7月の日記・総集編 虹の谷の七月 (2004/08/01)
7/1記 七月休み
サンパウロにて 今日からほぼ一ヶ月、子供たちの学校が休み。 早朝の送りがないだけでもオヤジも一息つく。 ブラジルとはいえ、今時の都市部で親は共稼ぎ、お手伝いさんや祖父母といった戦力がいないと、子供たちは朝はまだ暗いうちから、夕方は外が真っ暗になるまで家を離れていることになり、なかなかご苦労なことである。 七月は子供優先にして、その合間にできることはしておく、と割り切ることにしている。 さっそく今朝、子供を水泳に送りに行った帰り、本業がらみで思わぬ出会いに恵まれる。 さあ、またたまってきた原稿も書かねば。
7/2記 模様替え
サンパウロにて 休暇を利用して、拙サイトの作りをを少しいじってみる。 読者サービスとして、ひとり取材を始めてからのテレビ放送作品の作品別紹介ページを新たに設けました。 ボチボチと小出しにご紹介していきます。 けっこう本数があって・・・ 「アマゾンの読経」の脇を固めるため、さる人に会う。 居合わせた方々から、なかなか食指の動く別のお話もうかがう。 まずは今の作品を仕上げてから。 いずれにしても記録する価値はあっても、経済的に採算のつじつまを合わせるのは不可能に近い。 少しでもマスコミに売れるようにセンセーショナルに加工して、なんていう器用さはもうなくした。 不器用なりにつじつまを合わせてきたつもりだが。 そんな不器用をいつまで貫けるか。
7/3記 写真を読む
サンパウロにて 日本の大手新聞のサイトを見ていて、思わぬ名前を発見。 日本写真家協会が名取洋之助写真賞を設けるという。 名取洋之助。 僕がブラジルに移住しなければ、おそらく縁はなかったろう。 拙作「ブラジルの土に生きて」は、主人公の石井敏子さんの在日本の妹、牧田松子さんがスポンサーとなった作品。 記録にこだわる松子さんは、自分が社長を務めた日本の大手テレビ制作会社に在ブラジルの姉の取材を打診するが相手にされず、妙な縁のあった岡村に声がかかった。 その牧田松子さんは、大日本帝国時代の東京と上海で名取の秘書をしていたのだ。 夫となる写真家の故・牧田仁は名取の門下。 その縁で名取の仕事を知ることになる。 名取は1931年、ヒトラー台頭前のドイツでフォト・ジャーナリストとしてデビューする。 その仕事の「新しさ」に僕は愕然とした。 僕の友人・知人に第一線で活躍する現役のフォト・ジャーナリストが何人かいるが、彼らに名取の名前を出しても、歴史的教養という程度の認識のみであることにまた驚いた。 ちなみに今、Googleで名取を検索してみると、なんと9件のみ! 今時、無名のオカムラの名前でも・・・ この文化的断絶は何だろうか。 名取が大東亜戦争中に中国で文化工作に関与したせいか。 いや、名取が戦後に発刊した「週間サンニュース」というグラフ雑誌も実に「新しい」ものだ。 名取は絶版だが岩波新書で「写真を読む」というすばらしいテキストを残してくれている。 残念ながら祖国では写真の読み方、映像の読み方も知らない連中が撮る側にまわってしまった。 賞の名前のみでも名取の名前が継承されるのはうれしい。 名取の晩年の仕事「ロマネスク」あたりをじっくり見て、いや、読んでみたいものだ。
7/4記 国籍混交
サンパウロにて 日曜恒例、家内の実家に家族で。 パラグアイから引き上げてきた義妹が昼食を作る。 今日はアルゼンチンの日系三世と結婚した義弟の娘の誕生会をする。 イギリスが長かった義弟の親友がイタリア人の妻と子供を連れてくる。 「昔話」で盛り上がっている。 拙宅にはケーブルTVを導入していないので、実家に来ると息子はカルトーン・ネットワークのアメリカ・アニメにかじりつき。 親父は息子と一緒にいて、チョムスキーの日本語訳本を読む。 もっともっと混じればいい、と自分は日本語圏にいながら思う。
7/5記 ふさわしい政治
