタ。 次回作「アマゾンの読経」のこちらでの残りの取材がなかなか進まず。 ここ数日は2000年に急逝した中隅哲郎さんについて、未亡人のみつ子さんからうかがった話のテープ起こし作業がメイン。 中隅さんは「ブラジル学」を提唱し、「ブラジル学入門」(無明舎)他の優れた著書あり。 自然科学から人文科学まで、あらゆる知の体系を咀嚼してブラジル学を構築した功績は偉大のひとこと。 私がブラジルに来て出会った人で、知的な意味で最も刺激的だった人だ。 ブラジルの日系人社会は、徒党を組むのが大好きな人が多い。 中隅さんは徒党を組まなかった。 みつ子さんも「今さら中隅なんて誰も…」とこぼす時もある。 徒党を組まないことの可能性を、やはり徒党を組まない後進が残さねば。 みつ子さんの聞き書きは「Bumba」誌上に発表するつもり。 原稿料なし。 中隅流に、なんとかなるでしょう!
2/14記 時を戻す中年
於サンパウロ 今日でサマータイムが終わると新聞・テレビで報道。 夜中十二時に時計を一時間戻すことに。 朝、一時間ゆっくりできるありがたさ。 南半球の当地では、日がジワジワと短くなっているのを実感。 平日は未明から夜分まで、夫婦で手分けして子供の送り迎え作業があり。 日系人の誘拐が「産業」にまでなっている犯罪都市サンパウロでは、暗い時にあまり子供と出ていたくないもの。 誘拐業者さん、「清貧」日系家庭のお子チャマは狙わないでね! エコロジー時代です、お互い無駄は省きましょう!
2/15記 キリエ…
於サンパウロ 今日も、雨。 パラグアイからサンパウロに治療に来ていた義妹の夫が今朝未明、他界。 奇跡を願う日々だったが… 合掌。
2/16記 銃後の守り
於サンパウロ 義妹の夫は故郷ミナスジェライスに今日、埋葬されることに。 家内も現地へ向かう。 バガボンド亭主はサンパウロに残って、お子チャマ二人の送迎を仕切ることに。 バガボンドの取材中、訪日中は家内が日銭稼ぎの本業の合間にこれをこなすのだから、こりゃ大変。 岡村作品の陰に、支える女あり。
2/17記 カチアさんとファベーラ
サンパウロ→アチバイア→サンパウロ 昨日、女性牧師のカチアさんから電話あり、1月31日に不肖岡村が撮影して3日がかりで編集したビデオ、ファベーラ(スラム)で大好評だったとのこと。 お家の大事もあり、同席できなかったのは残念。 お子チャマがテレビとビデオを使っていない未明より、頼まれた本数のダビングを開始。 ところが我が家のVHSデッキが三台とも不調。 ブラジルもDVD時代だというのに、つらいところだが新規購入せねば。 持ち出し仕事にさらに出銭。 カチアさんはプロテスタント系の自由メソジスト教会の牧師。 1997年、「生きている聖書の世界 ブラジルの大地と人に学ぶ」という自主制作ビデオをこさえた。 ブラジルの社会問題と、その現場で活躍するキリスト者たちの姿を紹介しようという企画で、サンパウロのファベーラを取り上げたくなった。 うちの子供の通っていた幼稚園と連なる教会が何かやっていたぞ、と思い当たり、カチアさんとのご縁に。 カチアさんはサンレモというファベーラで、伝道と託児所作りに奔走していた。 そのあたりは上述の拙作で紹介。 さて、ついにその託児所計画が結実し、落成式をぜひSR.JUNに撮ってもらいたいと言う。 本望。 事前に何度か打ち合わせをして撮影プランを考え、当日、式を仕切るカチアさん自身をリポートとする演出で臨む。 当日、昼間から現場へ乗り込む。 久々のファベーラに興奮。 筋を通して入らないと、とんでもないことになる。 式そのものは夕方から屋外で、という設定だったが、雨期のサンパウロはキリスト者の都合は聞かない。 子供たちの出し物の最中にスコール。 託児所のいちばん大きな部屋に人が入れるだけ入って続行、となったが今度は停電!オー、メウ デウス。 カチアさんはひたすらガックリと来ていたが、逆境でこそ岡村の出番。 タダの式典なんてオレが撮っても始まらない。 大雨・停電・そしてスラム(治安!)というエラいハンデがあってこそのドラマを撮る。 レース中のセナじゃないけど、撮影中に神を感じるほど。 その成果が彼女に、何よりもファベーラの、子供も含めた住民に大受けと聞き、ひたすらうれしい。 作品リストにもいれてない仕事だけど。 昨年以来、心に残るこうした現地のための、リスト外の小品をいくつか作っています。 JICAあたりの派遣で、日本国民の血税から高給をとってブラジルくんだりまでビジネスクラスで「ボランティア」に来て下さる偉い人は多いようだが、こちとら、清貧の身で自腹切ってさせていただいております。 「勝ったのはあの百姓たちだ」。 こんなセリフを吐きたくて、移民となってブラジルくんだりまで来てドキュメンタリー屋をやっているのです。 そういえば、あのファベーラの豪雨も敬愛する黒澤作品のパクリか? 持ち出しズブヌレでやってんだから、著作権侵害なんて言わないでね!
