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岡村淳のオフレコ日記
     岡村淳アーカイヴス  (最終更新日 : 2024/02/18)
拓殖学・移民歴史感から見た『ハルとナツ』のドラマ研究(後編)

拓殖学・移民歴史感から見た『ハルとナツ』のドラマ研究(後編) (2006/01/23) 拓殖学・移民歴史観から見た『ハルとナツ』のドラマ研究(後編)
野口紘一著

『ハルとナツ』の物語が繰り広げられたドラマのブラジルでは、昔の統治国ポルトガルの影響はまさに、ブラジルのあらゆる所に染み渡っていますが、このポルトガルの植民地であったアフリカのモザンビークに、昔の中国からポルトガルが借地していた、マカオから連れて来られた広東人が居ました。

丁度私がモザンビークを訪れた頃は、モザンビーク解放戦線とポルトガル軍が激しい戦いをしていた時期でした。ここにモザンビークとブラジルを比較して見ます。当時1967年頃でしたが、内戦を避けて中国人達が首都のマプトに集まって住んで居た頃でした。

彼等中国人が日本人移民と違う事は、農業雇用移民では無く、昔の農奴的な状態で、半ば売られて来た感じでした。彼等が当時の職業は三刃職と言う、調理刃、理髪剃刀刃、呉服鋏刃と彼等が洗濯板と炭火アイロンで仕事が出来る、投資資本の要らない職業でした。

彼等中国人がその職業で蓄えた資本で始めた商売は、中華レストラン、商店などでした。彼等が当時の内戦から逃れる為に、香港、シンガポールなどを目指していましたが、彼等が考えていた移住という観念は日本人とは少し違っていた感じでした。日本人以上の過酷な運命を担ってモザンビークに来ていた中国人には、広東系の人が多く居ました。

モザンビーク共和国 
(Republic of Mozambique)
一般事情
1.面積 80.2万km2(日本の約2.1倍)
2.人口 1,910万人(2004年:世銀)
3.首都 マプト(人口約110万人、2004年)
4.人種 マクア・ロムウェ族など43部族
5.言語 ポルトガル語
6.宗教 キリスト教(41%)、イスラム教(17.8%)、原始宗教
7.国祭日 6月25日
8.略史 1544年 ポルトガルの貿易商人ロレンソ・マルケスが
現在のマプトに貿易基地を設け植民地活動本格化
1629年 ポルトガルの支配権確立
1900年 反ポルトガル蜂起続発
1962年 モザンビーク解放戦線(FRELIMO,現政府の母体)結成

国 名: ブラジル連邦共和国 
(Federative Republic of Brazil)
2005年12月 現在
一般事情
1.面積 851.2万km2(我が国の22.5倍)
2.人口 1億8,352万人(2005年地理統計院推定)
3.首都 ブラジリア
4.人種 欧州系(55%)、混血(38%)、その他(アフリカ系東洋系等)
5.言語 ポルトガル語
6.宗教 カトリック教徒約90%
7.略史 1500年 ポルトガル人カブラルによるブラジル発見
1822年 ポルトガルより独立(9月7日)
1889年 共和制樹立(11月15日)

ブラジルが色々な人種とその混血で成り立つのに対して、モザンビークがアフリカ黒人種の43部族からの主構成で成り立っています。そこに少数の広東系の中国人達が住んで居た事は、ブラジルの日本人以上の苦難があり、歴史的に見ても、地理的に見ても彼等が安住の地では無かったと思います。彼等中国人達と、日本人雇用移民との格差などを『ハルとナツ』のドラマを見ていて、ふと思い出して考えていました。

アメリカでも大陸横断鉄道工事工夫として連れて来られた中国人達が、工事終了後、サンフランシスコに集まり、そこで町を作り、彼等の集団の社会を育てて行った中で、一生涯結婚も出来ずに、中国大陸から連れて来られた娼婦達に休日に長い列を作り、慰めを求めていた男達が居た事は、ブラジルのサンパウロ市に当時栄えた日本町がリベルダーデ区内で多くの商店や旅館、飲み屋など日本で存在していたと同じ職種の店があった様に、移民歴史の流れは同じ道筋をたどって来たと感じます。その様な歴史感での、この『ハルとナツ』のドラマを見ていた人は、1%も居ないと感じますが、それは当然な流れと思います。