サンパウロにて 在サンパウロ日本国総領事館での参院選投票は3日で終了。 おそらく予想を大幅に下回る投票率だろう。 僕の周囲にも日本人一世は多いが、投票した人は情けないほど少ない。 「えー、オカムラさん、選挙なんか行ったんですか。エライですねー」ってな調子。 エライとかの問題じゃない。 在外選挙をするためには、ややこしい手続きを経て在外選挙人証というのを取得しなければならない。 武士の情で名前は出さないが、今日さる団体の代表を訪ねた。 日本政府への陳情の多い、日本人一世が大半の団体である。 そこの親分からしてまだ在外選挙人証を取得していないことを知り、呆れ果てる。 失礼を省みずにとがめるが、さすが古狸、適当にごまかされる。 こういうことだから移民は日本政府になめられる。 ブラジルのことわざに、民衆は分相当の政府しか持たない、とかいうのがあったが、まったく分相当だぜ。
7/6記 数字でみる棄民
サンパウロにて 棄民とは祖国に捨てられた人々のこと、だったはずだ。 しかしどうやら今時のブラジル日系一世は「祖国を捨てた」民となったようだ。 今日のニッケイ新聞(ブラジルの日刊邦字新聞)の社会面の見出しは、 <「大票田」の看板倒れ>。 ブラジルの公館別の投票者数と、選挙人登録者数が掲げられている。 サンパウロ総領事館では、領事館側の予想の3分の1以下の投票数にとどまった。 ブラジルには7万人強の日本国籍保有者がいるとされている。 大半が日本からの移住者だが、駐在員の家族や学生などの未成年者を除くとしても、7万人近い有権者がいるはずだ。 そのうち在外選挙権登録者が14061人。 今回の公館投票者の総数は2609人。 すでに登録の段階で4人のうち3人以上が放棄している。 サンパウロ管轄では登録者のうち、4分の1は遠隔地や病気等による郵便投票が想定される人たちとか。 数字がごちゃごちゃしてきたが、ざっと計算しても有権者の10人に1人以下しか投票していないことは確か。 人は、祖国を捨てる自由がある。 しかし捨てたはずの祖国のその後を批判したり、捨てたはずの祖国におねだりばかりしたりでは、あずましくねえんでねえの? そんな移民が祖国に差別され、無視されるのは、一理あるかもしれない。
7/7記 ナショナリズム
サンパウロにて ブラジルに移住してから、やたらにキリスト教関係者との付き合いが多くなった。 カトリックの神父、シスター、プロテスタントの牧師等々。 別にその人、その教会の信者として付き合っているわけじゃないから気は楽である。 さてそんな関係もあってキリスト教関係の雑誌のバックナンバーをもらうことがあるが、なかなか捨て難い記事に出会うことがある。 とてもわかりやすい言葉があったので紹介したい。 「福音宣教」というカトリックの日本語雑誌の2002年1月号の座談会で、小林望さんというプロテスタントの雑誌「福音と世界」の編集長をしている方の発言である。 ナショナリズムは、その形態においては国家が国民一人ひとりの生死の意味づけを与えてしまうということです。お国のために死ぬことが人生最高の目的ということですね。ですが、本当は国家は一人ひとりの人生に意味を与える機関ではありません。自分の人生の目的を選ぶのは、その人自身でしかありえない。
7/8記 移民床屋
サンパウロにて 彼は自分も画面に出るのかと問うたので、「親方が主役の一人です。耕一坊や親子のときのように自然体で問答をしながら仕事を続けてください。それを撮りますから」と説明した。すると彼は「移民床屋の晴れ姿を撮るのか。それじゃ張り切ってやらなければね」と腕まくりした。 (「航跡 移住31年目の乗船名簿」相田洋著 NHK出版より) NHKというテレビ局は、このドキュメンタリーのために存在したのかと思う「乗船名簿」シリーズ。 最も好きなのはあの床屋さんのシーンだ。 髪がだいぶ伸びた。 リベルダーデの床屋さん、大塚さんのところに行く。 こちらでの散髪は大塚さんと決めている。 