2/18記 アントニオ岡村VSマルコス森田
於サンパウロ 夜、友人をそそのかして地下鉄コンセイソン駅近くの日本レストラン「もみじ」へ。(Av. Dr.Luiz de Rocha Miranda,163 Fone.11-5017-9786) このお店は雑誌「Bumba」はもとより、その前身に当たる「オーパ」時代以来からの不肖オカムラの連載記事のイラストを描いてくださっている森田マルコス哲治さんの経営。 最近、発行された「Bumba」第21号でも、息を飲むイラストを提供してくれた。 森田さんは色鉛筆、カラーボールペンを用いて作品を仕上げている。 「もみじ」店内で森田さんのオリジナル作品を見ることができるが、スゴイ! のひとこと。 絵そのものの味わいも深く、近距離から見ると、色鉛筆ないしカラーボールペンで描かれていることがわかり、ただ感嘆! 「Bumba」の連載も、岡村は好き勝手なことを書くだけだが、それをよく読み込んで、毎回ユニークな切り口でイラストを創作してくれている。 しかもホントのボランティアで! 不肖オカムラも原稿料なしで駄文を提供しているが、森田さんのイラストが楽しみでやっているようなもの。 ぜひ現物をご覧あれ!
2/19記 蠍座の男
於サンパウロ このサイトを見てくれた高校時代の友人から、こんなメールが届く。 「…岡村監督を怒らせるとペンで報復されることを思い出しました…」 高校時代、学校当局相手に筆禍事件を起こし、自宅謹慎処分となったことあり。 クラスメートに見事に売られた。 最近、いちばん頭に来ていることは「分別」と「戦略」から、今は書かない。 いつか、刺すからね。 このサイトにこれまで挙げた拙作リストからは想像がつかないことでしょうが、岡村とその作品を忌み嫌って、日本で上映会の企画があると主催者に中傷と抗議をしかけてくる権力と大資本の走狗もいるのです。 カネにも賞にも縁はないが、こちとら自由がある。 お楽しみに!
