8月の日記・総集編 報告・産経新聞破廉恥取材 (2004/09/01)
8/1記 金魚売りの逆襲
サンパウロにて サンパウロ発行のブラジルの最大級の日刊紙FOLHA紙日曜版の一面のメイン写真を、在ブラジルの原爆被爆者の方々がカラーで飾った。 日本の新聞でこういうことがあるだろうか。 つい先日、在ブラジル被爆者協会(ようやくサイト開設。本サイトのトップページ上の「移民100年祭目次」からリンク)の事務所にうかがい、この取材のいきさつは聞いていた。 日曜版の付録雑誌の取材とのことだったが、本誌の一面写真までとは。 新聞社のスタジオで、ひとり50枚ぐらい写真を撮られたというが、いかにも、の写真。 記事の中では、広島や長崎の被爆者の方々が戦後の日本政府の国策で南米に移住した、という協会が強調している点が抜け落ちている。 そしてオフレコのはずの件が書かれていて、ちょっとこれは・・・ 「記者はどんな人でしたか?」と尋ねると、 「小娘です」。 小結ぐらいに取材してもらいたかった。
8/2記 新学期の見出し
サンパウロにて ついに子供たちの新学期が始まる。 また早朝から送り迎え。 昨日に続き、FOLHA紙一面より。 新学期にふさわしいトップの見出し。 「学生が誘拐の最大の犠牲者」。 サンパウロ州の警察の報告書によると、今年前半の報告のあった誘拐事件は129件。 犠牲者の内訳は学生が25%でトップ、続いて商業者が16%、企業家が11%。 手っ取り早く、保護者がネゴに応じやすいため、という分析。 サイト日記より他に武器を持たない身としては、より慎重に任務を遂行しなければ。 営利誘拐に大儀はない、輪廻の末まで祟るぞ! そんなご当地だが、相変わらずブラジルに日本の年金老人村を、などとおめでたい人がいる。 オカムラさんにぜひ宣伝ビデオを・・・ときた。 村計画の挫折と崩壊までを見つめる、というのなら面白いかも。 ・・・とは書いてみてから、ネット検索で日本の人口あたりの誘拐件数とサンパウロを比較してみると、当地は3倍強。 計算間違いかと思うほど、「意外と」少ないねえ。 それなら移住しちゃいます?
8/3記 ここがイヤだよブラジル人
サンパウロにて 興に乗って仕事をしている時、あるいはうつらうつらと午睡の時の電話。 応じると、先方はいきなり「あんた、だれ?(直訳すれば「誰が話してるの?」)」。 こういう聞き方をするやつの95%以上は間違い電話。 こういう連中にジュンだのオカムラだの、普通でない名前を申し上げても舌打ちをされるばかりである。 「誰と話したいの?」 と聞き返しても、 「あんた、だれなのよ!?」 と語気を荒く繰り返すばかり。 こちらも意地で、どちらかが受話器をガチャンと投げるまで鍔迫り合い(つばぜりあい)が続く。 日本的な教養からいけば、人様に電話をする時は、まず「○○様のお宅ですか?」か「私、××と申しますが」で始めるのが常識だろう。 いくらブラジル人でも多少の教養があれば、これぐらいの心の余裕はあるものだ。 20年前、初めてブラジルに取材できた時を思い出す。 サンパウロのホテルに、とんでもない時間に電話。 応じると、いきなり怪しげな日本語で「ダレ?」。 若い女らしい声。 サンパウロの夜の世界でお忙しい取材スタッフ宛ての電話と知る。 人に電話をしてきやがって、いきなりダレはねーだろ、バカ女! と思ったものだが、これがけっこう庶民ではポピュラーなのを知ることになる。 こうした聞き方の背景の解説を読んだことがある。 もともとブラジルの電話事情がとても悪かったため、まずこういう聞き方をするようになったというのだが・・・ 日本だって電話事情の悪い時代はあった。 インフラの問題というより、文化だろうな。 他人は自分に奉仕して当然、というような。 日本の総理大臣を名乗るぐらいの余裕をこちらも持とうか。 まず知らねえだろうな。 もう少し上品に、クロサワぐらいにしとくか。
8/4記 悪酔いの条件