大塚さんは独りでされているので、人が重なるときは重なってしまう。 電話で事前に時間をマルカ(予約)して行く。 銀行で監禁されたりして数分遅れてしまい、早足でたどり着くと、 おやじさんは老移民と将棋の後半戦の最中。 「ちょっと待ってて」とのことで観戦するが、この将棋、シロウト目にも・・・ 散髪中に他の客から予約の電話があるが、「今日は忙しいから」。 その客は町で会った時に顔を背けたという。 「女郎だって客を選ぶんだから、嫌な奴の髪を切るぐらいなら、新聞読んで将棋指してる方がいいよ」。 誰かさんと一脈通ずるところが。
7/9記 金魚売りの季節
サンパウロにて 作家の星野智幸さんに運営していただいているサイト「岡村淳 ブラジルの落書き」で新たに「金魚売りと原爆報道」をアップロードしてもらった。 拙サイトの「関連メディア」のページからリンクさせていただいている。 1995年にブラジル発行の日本語雑誌「オーパ」に発表したものに加筆・修正したもの。 この5月に入力して、末文に「在ブラジル被爆者協会はホームページを準備中」と記した。 今週、同協会の事務所に顔を出したが、主人公の森田さんに急を要することで意見を求められる。 マスコミに訴えること、一刻も早く自分たちのホームページでこうした緊急の事態を訴えることを勧める。 ホームページは在日本の人が、まだ準備中、とのこと。 この数ヶ月の間に、在ブラジルの被爆者が2人亡くなった。 残り時間は、多くない。
7/10記 オレガノ豆腐
サンパウロにて 昨日・今日と休暇中の娘の外出の送り迎え業務。 昨日は学校の友人の家に。 おやつは何を食べたの?と聞くと、 豆腐を食べたという。 非・日系のブラジル人宅である。 その友だちは醤油に、オレガノをかけて豆腐を食べたとのこと。 オレガノ。 イタリア料理で、ピザなどにかけるやつだ。 リンク先の連載で「イチゴ寿司」について書いたが、料理だけは食べてみなければわからない。 自分の文化的許容度が試される。 というわけで、昼に、オレガノ豆腐にチャレンジする。 サンパウロの無名一少女が料理界に革新をもたらすかもしれない・・・ だが、これは僕の口には合わなかった。 なぜ彼女がこんなことを思い付いたか、文化的な解釈は思いついたが、失敗作の深追いは止めておこう。 「ブラジル学」の中隅哲郎さんは、料理を「化学実験室」と称して楽しんだそうだ。 「ブラジル楽」のオカムラにとっては、文化新解釈の実験室ってとこか。 文化の錬金術、なんてのも悪くないかな。
7/11記 テレビ初公開
サンパウロにて ブラジル最大のTV局・グローボの人気番組に日曜夜放送のファンタスチコというのがある。 ニュースワイド情報番組ってところか。 今週第一の売りは「テレビ初公開!インディオ・パンカラルー族の魔法の儀式」。 不祥オカムラの企画・演出で1991年放送のTBS「新世界紀行」で公開してるんですけど・・・ テレビなんてあまり信用しない方がいい。 パンカラルーではいい取材をさせてもらった。 それにしても、インディオがらみでは、人の善意に付け込んでさんざん利用されて、後ろ足でクソをひっかけられたことが何度もあるのを思い出す。 そんな連中に二度と関わりたくもないが、相変わらずひっかかっている日本人もいるようだ。 連中の末路は見届けたいもの。
7/12記 南蛮豆腐
サンパウロにて 今日は断食。 断食の時に食べ物の話題はきつい。 特に酒のサカナなど・・・ 欧州はポルトガルから、先のオレガノ豆腐に感応して、こんなメールが。 オレガノ豆腐ですが、自分も試してみたことはありますがやっぱり口に合いませんでした。ただし、オレガノと豆腐の組み合わせでも工夫次第で乙な味を生み出せます。 まずは豆腐を角切りにし、それを食用油(オリーブ油も結構)に数日間漬けて置き、食べるときにオレガノをまぶすか、あらかじめ食用油の中にまぜておき、好みにより醤油などで味を調整する、という食べ方です。