次に『ハルとナツ』のドラマを一般的な通俗的鑑賞として思考してみます。
このドラマを精査して行く内に感ずる所は、NHKが開局いらい最大のヒットをした連続ドラマ『おしん』の人生ドラマです。このドラマは日本国内でも最大のヒットを掴みましたが、海外でもその視聴率は記録的なレコードを作りました。海外で60カ国でTVでの放映がなされ、NHKが開局以来の快挙記録です。

最高はイランで放送された最高視聴率は82%でタイ国でも81.6%と、かなり同じ率の視聴率となりました。中国北京では75.9%と、ここでも日本の連続ドラマとしては驚異の記録です。ポーランドでは70%とヨーロッパでは日本の連続ドラマとしては最高の記録を作った様です。

一連の作品が同じ系列のNHKのプロデューサーが関係している事は、今回の『ハルとナツ』のドラマが企画、立案、実行との一連の関連した製作に類似した『おしん的な脚本の粗筋』となり、『お涙頂戴、感動のドラマ』としての日本全国のNHK放送網を通じて放映となった経緯も、海外衛星放送網を通じて流された経過を見ても、視聴率最優先の為ならいかなる筋合いでも、たとえ『毒を食らっても』と言う発想があったのではないかと勘ぐりたくなります。

事実、NHKがドラマ化した映像をTVで鑑賞して感じる事は、作者がそこまで精査して、ドラマを制作の脚本を製作出来たかという疑問でした。現在の年齢と行動力、一部かなり正確なブラジルの戦前の雇用移民の実態やその行動、過去の雇用者との経緯、また当時、日本の移住形態などからの分析をしてみれば、何か正確な参考資料と助言者と体験、経験者からの面接聞き取りなどが無ければ脚本の構成は無理と感じます。そのような各編を構成する『筋』は、はたしてどこからヒントを得たか?、企画、立案、製作までの過程から来る原作から脚本構成まで、そこから俳優や撮影スタッフの選定、現地ロケなどの手配、あらゆる要因を考査すると、私が感じる事はあれだけの単発大作にしては、時間的に短い時間での製作となったと感じます。

原作から脚本製作までの流れが短いほど、原作者の時間的な余裕は無くなりますから、実質的には原作者の名前は飾りとなり、NHKが主導としての製作では無かったか?と疑問が湧いて来ます。確かにドラマとしては単に娯楽作品として、『おしん』の原作者としてのタイトルを掲げて、『ハルとナツ』のドラマが放映されたのですから、視聴者としては興味と、ドラマの前宣伝での予告編に、胸をときめかせていたと感じますので、一篇のドラマとして、それ以外の思考を持たない人は『涙して、感動して』,ブラジル移民と言う戦前の苦難とその歴史を実話のごとく感じて見ていたと思います。しかし、日本でブラジルや南米の各地から出稼ぎで来ていた人が見た思いと、同じくブラジルやアルゼンチン、パラグワイ、ボリビアなどの移住地で衛星放送での鑑賞とは大きく意味合いが、そして感じる割合が違っていたと思います。そして私の様な目で見ていた人もほんの僅かですが居たと感じます。

次にNHKの『ハルとナツ』の物語のHPをを紹介致します。
そこの掲示板を覗いて見て下さい。
かなり一般的、通俗的な感想と感動のコメントが載っています。
放映されたストーリーを事実の物語と誤認している感じも伺えます。

NHKの掲示板での感想はあくまでNHKがコントロールする掲示です。
最初には書き入れの注意書きが掲載されていて、それを読んでから掲示板に入ります。
また600文字という短文での感想となっていますので、過去ログを読んで見ますと、同じ文面となり、NHK協賛会の賛同文と思われる感じも受けます。どこを読んでも『盗作疑惑』などの事は書いては有りません。

おそらく書いても、掲載はさせないと感じます。その様に下に注意書がして有ります。公的な中立の放送機関として、批判的な文面がひとつも無いと言うのは少しおかしいと感じます。
貴方もこの研究の一環として覗いて下さい。
NHKの掲示板のアドレスは下です。クリックすると閲覧できます。
http://www3.nhk.or.jp/drama/drames/drama/117/page_001.html
なお、この『 ハルとナツ 届かなかった手紙 』のドラマはアマゾンで販売しています。
もう一度見たい人はどうぞー!