サンパウロにて お呼ばれで酒席、二次会でカラオケ。 ウイスキー、麦焼酎、テキーラのちゃんぽん。 勧められるままに、マイクも握るが・・・ ①加藤隼戦闘隊 ②卒業写真 ③ROMALIA と3曲かますことになるが、いま思うにまさしく悪酔いしそうな組み合わせ。 一晩寝て、なんでこんな曲を無意識に選んだのか悟る。 嗚呼、南無観世音。
8/5記 同胞を喰う
サンパウロにて 作家の星野智幸さんが運営してくださっている、当HPの関連サイト「ブラジルの落書き」で拙文「骨ふれあう縁」をアップロードしてもらった。 星野さんが日記サイトでコメントを載せているが、汗顔の至り。 この拙文は1996年に発表したものを今回、改稿したもの。 改稿にあたって後日談も披露したが、これは実にひどい話である。 移民の歴史とは、同胞が同胞を食い物にする歴史でもある。 日本人が日本人を食い物にして、日系人が日系人を食い物にする。 こちらの日系社会では、日本では出会うチャンスもなかったような下劣な輩にお目にかかれる。 こういうのを捕まえて、移民史料館あたりで檻に入れて展示したらよろしい。 エサははどうするかって?。 もちろん同胞である。
8/6記 ゲンカクな人
サンパウロにて 在サンパウロの日本人の友人より電話。 先日、僕の別々の友人二人を引き合わせたのだが、その余波がこの電話をくれた友人にもおよんでいた。 彼も誘われて、奥アマゾンのインディオ伝来の幻覚剤のセッションに参加したと言うのだ。 彼の場合、感覚が鋭敏になり、内なる貴重なメッセージがあったという。 これが、僕が彼に思っていたことそのままズバリ。 言いにくいことを言って嫌われる手間が省けた。 幸か不幸か、僕はまだこれを試す機会がない。 おかげさまで、インディオの秘薬を借りなくても、自分のするべきことはわかっているつもり。 イヤハヤ。
8/7記 ひかりの国
サンパウロにて ブラジルは明日が父の日。 朝、子供たちが世話になっている幼稚園で、父の日の集い。 連れ合いの男が逃げた母親と子供は、さすがに来ていなかった。 午後、知人の写真展のある美術館へ。 鑑賞後、外の公園を散策する。 亜熱帯樹の虫瘤の「芸術性」に見とれていると・・・ 近寄ってきて、視線を絡めてくる女性たち。 この公園は、その方面では知る人ぞ知るスポットだった。 年齢的にも経済的にもかなり厳しい女性ばかりと一目でわかる。 手鼻をかんでから、ニタッとしてくるのも。 土曜の昼下がりに、好き好んで春をひさぐ女性はいないだろう。 家族連れや子供もいる公園。 その公園の名前はLUZ・ひかり。
8/8記 ウソツキはドロボーの始まり
サンパウロにて 本サイトの「ただいま制作中!」の「アマゾンの読経」のページを少し書き直しました。 もっといろいろ書きたいところですが、岡村のこのネタをパクッて自分の記事にしようとしている人間が出てきたようで、うかつなことが書けなくなってきました。 「アマゾンの読経」の制作にあたって日本の新聞や雑誌などのメディアに属する方々からも、さまざまな協力と応援をいただいてきました。 改めて御礼申し上げます。 いっぽう私あたりの常識を逸する言動に出る人もでてきたようです。 昨年、雑誌「新潮」のエッセイ欄に私はずばり「アマゾンの読経」と題して、私が取材中のの同名のドキュメンタリー作品の概略とストーリー、そして2004年末までに作品を完成させるつもり、という原稿を発表させていただきました。 この記事のコピーを日本で私の仕事を応援している知人のひとりに差し上げたところ、この人が知り合いのさる日本の全国紙の女性記者に見せたのです。 この女性はぜひこのネタを自分のネタとして特集の連載記事にしたいと考えたとのことで、私のところにもEメールで取材協力と資料提供を要請してきました。 「私が取材できるようであればお返事を」とのことで、私としては9年掛かりの取材であり、未発表の資料ばかりなので、自分の作品の発表までは意に添いかねる、という返信をしました。 