大豆でできた普通の豆腐がイタリア製のムッサレーラのような味になるのはちょっと不思議な感じもします。ご飯のおかずにはならないかも知れませんが、酒の肴にはなりますよ。機会があったら一度試してみたらいかがでしょうか。 となると、酒はヴィーニョ・ヴェルデですな。 そもそも豆腐のことをブラジルでは queijo de soja(大豆のチーズ)と呼ぶので、ブラジル人少女が豆腐にオレガノをかけたというのも文化的脈絡はあるのだ。 これまで拙宅では余った日にちの経った豆腐はステーキにするか、冷凍庫で高野豆腐にしていたが、この南蛮伝授の豆腐も試してみますかね。
7/13記 立ち読む日々
サンパウロにて 昨日に引き続いて銀行へ。 いずれも日本なら口座からの自動引落としかATMでチョロッと済む用事。 昨日は映画1本ぐらいの時間を待たされた。 今日は中編ドキュメンタリー1本ほど待たされる。 しかも立ったまま、長蛇の列についていなければならない。 おかげで連日、家では食指の動かない雑誌や資料がだいぶ読めた。 振り返ると、あれだけの待ち人がいて、他にものを読んでいた人がいただろうか? リンク先の連載に書いたが、昨年、ブラジルで1冊でも書物を買った人は人口の「ほんの」1割程度。 かといって、かつてのように、たまたま並んでいて居合わせた人とギャハギャハと大声で話し込む人も見当たらなかった。 今どきの大都市のブラジル人は疲れているんだろうなあ。
7/14記 シネマ屋の系譜
サンパウロにて 冬休みサービスで、息子とシネコンに映画を見に行く。 ブラジル国産アニメの「シネ・ジビ」。 モニカ・シリーズで知られるブラジルの国民的マンガ家マウリシオ・デ・ソウザの作品のアニメ化。 この人は日本でいえば、手塚治虫と藤子不二雄、さらに長谷川町子とさくらももこを足したぐらいの大変な人気作家だ。 アメリカ資本のシネマークの上映館は僕のような硬派の映画ファンには腹の立つことが多い。 今日も最後のCMから本編が始まって数分間、場内が大騒ぎするまで音無しで上映された。 するとケッサクな事態が。 サイレントのままアニメが始まったため、観客のひとりがそれぞれのキャラクターの声色をまねてアドリブで弁士を始めたのだ。 日本でいえば、ストーリーを知らない「ドラえもん」の映画を見て、ドラえもんとのび太とジャイアンとしずかちゃんの声色をまねてそれらしいセリフをしゃべるという芸当だ。 これが大受け。 にわか弁士を見ると、なんと若い日系の若者だった。 日本にこんな楽しいタマはいるだろうか? ブラジル日系社会では絶滅の危機に瀕しながら、日本文化の伝承うんぬんがよく叫ばれる。 コスモポリタンの時代に変わるべきものは変わった方がいい。 ちょうど「ブラジルのBURAKUMINS」と呼ばれた人たちについて原稿を書こうとしていたところ。 他国では意味不明の、早くなくなった方がいい日本の文化もあるのだ。
7/15記 隠せぬ出自
サンパウロにて 7月の休暇を活用して、今月から一日一本ずつ我が作品でテレビ放送したものの作品解説をアップし始めた。 すでに10作品をアップしているが、これまでのアクセス総数はインチキ日記の一日分に足りないほど。 どうやら本サイトのトップページや最新記事はすっ飛ばして直接この日記のページにアクセスしている人が多いようだ。 インチキとはいえ、人の目を意識して書いているものだから読んでいただけるのはもちろんうれしいが、日記作家で食っているわけではないので本職の映像作品も知っていただきたいのです。 現在、解説をアップ中の作品は、テレビ放送用とはいえ、岡村がフリーとなり、ひとり取材を始めてからのもの。 オリジナルの著作権はもとより、作品の責任は俺にある。 NHKで放送した最後の2作品はちょっと事情が違うが。 いずれも大学の授業で用いられたり、市民グループで上映会が行われるなど、放送を越えて今日でも鑑賞してもらっている作品。 どうぞよろしく!