2/20記 憩いの園へ…
サンパウロ→グアルーリョス→サンパウロ 子供二人をそれぞれ送った後、そのまま車で「憩いの園」へ。 「憩いの園」は日系の老人ホームで、このサイトのトップページ上面にある「移民百年祭目次」の中でHPにリンクされている。 在園者の書いた作文集「お母さんの思い出」もサイト上で読めるが、これはすばらしい仕事。 「憩いの園」には10年ほど前、日本のあるグループのブラジル支部の人間、というのにだまされ、そこの大親分が日本から来て訪ねるのを撮影させられたことがある。 どうだまされたかは、いずれ… さて拙宅から車で1時間ほどの所なのだが、同上サイトから地図を印刷して持参したものの、僕の偏差値ではこの地図が判読できず、迷う! 人に三回聞いて、ようやくたどり着く。 周囲とは別天地の快適そうな空間が広がる。 二人の親しいお年寄りが入園している。 まず、昨年末に入園した84歳の男性Oさんを訪ねる。 Oさんのひとり息子は「ブラジルの落書き」中に採録されている「人の死ぬ取材 人を生かす取材」の後半に登場する親友のRさん。 Oさんは拙宅の近くでひとり住まいをしており、目が不自由になられてからはちょくちょく寄らせていただいていた。 老人ホーム入園を拒んでいたので、気がかりだった。 車椅子使用だが、さっぱりとした様子にまず安心。 女性職員たちが本当によくしてくれる、と賞賛していた。 続いて昨年7月に入園した88歳の森下妙子さんを訪ねる。 岡村作品ウオッチャーには注目の作品「60年目の東京物語 ブラジル移民女性の里帰り」(東京メトロポリタンTV「映像記者報告」にて1996年放送)の、あの森下さんです。 森下さんがこれまで入居していたホームは拙宅から車で10数分、訪ねずにはいられない厳しい所で、ちょくちょく寄らせてもらっていたが、こちらに移られてからは、「グアタパラ編」の追い込み、訪日などで、気がかりながら訪問を果たせなかった。 再会の抱擁をした後、お部屋で諸々の話をうかがう。 在日本の肉親に近況を伝えることを約して、写真撮影。 Oさんと森下さんの居場所は離れているが、仏教講演会を聞きに来たOさんに森下さんを引き合わせる。 ここで思い出す、先述の「人の死ぬ…」に森下さんのことをT子さんとして書いているが、すでに岡村を介して森下さんとOさんのご子息が触れ合っていたのである。 我が業は越中富山の薬売りに似たり。 訪日まで、あと10日ほどだが、特に気がかりなことを果たし、帰りの渋滞の中も心地よい疲労感に包まれる。
2/21記 往く人 来る人
サンパウロ 午後から雨。 この時期は人の移動・異動が多い。 日本に帰国する駐在員と家族、研修期間の最後に遊びまくる若者、カーニバル観光等でやってくる在日・日本人… あの世に移籍する人も。 そんなことでほぼ連日、会合や会食が続く。 今日は日本から来た知人と東洋人街で6時間ばかり話しこむ。 さすがの岡村も声のトーンを落とす内容もあり、詳細はヒ・ミ・ツ。
2/22記 ブラジルの非国民
サンパウロにて 終日、雨。 カルナヴァル(カーニバル)休暇突入中。 最近の調査で、ブラジル人の過半数がカーニバルはキライ、と出た。 お互い、もうステレオタイプはやめませうね。 不肖岡村も嫌いとまではいかないが、あまり関心なし。 思い返してみると、これまでカーニバルを取材したのも、ついでがあってのことで、しかもアマゾンの町。 来週から一ヶ月ほど極東の日出づる国に向かうため、それまでに原稿を三本ほどデッチあげる要アリ、それに加えてお子チャマが発熱という現実。 大黒柱の家内も不調。 映像作家返上の貧乏文士生活であります。
2/23記 嗚呼IT社会
サンパウロにて 今日も雨。 実は三月の訪日の際、フィリピンまで足を延ばすつもり。 東京―マニラはさる航空会社のマイレージを使おうと思っていたが、ホームページからはできず、アメリカか日本のオフィスに国際電話をして予約をしなければならない。 おのれの英語力を考慮して、日本にTEL。 「ご希望のフライトがマイレージ使用可能かどうかわかりかねるので、明日また電話を下さい」とのこと。 さて今週末に密命でリオに行く要あり。 アサイチでリオにいる必要があるので、夜行バスで行くか、一番のフライトで行くか、リオのホテルの予約を頼んだ旅行代理店に電話をしてみる。 代理店がアサイチだという便では少し遅い。 夜行バスを覚悟しつつ、いくつか航空会社のサイトをチェックすると、もっと早いフライトがあるではないか! ホテル代も含めて支払いをひとつにしたいので代理店にまた電話をすると、自分のところのオンラインではそんな便はない。その航空会社に電話をしてみたら?と。 電話をすると、「あります」。 代理店の代理をお客さまがさせていただいたこの先は、メンドクサイので省略。 嗚呼。
2/24記 落書き一覧
サンパウロにて 当サイトの「関連メディア」に掲げているサイト「ブラジルの落書き」を管理・運営してくれている作家の星野智幸さんが、TOPページに手を加えてくれて、岡村の書きなぐったエッセイを年代別に並べてくれた。 感謝。 塵も積もれば山となる。 星野さんには上記サイトの他にも、創作面でもお世話になっている。 星野さんの著作のうち、 2002年発行の「毒身温泉」(講談社)中の「ブラジルの毒身」は、オカムラとオカムラ作品(をモデルとした)の登場人物がこぞってアマゾンに乗り込むという空前絶後の設定。 2003年発行の「ファンタジスタ」(集英社)中の「砂の惑星」では、わざわざ拙作「郷愁は夢のなかで」のクレジットを入れてくれている。 拙作は作家の中で丹念に咀嚼され、見事に消化・昇華されている。 この作品は、すごいとしか言いようがない。 星野さんは、義の人。 ラテンな縁で、すごい作家と関わってしまった。
2/25記 三レアイス文士生活脱出?