彼女が返事をよこせというので早急に返信したのですが、その後、その記者からは私の返信を受け取ったとの連絡もなく、日にちが経ちました。 不審に思っていると、彼女が関係者に取材をしようとしていることが先方からの連絡で私にも伝わってきました。 私としては今も取材中の現場の人間関係を、私の記事から情報を得て、私に無断で土足で踏み込まれては、もちろん愉快ではありません。 しかし私の作品と、被取材者との人間関係はこうしたことで揺らぐとは思えません。 その新聞記者が、情報ソースの私と私の仕事に対して、まったく誠意と敬意をはらう気がないことは、かまいません。 無名の、肩書きもない個人の、しかも移民の映像作家など、おとなしく大手メディアにネタだけ提供していればよいとお思いなのでしょう。 私はこういうジャーナリストが羽毛ほどの重さも認めない、私にとっての義をもとに仕事をしているつもりです。 さて今回この人物が、さらに彼女に私の記事を提供した知人にも由々しい嘘をついていることがわかるにいたりましたので、私と知人との信頼関係のためにもこの事実を公表する決意をいたしました。 これ以上、私の取材に協力してくれた方々に迷惑がかからないことを祈るばかりです。 社会正義や人命に関わるテーマなら、取材のマナーを多少は欠いても、大義のために早急な取材と公表という使命を果たすことが許されるかもしれません。 しかし今回の、私がひとりで発掘を続けている埋もれた移民ネタに関して、情報ソースである私に誠意を欠き、私と信頼関係にある、彼女への情報提供者に虚言を弄するこの女性記者にどんな義があるのかは、私の理解を超えています。 あまり取材という行為を、そして移民をナメてはいけません。 難しい表現のいらない事態、幼稚園児のレベルの常識と良心の問題のようです。 ウソつきは、泥棒の始まりです。
8/9記 御意見有用
サンパウロにて 当サイトをごひいきいただき、ありがとうございます。 昨日の日記以来、トーンが変わってしまいましたが、なるべく早くこの問題に対処して、これまでのモードに戻りたいと願っています。 さて昨日8日付の日記「ウソツキはドロボーの始まり」でご報告した事態について、どのようにお考えですか? 岡村のサイトの愛読者の皆さんの声を大切にして事態に対処して、さらに今後のサイト、そして何よりもドキュメンタリー作品作りに反映していきたいと願っています。 忌憚のない御意見を頂きたく、どうぞよろしくお願いします。
8/10記 連合艦隊来たる
サンパウロにて そろそろ「日本のいちばん長い日」だ。 大日本帝国の敗戦時、ブラジルの日本移民たちは情報不足から、大半が日本の戦勝を信じ続けたのは、多くの方がご存知だろう。 それに便乗して金もうけを計る輩、戦勝を煽るメディア関係者もいた。 帝国海軍の連合艦隊が我々を迎えに来る! そう信じて財産を処分して、大西洋の海岸で待ち続ける移民たちも少なくなかった。 もちろん壊滅して久しい連合艦隊が来るはずもない。 さて、孤立無援で大メディアの横暴にあえいでいた僕のところに、連合艦隊クラスの援軍をいただいた。 星野さんの日記サイト( http://www.hoshinot.jp/diary.html )である。 友人が困っている時に、自分の出来ることをする。 この美徳に習って生きていきたい。
さて、パクリを当然として、情報ソースである僕をフェイントで翻弄して、あなたへの情報提供者である僕のシンパに嘘までついて僕への連絡を牽制するあなたは、おそらくこのサイトをチェックしているだろう。 それも怠っているのなら、明らかに怠慢で傲慢だ。 その後、僕への音信を絶って蠢いているようだが、8月8日のこのサイトでの公表から、3日間は実名等の公表を控えよう。 そのまま、音信がないようだったら、然るべき手を打たせていただく。 あなたは、情報ソースの人間への調査を怠りすぎたようだ。 パクったネタと自分の企画を通すのに浮かれすぎたのかね。 2月の日記に教訓が書いてある。 無名の移民と侮るなかれ。 ペンに加えて網(ネット)がある。 あなたのような大新聞の肩書きはないが、かけがえのない仲間がいる。