7/16記 発酵製品
サンパウロにて アサイチで東方に一時間以上、車を転がす。 今後のための仕込みと撮影のため。 陽の目を見るかどうかは創造の神のみぞ知る。 拙作は仕込みからの年数がかかることが多い。 「アマゾンの読経」は撮影開始から9年かかっている。 10年と切りよくしたいが、そうもいっていられず、なんとか今年中に・・・ 程よく発酵しているか、腐っていてパーか。 もう僕の浅知恵を越えた世界。
7/17記 二世娘に好かれるには
サンパウロにて 訳あって古い移民関係の資料に目を通す。 「横道」がなかなか面白い。 「二世娘に好かれるには」というコラムに泣かされる。 (前略)二世娘に好かれるということは、彼女たちと同意識であるその国の全女性に好かれるということであって、即ち全人口の半数から好かれるということになる。要するに二世娘に嫌われるような男性は、移住者として不適確ということになるわけであるから移住する日本男性たるものは大いに注意せねばなるまい。 これは1958年、不祥オカムラの生まれた年の「海外移住」という機関紙で発見。 この引用の前に日本男性の酒癖や立ち小便などがたしなめられている。 最近も日本からいろいろ若いのが来るが、先輩からのいい説教が乏しくなってきたような気がする。 岡村の雑誌連載はドギツ過ぎるしね。 イヤハヤ。
7/18記 コエントロ
サンパウロにて 魚を求めて日曜のフェイラ(露天市)へ。 スズキをあんちゃんにすすめられる。 スズキとくればセビッチェ(生魚を酢でしめたペルー料理)。 セビッチェとなればコエントロが欲しい。 コエントロは日本ではコリアンダーで通るのだろうと辞典類を繰ると、ポルトガル語・コエンドロもありのようだ。 原産は南ヨーロッパ。 近年は日本で食べる中華料理・東南アジア料理でも用いられることがあり、中華では香菜と呼ばれていたと記憶する。 これが苦手な人がけっこう多い。 うちの家内もそのクチだが、夫流セビッチェのは喜んで食べる。 ブラジルの東北地方(ノルデスチ)を旅行すると、やたらに料理にコエントロが用いられていた。 かつて日本のテレビ番組の取材でノルデスチをまわった時、日本から来たカメラマンがコリアンダーがダメ。 日系ブラジル人のアシスタントもいたが気がきかないので、食事の時はいちいちディレクターの不祥オカムラがコエントロ抜きで、と特注したものだ。 するとメインディッシュは防げても、サラダのドレッシングにフェイジョン(豆の煮込み)、さらにアロイス(ブラジルの炒め飯)にまでコエントロが・・・ 人のいいカメラマンだったが、それでも飯はまずいだろうし、こっちは気がまずい。 旅行添乗員をしているわけではないので、ひとり取材は気楽でいい。
7/19記 メルマガ発掘
サンパウロにて ペニスのエンラージだバイアグラだといったスパム・メールをいったん受信して削除するだけでもひと仕事。 スパム・メールでお困りで?なんてスパム・メールも。 それと、頼んだ覚えもないのに送られてくるメール・ニュース類。 これがけっこう重い。 受信解除をするのもめんど臭いし、流し読みしていて思わぬ掘り出し物をすることもあり。 掘り出し物のメルマガをひとつご紹介。 その名も 「ポルトガル語お役立ちフレーズ」。 登録は、 http://www.mag2.com/m/0000104219.htm ブラジルのポルトガル語を、文法をきちんと踏まえてしかも実用的な言葉を選んで解説してくれる。 しかもタダ。 最近ではあの映画「シティー・オブ・ゴッド」まで教材に使われていたりして楽しい。 フショウ私儀、まるでポル語の講座なんて受けたことないから、ありがたいもの。 このメルマガに発行者のサイトのアドレスが別に掲載してあり、アクセスしてみると、日本の四国は香川からの発信と知る。 ブラジルはサンパウロ暮らしの日本人中年が四国・讃岐発のメルマガでポル語の指南を受ける、なんてのも楽しい。 権力と中央にのみITを牛耳られていたら、たまらんですもの。
7/20記 無能の人
