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岡村淳のオフレコ日記
     岡村淳アーカイヴス  (最終更新日 : 2017/05/31)
拓殖学・移民歴史感から見た『ハルとナツ』のドラマ研究 (前編)

拓殖学・移民歴史感から見た『ハルとナツ』のドラマ研究 (前編) (2006/01/08) 拓殖学・移民歴史感から見た『ハルとナツ』のドラマ研究(前編)
野口紘一著

これは私が純粋に今までの人生での経験から、戦前の移住者と、戦後にブラジル・アルゼンチン・パラグワイ・ボリビアなどに契約移住や、雇用移民移住事業団などのへの入植した募集移民、呼び寄せ農業移民などの戦前から、戦後の移住者の動向からして、その移住者として同伴してきた子供達や、その移住した現地で生まれた2世達のテレビを見た感想は、それぞれ少しずつ違った考えがあると感じます。

日本で放映されるTVドラマとしては成功していると感じますが、その題材の主題が現在の日本人が見る理解度はそれぞれ移民=ブラジルという観念が染み込んでいますので、それと現在での南米出稼ぎの印象が強い感じで日系人とその構成家族のブラジル人やヨーロッパ系、その混血での人種的な偏見から見る日本人が増えた現在での、TVドラマではかなりの南米在住者が見るTVと、日本でお茶の間での観賞とはかなりの感覚的な差が有ると感じます。工業・技術者としての農業経験が現地でのまったく無い人が感じる観賞レベルと、実際にコーヒー園などでの農奴的な契約、搾取からの何も日本政府や、移住外郭団体からの援助も無かった人々が見たドラマとしての理解度はかなりの差があると感じます。

まったく架空の題材からの脚本から、ドラマ構成として、NHKが大きな資金を投入して企画、立案、製作され、その放送の前宣伝、ブラジル移民社会でのエキストラ募集などを通じての前宣。国際衛星TVでの放映などを加味しての巨大な日本中の放送権を握る、NHKが狙う視聴者獲得。作者を選定したNHK幹部の持つ製作意図。『おしん』の放映効果を知る知名度からの作者依頼などを見て、海外での移民社会へのドラマ放映権の販売獲得を含めて、多角的視野での視聴率を考えた感動ドラマとして、ひとつの商業ベースのドラマ放映と企画されたのか、それに乗せられて涙して観賞する聴取者か、それぞれの意味合いでの交差する思量があったと感じます。

『ハルとナツ』のドラマ化された経歴は、NHKと言う日本の法で規制された放送法での枠内で、企画、立案、製作されたドラマですが、この日本とブラジル両方での撮影という大掛かりなロケには、それと日本国内での長期に渡る、季節を通しての撮影となると、かなりの経費が掛かる事は専門家が判断しなくても、素人が見ても分る事です。

まず企画された原案は選考委員での経過を経て、原作を選定するか、原作の作家と脚本家が相互して、ホテルや自宅での共同での脚本化となります。『おしん』のドラマは海外でかなりの視聴者を獲得して、その原作から脚本化、ドラマ制作費まで全てをペイしてNHKとしてはかなりの余禄的な収入を得ています。お隣り中国では日本の連続ドラマとしては破格の視聴者と興行成績を収めています。
『ハルとナツ』のドラマ制作でもその規模からして、作者選定からして、同じ柳木の下の2匹目の泥鰌(どじょう)』と勘ぐるその道に詳しい人が居ますが片方は連続ドラマ、もうひとつは単発の大型ドラマですから、そう同じと見る事は出来ませんが、NHKがかなりの力を入れていた事は間違いない事と思います。

原作と脚本の関係は、二人三脚の関係で、題材として一番に肝心な事はどのような題材を選定して、原作から脚本化するかと言う事です。
私は上京して、大学生活はは勤労学生として、自活しての生活でしたから、その当時にかなりの良き条件で住込みの書生として、映画監督の成城にあった千坪の邸宅に書生家業として入り、そこの主人が監督兼脚本家として、売れっ子の仕事をしていましたので、大きな書庫が有り、かなりの昔からの脚本が収集されていました。かなりの脚本は絵コンテと言う撮影の画面を略図化して、マンガの様に描いてある副絵コンテ脚本が付いていました。
当時の日活映画の石原裕次郎や小林旭などと言う、有名な俳優を使った日活アクション映画でしたから、それと夏休みなどの半分はアルバイトで旅費稼ぎで撮影所に付いて行き、脚本とイス、メガホンを持って後ろに控えている書生家業をしましたので、かなり脚本とドラマとの関係、題材と原作からの関係などを理解することが出来ました。