8/11記 人生に必要な知恵はすべて幼稚園の砂場で学んだ
サンパウロにて 日本から持参した活字のなかに、こんな書名を見つけた。 題名に深く打たれ、次回の訪日の時に探して購入した。 ロバート・フルガム著、河出文庫。 題名がずばりよく言い現わしている。 この本が、世に出たルートもうれしい話だ。
さて、当サイト8月8日の日記で紹介した日本の新聞記者の問題。 幼稚園の掟に照らして彼女の問題を見ると、 ○うそをつかない ○わるいことをしたら、すぐにあやまる あたりにとりあえず該当するだろう。 彼女の言動は市民レベルの良識にももちろん反する。 こうした人間が大新聞の肩書きを楯に動き回ると、これ以上、どんな被害が引き起こされることか。 これまで僕の逆鱗に触れてきたような輩は、面白いぐらいに、すべて他の人たちに僕以上の怒りやひんしゅくを買っているのが後にわかっているが。 今度の女性記者はどうだろう。 次は実名で行こうか。
8/12記 怒りの理由
サンパウロにて 8月8日付け日記以来、下品な話題が続いて申し訳ない。 うそつきパクリ取材でできる記事などたかが知れている、自分の仕事に自信を持って、下劣なのに関わるとこっちの品性にもよくないから、ほっとけば?と思われる方もあるだろう。 そのとおりだ。 そもそも作品の追込みで、それどころではないのだ。 しかし僕には以下の思いがある。 まずは今回のテーマの関係者には、実にデリケートな問題もあるということ。 僕は関係者とドキュメンタリー作りに終わらないお付き合いをしているつもりなので、デリケートな部分には立ち入らず、作品の完成後を待って、時間をかけて関わろうと思っている。 作品の完成が、始まりなのだ。 そこへ情報提供者や協力者に平気でうそをつき、欺くような人間が大新聞の肩書きで土足で踏み込まれては、これまで岡村を温かく迎えてくれていた方々の人間関係にも迷惑がかかりかねない。 それが第一の懸念。 また、伊豆大島観音堂は無住となっており、そこに残る資料ももっとも貴重な部分が喪失している。 心無い何者かが持ち去って返さないのだろう。 遺族の許可をいただいている僕ですら、持出しを控えている資料もある。 自分の記事だけに心を奪われ、市民の良識にも反するやり方で取材をごり押しする輩がこうしたところに立ち入ったら、何をするだろうか。 僕が取材させていただいたある在ブラジルの日本人研究者のところに、僕の作品を見た日本のテレビ局のスタッフが取材に押し寄せ、持出した資料を返さないという不祥事件等も実際に生じているのだ。 そうしたことを踏まえての怒りであり、糾弾なのである。
8/13記 経過報告
サンパウロにて 以前ご紹介した本田哲郎神父によると、聖書でいう「慰める」とは「痛みを共有する」ことだそうだ。 今回、僕の痛みを、それ以上に怒りを共有して下さった方々に心から御礼申し上げます。 さて、経過報告。 相手の所属する新聞社の名誉のために名前をあげよう。 こちらの宣言した猶予切れの11日、産経新聞社の読者サービス室に、今回のような同社記者の取材のあり方が、産経新聞の取材方針に合ったものかを質すメールを送った。 僕は読者じゃないけど。 翌12日、同室からの返答がないので同文をファックスでも送り、さらに友人のPCからも開封証明付きで同じメールを送ってもらった。 日本の13日付で同室より以下の回答あり。 「さっそくですが、昨日中に本人にメールを渡しました。どうぞよろしくお願いします。」 同室宛ての僕のメール中にはこちらのメールアドレスはもちろん、サイトのアドレスと経緯も紹介している。 本人からは以前、応答なし。 武士の情で、記者の名前は、少なくとも今は出さない。 仮にも言論を生業としているのなら、自ら言論で起こした問題は言論で対処したらよいのではないだろうか。 