サンパウロ→イタリリ 本日午後から家族旅行。 昨日、駐在系の御婦人より今日の昼食会に声をかけていただく。 直接お会いしてお話したいこともあり、旅行の出発タイムを遅らせてうかがう。 集ったのは女性8人、小生、黒一点。 そうとは知らず。 それにしてもパウリスタ地区の豪華1フロア・マンション。 「どの部屋でもご覧になって」。 イヤハヤ。 お子さんの迎えとかで最初に席を辞したセニョーラと共に失礼することに。 「奥様も今度ごいっしょに」。 我が「二世娘」の妻はただでさえ難しい仕事と子供を抱えて、しかも気難しくて稼ぎのない夫で苦労して、雲泥の差の狭い陋屋住まい。 嗚呼、無能の人。
7/21記 虹の谷の七月
イタリリにて 海岸山脈中のポウザーダ(ペンション)にて。 昨夕からずっと雨。 朝は霧と小雨、時おり陽がさす。 すると近くの山に虹がかかる。 ある時は間近に、ある時は二重に。 イグアスの滝並みだが、もっとしっかりした虹。 夕方、もうさすがに・・・と思いきや、方角を変えて空高く。 太陽光線を受けて発生するわけだから、虹も刻々と橋げたの位置を変えているんでしょうね。 これだけの虹尽くしは二児の父ながら、初めて。 ボリビア・ウユニ塩原の蜃気楼を思い出す。 虹のことはかえってオーロラほども知られていないのでは、等と諸々に虹を想う。 帰ったらサイトで調べてみよう。
7/22記 田舎町散策
イタリリにて このポウザーダのある郡は8割を大西洋森林に覆われ、産業はバナナ栽培ばかりと資料にあり。 宿で働くモニターや案内人に地元の名産があるか聞いてみる。 干しバナナやバナナチョコ、バナナの樹の繊維で作った手工芸品があるとのことで、町に行ってみる。 緑に覆われた山が間近に迫り、日本各地の山村を訪ね歩いていた過去生を思い出す。 観光事務所もあったが平日5時前で閉まっており、地元名産も特に宣伝をしていないので尋ねながら探す。 地元のスーパーで買い物。 サンパウロ市では見られない銘柄商品が楽しい。 レトルトパックの牛乳やミネラルウオーターなど、サンパウロ市でも見られる銘柄のものがこちらの方が安いものも。 輸送を考えるといったいどういうことか、流通経済には関わったことがないので、昨日の虹に続く不思議。
7/23記 ツノゼミの森
イタリリ→サンパウロ 今度の宿はインフラはいまイチ、いまニだが、大西洋森林:マッタ・アトランチカを散策できる小径があるのが気に入った。 エコロジーだ自然だ緑だと騙る宿は多いが、本来の植生とこんな小径があるところは極めてまれなのだ。 子供たちは乗らず、無理強いするのも気が引けるので、結局ひとりで何度となく散策する。 ひさしぶりに未知のツノゼミを発見。 かつて昆虫写真で知られる今森光彦さんをブラジル各地に案内して以来、究極の珍虫・ツノゼミファンとなった。 僕のような近眼・運動音痴でもツノゼミは慣れれば見つけやすい、という以上に僕向きの生物。 今森さんの名著「世界昆虫記」の文面に僕は公式のクレジット以外にも登場しているのだが、それはズバリ、ツノゼミのことでした。 嗚呼、ツノゼミを想うと胸が踊る。 またツノゼミに会える幸せ。
7/24記 ヤマタノオロチ
サンパウロにて 午後より、イビラプエラの日本祭りへ。 別枠の連載記事のための取材に、そしてここでは思わぬ人に会える楽しみがあるので。 在サンパウロの各都道府県人会がそれぞれブースを出して郷土料理を販売する。 めぼしいところはどこも長蛇の列。 ソコソコ写真も撮ったし、思わぬ人にも会ったし、ダチョウの肉の餃子もご馳走になったし、さて、と思っていると、知人の日本人熟女二人にバッタリ。 二人とも酒豪で知られる。 空いているテーブルをようやく見つけて、さっそく缶ビール、続いて日本酒。 そのひとり、熟女A子さんは缶ビールも冷酒もストローで瞬く間に吸入していく。 さすが酒豪、と感心していると僕あたりの常軌を逸する言動が始まった。 そして同じテーマを何度もリピートしてオカムラにからんできた。 夜もふけて、熟女B子さんが所用で退席するのを潮に、帰路に就こうとすると・・・ A子さんはついに反社会的行動に出る。 きつい冗談だろうと思っていったん失礼するが、気になって戻ってみると! 女オロチは軍事警察のご厄介になっていた。 他山の石。