今回の『ハルとナツ』のNHKのドラマ化において盗作疑惑が浮上したことは、かなりの関連性があると指摘されますが、私がそこの書生家業を約四ヵ年間した体験からした経験で、贋作と原作はかなりのきわどい類似性を持つ事が有ります。題材は分厚い原作の探偵小説や冒険小説からの拾い読みからやTVでのアメリカ・ドラマからのヒントから、題材として用いられるのですから、過去に同じ様なドラマをTVで放映されていたら、簡単にその粗筋や総体的な流れから来る『筋』として、柱にして、構成されて行くことは簡単と感じます。
ですから、その原稿を書いた本人か、その企画を立て、立案した選考委員がこれは『筋』の骨格ですと白状しない限りは、あくまで盗作疑惑は騒げば騒ぐほどに宣伝活動となり、ドラマ製作者側は『痛くも痒くも無い』立場を取れますし、それと、『対岸の火事』と言う第三者的な高見の見物が出来ます。
だからこそ大きな反論も、弁解も、勿論のことに謝罪などと言う『腹切り行為』をする事は有りません。

『ハルとナツ』の物語のドラマのストーリーは、皆様が良くご存知ですから省略いたしまして、原作者が一度もブラジルで居住した事もなく、農場という生活の場での24時間の朝起きて、寝るまでの労働をした事もなく、その昔のコーヒー園で、手で草をクワで削り取る単調で、キツク、暑い夏の労働など一度もどの様にしてするか作者の目で、現場に一日立ち通しの仕事を、後を付いて歩いた経験もなく、実際に家族雇用者の小屋で生活した事も無い状態での執筆ですから、どこかでドギュメンタリーとしての記録映画やTVなどからの情報を得なくては書けるものでは有りません。
原作者の今の年齢や、健康状態などからして、とても以上の様な取材とインタビユーをして、過去のコーヒー園での契約家族労働者などをブラジル中を訪ね歩く事は出来ません。

私は自己の過去の横浜からサントス経由でブエノスまで移民船に乗船した経験から、45日間の乗船中に、乗客から長い航海中の間に聞いた戦前のブラジルでのコーヒー契約家族移民の赤らな血と汗と、涙の経験談を膝を交えて聞き、その中には笠戸丸でのブラジル第一回目の移住者の話も聞く事が出来ました。サントス港に到着して、ブラジルの暑い太陽に昔の農民がするタオルで頬かむりをして、着物のすそを絡み上げ、扇子で涼を取ったと聞きました。
この話は祖国に最後のお別れの墓参りに行った一世からの話しで、タルに入れて持ちこんだ醤油も荷物の中に有ったと話していました。その様な詳しい詳細な出来事をこの耳で聞き、記憶のヒダとして頭に残した事は現在のこのような事を書く上で最高の参考となっています。笠戸丸より前にペルー砂糖キビ労務者として南米に来て、アンデス山脈を歩いて、当時のアマゾンのゴム景気に引かれて、アルゼンチンまで国境警備隊の荷駄のラバに掴まり越えてきた人からも話を聞いた事が有ります。

私自身も原始林の伐採も経験して、農場の売店での掛売りを支配人として、物資をブエノスから直接現金で仕入れて、販売していた経験も有ります。労務者の小屋がどの様なものかも知っていますし、その小屋を建設した経験も有り、そこで寝泊まりした事も有ります。私は大農場の経営と運営がどのようなものであるかも覚えています。その事は『ハルとナツ』の物語のドラマに、批判と言う対象物を持っていると言うことです。南米の移民歴史からの原点を見て、聞いて、そこからのこの文章が、分析されたいう事を、まとめあげた研究と思っています。

岡村氏の「60年目の東京物語」と今回、NHKで日本全国と世界に衛星放送での『ハルとナツ』の放映からして、その疑惑が表に出てきた事は、製作者と原作者の経歴比較を先ずして見ます。これはこの研究での重要な事で、そのポイントとなると思います。

『ハルとナツ』のプロデューサーが『60年目の東京物語』の他に岡村淳の『ブラジル最後の勝ち組老人』というのも『参考』にしていると述べていると言う事は、やはりフィクションに実話を織り込む手法は遺憾ながら盗作疑惑として、専門家や移住実態の経験とその専門的な知識がある者でしたら、批判力が前後の『ハルとナツ』の経歴などを精査出来ますので、これは原作者がいかなる舌を使えども、NHKと言う組織からの情報漏れがあり、疑惑が一層深まった感じがします。

NHKと言えどもその運営は僅かな首脳部が関与して遂行、運営されていると思います。先にNHK会長の辞任などという、内部の運営のずざんさも抱えている、彼等の狭い偏屈な理念での現在の疑惑問題で岡村氏への対応がいっかは変化することが有ると確信していまが、それは岡村氏の信念にもとずいた発言と行動が、彼が実際に歩き、見て、検証して、レンズを覗き、撮影した事実は移住歴史の真実を写していますので、誰もそれを指差して非難や事実にツバ吐くような事は出来ないと思うのであります。私がこの『ハルとナツ』の物語を精査してみて、移住史という歴史は体験して、それを身体に刻んだ人が初めて語れるものと思います。