それをも怠るのは、言論人としての敗北宣言であり、言論そのものを欺くことだと、僕は思う。 これまでの情報を合わせると、彼女は産経新聞の「凛として」ないし「凛凛と」という5回にわたる連載で、岡村が取材中の藤川辰雄さんのことを取り上げるつもりだったらしい。 「知られざる功績、事業に取組んだ日本人をテーマ」にしているそうだ。 藤川さんのことは多く知られるべきだ。 しかしそのプロセスにモラルや良識を欠いてはならない。 僕は藤川さんの、そして移民の、無縁仏の側にいるつもりだ。 それはあなたが藤川さんのことを知るきっかけとなり、感動したという僕の書いた取材経過報告を読めばよくおわかりだろう。 取材プロセスそのものが「凛と」していなく、市民レベルの良識に反して「しゃあしゃあと」されたのでは今回、あなたに欺かれた僕も僕の知人も、それ以上にあなたを支える購読料を払う産経新聞の読者が気の毒だと思うのだが。
8/14記 おことわり
サンパウロにて 産経新聞読者サービス室に送った僕の抗議文が、問題の記者に届いているようだ。 この女性記者は、僕と日本語の解釈と認識が違うようで、僕との日本語によるコミュニケーションが難しいとみた。 彼女はすでに、現在は無住となっている伊豆大島観音堂の資料の持出しも行っているとのことで、なおも取材を続行するようだ。 彼女とは面識もないが、もうこういう人とは関わらないつもりだ。 こちらの主張は、すでに当サイトにも公表して、産経新聞読者サービス室に送ったとおり。 本サイトの読者の皆さんのご声援に、改めて御礼申しあげます。
8/15記 盆が早よ来りゃムイトボン
サンパウロ→グァルーリョス→サンパウロ 祖霊が里帰りする時が年に四回、あるという。 盆正彼岸、なかでもお盆が最大とのこと。 せっかく里帰りをしてもお参りしてくれる人のいない霊を、無縁仏というそうだ。 (「暮らしの中の仏教語」参照。) うつし世に戻られた海外同胞幾十余万の御霊よ。 私の記録という術を、あなたがたに捧げます。 願はくは、我が仕事の行方を護り給へ。
8/16記 心と口と行いと生きざまもて
サンパウロにて 8月8日に当日記にて公表した産経新聞の女性記者の問題について。 星野智幸さんが言ってしまえばよかったのに日記( http://www.hoshinot.jp/diary.html )の8月9日付に加えて、8月14日付、8月16日付でも論じてくれている。 「マイノリティの業績を救ってみせるような記事を書くことで現実のマイナーな存在をつぶすような真似」。 まさしく我が意を得たり。
8/17記 急急如律令
サンパウロにて 取材を経て、家族ぐるみでお付き合いしてきたさる戦前移民の方が気になる。 電話をしてみると、喘息がひどくて、病院の往復の日々という。 フマニタス製のプロポリスのストックがあるのを思い出す。 近々お届けするとお約束して電話を切る。 先方を思いやると落着かない。 善は急げ。 さっそくパッキング、郵便局で列に並び、速達小包にて発送。 無縁仏もいいが、生者が優先だ。 そうこうしていて「アマゾンの読経」はすでに9年かかっている。 生者の重みである。 9年ものの味わいをお楽しみいただきたい。
8/18記 サ紙4/1
サンパウロにて 今日のタイトルは何のパクリで何のパロディーでしょう? サ紙は3K新聞。 「けったい」「こすい」「きたない」取材をする記者を擁する新聞社。 4/1はエイプリルフール、つまりウソのメタファー。 情報源と情報提供者にウソをつき、被害者と識者、世論の非難を受けても取材を強行する新聞記者。 オリジは「華氏9/11」でした。 ドキュメンタリストが大権力を向こうに回して何ができるかの研究のため、鑑賞する。 こちらも大新聞が相手だ。 マイケル・ムーアからDO SOMETHINGというメッセージをもらう。 サイトじゃ少しやらせてもらったし、今度は紙メディアで行こうか。 おっと、そう手の内は明かせない。 お楽しみに!