7/25記 A JOMON ODYSSEY
サンパウロにて 今日のタイトルは不祥オカムラの卒論の副題。 ついに奇書「縄文酋長オピポー」を読了。 故人となった著者の浅川利一先生から直接ちょうだいしたが、なかなか読み切る勇気が出なかった。 拙作の上映会を2度も開いてくれた東京は町田の女性グループの方の手引きで浅川先生に出会った。 縄文時代と霊界という岡村の二大関心分野をつなぐというビックリマークをいくつも並べたい世界。 70年代から縄文をやってて、ブラジル移民となって久しい近年になってから考古学とはまるで別ルートからその存在を知るとは・・・ 両分野に関心のある人とその内容について語り合いたいもの。 すぐに浮かぶ古城泰兄はアイサツなしで浅川先生より先に霊界に行っちゃった・・・ 非売品の本だし、さすがに古書ネットにもねえだろうなと思って検索すると・・・ 1冊発見! 書店の位置をみると、故人となった著者のお膝元・町田というのが泣かせる。 縄文時代が夢なんて後からほのぼの想うもの・・・
7/26記 この国のかたち
サンパウロ→スザノ→サンパウロ 実は先週、旅から帰って早々、夫婦でアタマに来ていたことがある。 交通違反罰金の通知。 「どこで飛ばしたの?」と通知を開ける前から妻の詰問。 こちとら安全運転過ぎてこちらの女ドライバーから「○○の子!」等とののしられるほどなのだが・・・ 開けてびっくり、運転中の携帯電話の使用、とある。 こんなことは頼まれてもしない。 しかもその場所は自分で運転して行くくらいなら、バスで行った方がいい市内のややこしい大通り。 もちろん行っていない。 日本の元総理のように1億円をポケットに収めたのが「記憶にない」のではなく、オレは運転もケータイも「やってない!」。 しかし確実なアリバイがない限り、お上の罰金取りたてに抗えないとか・・・ さらによく見ると、なんとその車は2年前の暮れにレストランの車番に預けておいて盗まれた車ではないか! 警察に盗難報告をしているし、保険もおりているのでアリバイの証明はそうややこしくないだろうが、人様の新車をかっぱらってサンパウロの目抜きどおりをケータイ使いながらシャーシャーと走っているヤツがいる。 それをチェックしながら逮捕もせずに、もとの車の持ち主に罰金を請求する当局。 今日、僕は急用で遠出することになり、家内が電話で保険の担当などに連絡するが、責任の所在はわからないまま。 イヤハヤ・ブラジル。
7/27記 パスタ食う虫
サンパウロにて 先日、台所の棚に保管してあった未開封のパスタの箱の透明フィルム部分を見ていた家内が複数の虫を内部に発見。 コクゾウムシの類と見た。 近くにあるスーパーチェーンP社で買ったもので、ズバリP社マークのパスタ。 初めて買ったもの。 賞味期限は2006年6月とある。 わざわざ返品のためだけに虫入りパスタを運ぶのもめんど臭く、日にちが経ってしまったが、ついでもあってそのスーパーに行く。 受け付けた女に虫入りパスタを渡し、店内で他の買い物をしていると、他のスタッフと話したらしい女が購入してから一週間以内でないと返品も交換も受け付けないという。 何のための賞味期間か、買ってすぐにいちいちパスタの箱を開けて虫のチェックをしなければいけないのか、と抗議するが、一週間以内の一点張り。 突き返された虫入りパスタを持ってレジに行くと、今度はレジの女にまるで犯罪者扱いをされる。 この女に虫の件を言うと「湿気のあるところにおいて置くせいよ」。 店ではまだ同じ賞味期限の同じパスタを売っていた。 もうこの店には行くつもりはないが、お別れにパスタ売り場に虫入りの置き土産をしてくればよかった。 海岸山脈のツノゼミならいいけど、密封パスタの中のコクゾウムシはちょっと・・・ 経緯を聞いて怒った家内がP社に抗議電話をすると、返品は一週間以内などという規定は聞いたことがない、とか。 嗚呼、この国のかたち②。
7/28記 月遅れ?
