戦争と原発/富山妙子素描(短編) (2024/02/04)
この作品は日本国内にて2023年に数か所で上映されましたが、さる筋からの圧力により公開を見合わせている状況です。 折を見ていったいどのような事態が生じているのかを公表する所存です。
西暦2019年撮影 西暦2023年改訂版制作 製作・構成・撮影・編集:岡村淳
ブラジル移住後、記録文学者の上野英信に私淑していた岡村は、日本の知人のはからいで上野の盟友だった画家の富山妙子を紹介された。 東京の富山の自宅に招かれた岡村は彼女と意気投合して、さっそく長時間のインタビューを撮影した。 その後、東京大学東洋文化研究所の教授が代表となり、日本の市民の血税を財源とする科研費(科学研究費助成事業)数千万円を得ての富山妙子の研究が行なわれることになった。 研究代表は岡村の富山へのインタビュー映像の存在を知り、岡村への協力を要請してきた。 岡村は協力を了承するが、思わぬ落とし穴がいくつも待ち構えていた。 3か年にわたるこのプロジェクトの目的は、富山妙子の展示をこの研究代表の専門地域である韓国の大学で実施することだという。 その打ち合わせのため、韓国の大学からキュレーター二人が訪日して富山宅を訪問することになった。 富山は打ち合わせの際に見せるために、自宅の屋根裏や押し入れなどに分散して収納している大作の作品群を運び出す人員の派遣を東大の研究代表に頼んだ。 しかし代表は休暇時期でもあり、誰も派遣できないという。 こうした異常な状況のなか、訪日中の岡村が当時齢97歳だった富山の指示に従って、ほんらいは厳重かつ慎重な扱いをすべき、一枚あたり畳一畳を超える大きさの作品群をひとりで担ぎ出すことになった。 何重の意味でもありえてはならない状況のもと、富山が日本の戦争責任を告発するために制作してきた作品群と、311以降に福島原発事故を描いた作品群が富山のアトリエでともに並ぶことになった。 これは富山にとっても驚きの体験で、富山自身が両者に共通するものを自作からヴィジュアルに体感することになった。
|