8/19記 記録なくして事実なし
サンパウロにて 産経新聞女性記者による破廉恥取材事件について。 僕が現地に問合わせたところ、すでにこの女性記者が現在、無住となっている伊豆大島富士見観音堂から故・藤川氏の資料類を島外に持出していることが発覚した。 この人は、何の権限があってこういう事ができるのだろう。 そもそも取材ネタの情報ソースの人間にも情報提供者にもウソをついて取材を強行するような人間が「責任をもって」などと言ってもそんな責任、カスにもならない。 ますます彼女の所属する新聞社の名前をおとしめるだけだ。 こちとら資料いじりは四半世紀以上やっている。 「万が一」の事故というのは簡単に起こるのだ。 祖国の原発を持出すまでもない。 その時にどんな責任がとれるのか。 こんな記者に新聞社を辞められてもいくらでも代わりはいるだろうし、誰も困らないだろうが、かけがえのない資料は戻らない。 ネコババに死なれてバケネコになられても資料は返らない。 「記録なくして事実なし」。 記録映画監督の土本典昭さんの言葉だ。 記録を紛失してしまい、貴重な事実をこの世から永久に抹殺する危険。 僕はそれが恐いから、時間と手間がかかり、器材が重くなっても、欲しい資料は現場で撮影させていただいている。 伊豆大島にもコピーをとれるところは何個所もあるし、僕はこれまで複写が必要な時はでそうしてきた。 そもそも今時、デジカメがあればその場で資料を写せるだろう。 それをしないで持出す怠慢と傲慢。 藤川さんの業績は、これからますます再評価されていくことだろう。 そうした際のベースとなる資料を安易にゲットするというのは、藤川に対して、移民に対して、歴史に対して、そして事実に対しての冒涜だ。 いみじくも星野智幸さんが指摘したように「マイノリティの業績を救ってみせるような記事を書くことで現実のマイナーな存在をつぶす」行為に他ならないだろう。 こうした取材活動は産経新聞社そのものの報道姿勢なのか、彼女個人が例外であり暴走しているのか。 彼女が産経新聞の肩書きで動いていることは事実である。
8/20記 同業者の哄い
サンパウロにて ご報告してきている産経新聞記者の事件について。 マスコミ関係の方、研究者の方、一般市民の方々、とさまざまな皆さんからお見舞いと怒りの共有、そして励ましのご連絡をいただいている。 マスコミの倫理やモラルにこの女性記者が反して取材を強行しているのは明らかだが、大切なのはそうした記事に接する一般市民の良識に反して、一般市民の嫌悪する方法で取材がなされていることだ。 誰のための取材なのか。 読者の良識と意向に反して、会社の都合で強行される取材。 日本のある新聞の編集委員の方からいただいたメールを紹介しよう。 「産経新聞の『日本人は素晴らしい!』企画、そういう取材方法でいいのかと哄うべし」。 産経新聞さん、同業者からも哄われていますよ。 教養ある人なら日本のジャーナリズム史上におけるこの字の重みがわかるだろう。
8/21記 サンパのアキハ
サンパウロにて 訳あってサンパウロの秋葉原といわれるサンタ・イフジェニアの電気街を彷徨する。 10数年ぶりである。 当時はこちらでまだベータ・マックスのデッキを使っている人が多かった。 拙作をベータで見たいとよく言われたので、ベータのテープの買い出しに来たものだ。 さすがにもうベータのテープは骨董屋の世界のようだ。 店の造りも、小形店の密集したショッピングセンター形式がやたら増えた。 生生流転。
8/22記 お口直し
サンパウロにて 身に払った火の粉の取り払いと義憤からとはいえ、最近、拙サイトにふさわしからぬお下品な言葉が続いてしまった。 うそつき、ドロボー、ネコババ、破廉恥・・・ 残念ながらこれも現実。 皆さん、これからも身近な悪・不正と闘い続けましょう。 さて、今日はちょっとお口直し。 別サイトで連載中の住めばブラジル( http://www.univer.net/1_nanbei/0408.html )が更新された。 題して「サンパウロで都道府県を食べる!!」 先週、更新されたが、写真の間違いがあったので、本日からが筆者認定版の公開です。 お口に合いますかしら?