いつかは世の多くの賛同者と理解者が得られ、そして「ハルとナツ」疑惑告発の突破口が必ずや移住史とそれを真実として撮影した画面から得られると感じています。そして・・・

NHKから依託されて脚本を書いた人物の関連性とその裏側の流れと、真実がこの世の中に白日の前に曝される日が来ると確信しています、またそしてその暁には、この世は必ずや不正義と虚偽とそれを計り、遂行した人間達への神の審判が降りると確信しております。


橋田壽賀子
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
(橋田寿賀子 から転送)
橋田 壽賀子(はしだ すがこ、1925年5月10日 - )は、脚本家、劇作家である。韓国の京城(ソウル)出身。
略歴
大阪府立泉陽高等学校、日本女子大学国文科を卒業後、早稲田大学文学部芸術科中退。
1949年松竹に入社し脚本部所属。1959年にフリーとなる。
1966年に岩崎嘉一と結婚。
1992年には、橋田文化財団を設立し理事に就任。
代表作は、おしん(1983年-1984年:NHK)、春日局(1989年:NHK)、渡る世間は鬼ばかり(1991年-:TBS)、他多数。
主な作品
ドラマ
となりの芝生(1976年:NHK)
女たちの忠臣蔵(1979年:TBS)
おんな太閤記(1981年:NHK大河ドラマ)
おしん(1983年-1984年:NHK朝の連続テレビ小説)
いのち(1986年:NHK大河ドラマ)
おんなは一生懸命(1987年:TBS)
春日局(1989年:NHK大河ドラマ)
おんなは度胸(1992年:NHK朝の連続テレビ小説)
春よ、来い(1994年-1995年:NHK朝の連続テレビ小説 “ホン(脚本)を任されたのをいい事に自伝をドラマ化した”との批判も)
番茶も出花(1997年:TBS)
ハルとナツ 届かなかった手紙(2005年10月2日-6日:NHK)
涙そうそう この愛に生きて(2005年10月9日:TBS)
渡る世間は鬼ばかり(1991年-:TBS)
著書
渡る世間に鬼千匹(1997年:PHP研究所)
受賞
NHK放送文化賞(1979年)
松尾芸能大賞
菊池寛賞(1984年)
紫綬褒章(1988年)
勲三等瑞宝章
東京都文化章
毎日芸術賞特別賞
劇中セリフの特徴
ドラマの脚本執筆の際、役者に喋らせる台詞が長い事で有名。加えて助詞(いわゆる「てにおは」)一字の発音違いも許されないと言われている。
橋田脚本の作品では最早死語となったような上品なセリフが多く発せられる。
主なものに「作る」というところを必ず「拵える(こしらえる)」と言わせる、「味噌汁」を「御御御付(おみおつけ)」と言い換える、など。

岡村 淳(おかむら じゅん)プロフィール(2005年11月版)
1958年11月7日生まれ。東京都目黒区出身。
1982年、早稲田大学第一文学部日本史学専攻卒業。
考古学・民俗学・人類学などから、現代日本文化に潜む縄文文化の痕跡を研究。
同年、日本映像記録センター(映像記録)入社。
牛山純一代表プロデュ―サーにテレビ・ドキュメンタリー作りを叩き込まれる。
処女作はシンガポールにロケした「すばらしい世界旅行」『ナメクジの空中サーカス 廃屋に潜む大群』(1983年)。
以後、「すばらしい世界旅行」「知られざる世界」(いずれも日本テレビで放送)の番組ディレクターを担当し、ブラジルを始めとする中南米を主に取材。
特にアマゾン取材が多く、「すばらしい世界旅行」『大アマゾンの浮気女 最後の裸族地帯』(1984年)などインディオの生活や大逆流ポロロッカ、吸血コウモリの生態などをお茶の間に紹介する。
1987年、フリーランスとなり、ブラジルに移住。
その後「すばらしい世界旅行」の他に「新世界紀行」(TBS)、「スーパーテレビ情報最前線」(日本テレビ)などのディレクターを担当。
1991年、「フリーゾーン2000」(衛星チャンネル)の取材を契機に、小型ビデオカメラを用いた単独取材によるドキュメンタリー作りに開眼。
以降、記録映像作家としてNHK、朝日ニュースター、東京MXテレビなどで作品を放送。
1997年より自主制作によるドキュメンタリー作りを始める。
ブラジルの日本人移民、そして社会・環境問題をテーマとした作品の制作を継続中。
自主制作の代表作に「郷愁は夢のなかで」(1998年)、「ブラジルの土に生きて」(2000年)、「赤い大地の仲間たち フマニタス25年の歩み」(2002年)、5時間15分の長編「アマゾンの読経」(2005年)など。
最新作として橋本梧郎シリーズ第3作目の「ギアナ高地の伝言 橋本梧郎南米博物誌」を2005年11月、完成。

(後編に続く)


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