最後にこの『ハルとナツ』のドラマ研究から見た、総体的な結論をまとめて
この研究の締めくくりをしたいと思います。

NHKは公共放送局としての立場と、中立と公正を理念とする放送媒介の情報網を維持、管理、運営して、僻地と言われる場所でも視聴者の便宜として、難視聴区という場所を解消している、まさに公器としての放送を維持している事は、日本国民が認める所で有ります。

しかしながら、現在ではかなりの番組製作時点での疑惑と不正が有る事は法で起訴され、有罪を裁判所から言い渡された事を考えると、内部番組製作の企画時点での、透明性と番組の企画、立案時点でのそれを鑑査する体制がいかなるものであったか、疑問が有る事はNHKでも重要な番組製作担当プロデューサーが、リベート的な金銭の受け渡しで逮捕された事は、記憶に新しい事です・・・、と言う事は内部鑑査システムが働いていなかった事です。
現在では番組製作は他の民放との熾烈な視聴率競争となっていますので、それを視野に入れると、かなりの単発ドラマ制作、大河ドラマ、記念番組制作、ドギュメンタリー記録番組制作、などにおいて多くの競争の中での視聴率獲得競争のレースに立たされている番組制作者達が、己のプライドと番組制作上の面子に賭けて制作されたのが『ハルとナツ』のドラマです。

NHKの80年記念制作ドラマですが、作者と制作者のコメントが下のHPに出ていますので、是非とも読んで下さい。制作者自身が『おしん』との関連性について言葉を残しています。
http://www.nhk.or.jp/drama/harutonatsu/html_haru_midokoro.html

ドラマの焦点がブラジル移民と言う戦前の貧農達が、夢と希望を賭けた移民という選択をするか、都会へ仕事を求めて奉公に出るか、第二次大戦を挟んでのドラマ展開は『おしん』の影を色濃く残して居る事は、ドラマを見て直ぐに気が付く事です、しかし80年記念番組として、日本の移住の一番主要な国、ブラジル移民の苦難の歴史を題材とした事は、これは真に有意義であったと感じます。そしてその移住歴史を世にNHKと言う公器を持って広く放送された事は、視聴率と多くの人がドラマを見る機会でもあったと感じます。
この事は拓殖学・移民歴史に関って来た人間としても、賛同と感謝を持つものでありますが、このドラマをただの娯楽作品として、『お涙頂戴、感動のドラマ』としてだけ見る事もない人間からすると、そして精査して、公証して、体験からの観察眼で鑑賞して、そこから批判と言う評論を引き出して見ると、これはまったくの私の偏見と個人的な主観からの結論として・・・・、

『そして現時点でのブラジル及び南米各地での取材活動、報道取材からの、移住者、移民歴史、日系社会、ブラジルの環境問題などを日本から移住して精力的な活動を持って、経歴から見ても拓殖学・移民歴史を充分に理解できる能力を感じる岡村淳氏(おかむら・じゅん)早稲田大学日本史学専攻卒業、考古学と民俗学を学んだ専門家の見た視野での数々の記録フイルムから、NHKが参考資料として岡村氏撮影のドギュメンタリー記録番組作品から『筋』として、一部分で『ハルとナツ』のドラマを制作したと感じます。』

私の個人的な考えですが、NHKはドラマの少なくとも巻頭のタイトルの中に『参考資料』として、『岡村氏撮影のドギュメンタリー記録番組作品から』と一筆入れる事は、恥じでもなく、虚偽でもなく、真実として、多くの周知の事実として、同様な作品がすでに過去に上映されていた事があると言う事は、すでにこの世では誰もが認める事であるから、現代の常識からして、少しもおかしくはない事と感じます。

そうする事で、NHKと言う公器の放送機関が疑惑と言う様な不祥事を感じさせる事は無かったと、この『ハルとナツ』のドラマ研究から感じました。

おわり。
 野口 紘一


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