8/23記 EXODUS・・・
サンパウロにて 訳あってアメリカ合衆国にメールを打ちまくり、電話をかけまくる。 日本の義務教育終了程度の英語はたしなんでいるつもりだったが、音声ガイダンスの機械に小生の英語はまるで別の言葉に聞き取られてしまうのにショック。 なかなかのものである。 電話代の請求が恐ろしい。 移民、難民、労働者としてアメリカに入国した人たちの苦労の、ほんの片鱗を察することができた。 そして祖国日本で、日本語にあえぐ人たち。 言語的弱者に思いを寄せたい。 少し余裕ができたら、またサルガドを開こう。
8/24記 誓いの権威
サンパウロにて 本田哲郎神父訳の「小さくされた人々のための福音」(新世社)。 寝る前に時おり、開いている。 「いっさい誓ってはならない。『誓い』は自分を権威づけること」。 (マタイによる福音書 5章の見出しより) 本田神父にお会いできた時の感動を思い起こす。 今度の旅に携帯しよう。
8/25記 して広場の名は・・・
サンパウロにて 急な用件でサンパウロ市を縦断することに。 知らない所に平日の日中、車で行くのは苦手。 バス・地下鉄・そして歩き。 厚い本になっている地図をもとに歩くが、途中で方位感覚が取れなくなる。 近くの住所表示を見ると、ジョン・レノン広場。 個人的にかなりギョッとする。 ブラジルではさまざまな人名が通りや広場の名前につけられるが、外国の、しかもあまりブラジルと関係なさそうな有名人の名前というのは他に思い出せない。 ジョン・レノンといえば、確か・・・ 家に帰って調べると、やっぱりそうだった。 イヤハヤ。 あなたの名前もパクられてブラジルの通りや広場の名前になってるかもよ。
8/26記 紅毛の堂守
サンパウロ→ニューヨーク 機中、故・藤川真弘師の残した著作物を再読。 隣席は南米旅行から帰るNYっ子の青年。 彼はヴェジタリアン、さっそく機内食をめぐってトラブル。 髪の毛が腰まであるのだが、洗髪の習慣もないらしい。 チベット遊牧民の臭いを思い出す。 乾燥したチベット高原ならともかく、密室の機内ではなかなか・・・ うつらうつらしても、この臭いで目が覚める。 機内で「ラスト・サムライ」が上映される。 あちこちから「音が出ない!」の声。 「音声は壊れています」とVARIGの客室乗務員は悪びれもしない。 横並びのブラジル人のおにいちゃんに「これはサイレント映画だよ。サムライの時代にトーキーがあるもんかね」と言って笑わす。 伊豆大島の富士見観音堂で開拓移民の御霊を供養し続けた藤川師と「ラスト・サムライ」が図らずもシンクロしてしまう。 ヴェジタリアンは反対隣りの客と話し込み、長髪が我が身に降りかかってくる。 映画では小雪扮するカツモトの妹いわく、ガイジンは「獣臭くて・・・」。 切実に身にしみる。 瞑想、でもないか、うつらうつらしながら想う。 いまや無住となった伊豆大島の観音堂。 異人でもいいから堂守希望者はいないものか。 返って彼らの方が、心を無くした日本人を嘆きつつ、アマゾンで入水した藤川師の心を汲めるかもしれない。 お願い 8月30日まで、岡村にメールをくださる方は、岡村の個人メールアドレスではなく、このページの下にもあります okamura@brasil-ya.com 宛てにお願いします。
8/27記 紐育の大巨獣
ニューヨークにて 朝にマンハッタンを歩き、夕べにニュージャーシーを歩く。 さるスーパーマーケットのDVDソフト売り場にて。 ギョッ!! カラス天狗風の写真。 タイトルは「MONSTER FROM A PREHISTORIC PLANET」。 解説を読むと、どう見ても日活唯一の怪獣映画「大巨獣ガッパ」である。 ジャンルはhorror。 値段は3.99ドル也。 息子への土産という口実でゲット。 移民の身で、ハリウッド版・大トカゲのゴジラに破壊された地で祖国のガッパの英語版DVDを発掘するとは感無量なり。 ああ面白しメリケンの旅。