サンパウロにて 関連メディアに掲げているサイトの連載「住めばブラジル」で新しい拙稿がアップロードされている。 題して「フェスタ・ジュニーナが熱い!」。 ちょっとブラジルをかじったムキから「そりゃあ6月祭りだろう?今さら・・・」と突っ込みが入りそうだ。 ところがそうでもないことは今回、少し調べて再確認できた。 僕自身、アマゾン奥地で7月下旬でもこの祭りを楽しんでいるのを見ている。 カーニバルも、最近、少し話題になったボイ・ブンバ(これもフェスタ・ジュニーナの亜流かも)も僕はあまり乗れないが、フェスタ・ジュニーナはいい。 ヨーロッパのカトリックの侵略文化じゃねえか、というムキもありそうだ。 今回調べてみると、オリジナルを持ち込んだのはヨーロッパ人だが、16世紀の段階で祭りに焚き火が伴うためかインディオたちにバカ受けで、彼らは焚き火で火傷するほどはしゃぎまわったとある。 こんだけ喜ばれれば最近のインディオ相手のインチキNGOよりいいんでねえの? この祭りにはいろいろな要素が複合している。 冬至祭りの意味合いも強い。 僕自身はフェスタ・ジュニーナと聞くと、はるか日本の縄文時代を、そして新大陸の大地に暦を刻んだ先住民たちを偲ぶ。 そんなフェスタ・ジュニーナにも大資本の魔手が・・・ 以上を副読本に別サイトの拙稿にアクセスしていただくと、ちょっと味わいが違うかも。
7/29記 厚狭の寝太郎
サンパウロにて 「アマゾンの読経」の主人公・藤川辰雄氏の故郷・山口の厚狭(あさ)地方では寝太郎という郷土の英雄の伝説が伝わっている。 諸説あるようだが、寝太郎は中世の人物で、よく寝て妙案が浮かび、耕地開発に効を成したという。 今日に名が伝わるほどだから、よほどよく寝たのだろう。 先日、お会いしたお寺の老僧も、ご先祖様が夢で啓示をくれるごとがある、とおっしゃっていた。 たまたま立ち読みした雑誌には、さるブラジルのアーチストは夢で著名画家の霊からのインスピレーションを受けるとあった。 いよいよ「アマゾンの読経」まとめ作業の追込みである。 夢の啓示を期待して、子供に添い寝をしたまま共寝をするが・・・ 夢に現れたのは、あの女ヤマタノオロチのご乱行。 ダヂゲデ!
7/30記 始皇帝暗殺
サンパウロにて まったくネット検索というのは便利なものだ。 自分の無知・無学がバレないうちに、ネット検索でフォローしてお茶を濁すことが出来そうだ。 「アマゾンの読経」が「始皇帝暗殺」とリンクしていることを知る。 鋭い人はこれだけでわかっちゃうかも。 完成をお楽しみに。 予定より仕事のペースが落ちている。 年末までに完成できるか、まだ100%の自信がない。 オトモダチのみなさん、これがかたづくまでしばらくオカムラは付き合いが悪くなりそうだが、ご勘弁を。
7/31記 二人一筆
サンパウロにて 休暇中の一番ややこしい宿題の締切り。 これは家内担当の日本語原稿なので、さすがにバカ夫のひとり相撲というわけにいかない。 夫婦で一緒に仕事をする人たちを想う。 ま、こんなとこで勘弁を、といった出来かな。 今月は日記サイト以外に駄文をいろいろ書き散らしたが、すぐに貯金は尽きそうで・・・ いよいよ本業だ。
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