サンパウロにて カルナヴァル休暇は今日まで。 休暇中のノルマとした三本の原稿のうち、いちばん不安だったものをなんとかデッチ上げて形に近づける。 あとは編集者をダマせるか。 敵が間違ってこのサイトをのぞかないとも知れないので、詳細は活字になるまでナイショ。 あ、オタクの原稿はちゃんと書いてますのでご安心を、日記をご覧下さった編集者さん、他の原稿料の安いヤツの話ですから! 筆者註:レアイスはブラジルの通貨レアルの複数形。100円で約2.5レアイスなり。
2/26記 機ニ臨ミ変ニ応ズ
サンパウロにて 明日からのリオ出張、来週からの訪日を控え、朝からあちこち所用でまわるつもりが、カルナヴァル休み中、ずっと風邪気味だった下のお子チャマがよくならず、学校を休むことに。 バガボンド亭主が午前中、付き添い、午後から家内とバトン・タッチ。 リベルダージ(東洋人街)を中心に、雑用・残務・ご挨拶等々。 用事を減らしに行って、かえって新しい用事をいくつもしょいこむ。 本業の薬は売れない越中富山の薬売りである。 さあ、夜の部もあるゾ。
2/27記 リオへ飛ぶ
サンパウロ→リオ アサイチの飛行機でリオに向かう。 昨晩用意していたシャツはやめて、中隅みつ子さんにいただいた、故・中隅哲郎さんの半袖ワイシャツを着ていくことにする。 機窓より雲海に沈む未明のビル群を眺めつつ、死者たちを心に留めて頭を垂れ、短い旅路に着く。
2/28記 ファヴェーラ観光
リオ→サンパウロ 人との出会いの醍醐味を味わうリオ遠征となった。 ヒョンな経緯からファヴェーラ(スラム)観光に参加することに。 これはオモシロイぞ! 観光でこんなに興奮したことはあっただろうか。 キリストさんも砂糖パンもすっ飛んだ。 場所はブラジル最大を誇るファヴェーラ・ロッシニャ。 「ブラジルの落書き」にBUMBA誌連載から再収録してもらっている拙稿「北朝鮮的現実…」で告白した若き岡村夫妻が強盗に遭ったのはこの近くである。 今回の観光でそのトラウマが見事にプラスに転換された。 リオとアホな日本人をテーマにあと二本、エッセイ連載用のネタあり。 世にデマカセとアホな日本人は尽きず。 ひとつのタイトルは「ファヴェーラなめんなよ」に決めていた。 岡村ウオッチャーの皆さん、雑誌BUMBAもよろしくね! そろそろアップロードかな、という頃にはもうこんな日記やめてるから! …さて、どっちの方が長く続くか。
2/29記 読者と共に
サンパウロにて この歳になると、ぐっすり一晩寝ても疲れが抜けない。 朝、ヘロヘロしながら昨28日の日記のデッチ上げ。 昼のさる会食のための外出を前にメールをチェックすると、日本は神戸の友人から件名「こじゅうと」のメール。 本文「日付、間違えてます」。 あわててサイトの日記を開くと、今朝したためた日記が確かに2月18日となっている。 またしても、時を戻す中年。 赤面しながら修正を試みるが、何度トライしても「本日より大きい日付は入力できません」と出て、18日になってしまう。 処置なしで管理人の櫻田さんに電話すると「また、何か?」。 事情を話してチェックをしてもらう。 もと旧石器人の岡村にはよくわからない理屈でこういうことになったとのこと。 神戸の友人に件名「嫁の言い分」で返信しよう。
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