8/28記 摩天楼変化
ニューヨークにて こんなに景色を飽かずに眺めていることは、我ながら珍しい。 今回、NY滞在中の宿のバルコニーから見るマンハッタンの眺め。 最初の印象は、戦艦大和。 次いで、リオの丘にあるファヴェーラ群。 それから、チベットのポタラ宮殿。 パタゴニアのペリト・モレノ氷河にも見えてきた。 夜景はオーチモ、日の出と日没はエクセレンテ、もやがかりも曇りもそれぞれ一興。 どんな時間、どんな天候で眺めても、あっぱれで趣き深い。 経営者のお人柄がまた実によろしい。 ゼヒゼヒのお勧めだが、拙サイトで不特定多数相手に公開して、非常識なパクリ女みたいのに「オカムラさんのサイトで見ましたー、大新聞の××子でーす」なんて転がり込まれて迷惑をかけられてもあずましくなし。 誰にでも教えたくない大事なNYの宿、もっと知りたい方は岡村宛てにご一報を!
8/29記 ハーレムでゴスペる
ニューヨーク→ 宿のマスターの案内で、ハーレムのバプチスト派の教会へ。 日曜礼拝のゴスペル・ソングが目当て。 ノリ的には、ブラジル庶民のノリに近い雰囲気。 ハーレムの教会で手拍子を叩き、共にゴスペルを歌う自分があろうとは。 生きていると、けっこう意外で面白いことがある。 サンパウロの拙宅の近くにも増えているプロテスタント福音派の教会の礼拝にかなり近い感じ。 これからはただの迷惑騒音と思わずに、機会があったら覗いてみよう。
8/30記 オカジュンの夏休み
→サンパウロ サンパウロ国際空港の関所を抜け、ニセ警官に狙われることもなく、無事、帰宅。 時間的、金銭的、そして精神的につらい旅だったが、GRAÇAS A DEUS. 岡村の存在と作品を潰しにかかる権力側の輩たちがこのサイトをチェックしているようなので、フェイントはかましても、詳細は書けない。 不特定多数を相手というのは、ヤバいのだ。 それにしても、紐育はあまりに刺激的だった。 何よりも、人との出会い。 今日一日は、旅の余韻に浸らせていただこう。
8/31記 金魚売りの月の晦日に
サンパウロにて 事情により、アパートの中庭のベンチで時間を潰す。 常連らしいブラジル人の爺さんが隣りに来る。 サンパウロの人口が多すぎるという話に。 するとこのジジイ、 「アメリカがヒロシマとナガサキに原爆を落として、少しは人類の人口削減に役に立ったな」ときた。 こんな下品な表現をブラジルに来てから浴せられたのも、他にあまり記憶がない。 ブラジル人の面汚しである。 ジジイとは初対面、こちらが日本人と知っての発言である。 「このアパートにもブラジル人の広島での被爆者がいるのを知ってのご意見ですか?」 とっさのことで、こんな切り返ししかできなかった。 そもそもジジイの教養レベルの低さ、ボケもうかがえたのでこの辺にしておいた。 ブラジル人の被爆者。 産経新聞のパクリ女あたりがヨダレを垂らすかもしれない。 しかしこの記者の狙いは産経の「凛として」という連載である。 「知られざる功績、事業に取組んだ日本人」が狙いだそうだから、ブラジルで後遺症と差別に苦しむ被爆者なんて、存在自体、興味も湧かなければ、まるで関係ないだろうな。 産経新聞の都合で世の中が動いていると思いこんでいる記者。 それが大間違いだと、新聞社も本人も気付いていないのが悲しい。
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