「あもーる あもれいら」第二部を読む (2009/05/24)
2008年12月。
ブラジル移民「公式」100周年の年。
そして岡村が齢五十を迎えた年。
その節目に、これまでの集大成として「あもーる あもれいら」第2部『勝つ子 負ける子』を完成させました。
岡村の、祈りの結集です。
この作品にちょうだいしたコメントを、それぞれの方々のご了解をいただいた上でご紹介させていただきます。
2009年4月の札幌上映会に参加してくれた日本映像記録センター時代の後輩、平井真一さんからこの度、新たにコメントをいただきました。
平井さんは牛山ドキュメンタリーに関わり、現在は北海道でテレビ番組ディレクターをされているだけに、岡村自身、目を見張る指摘をたくさんもらいました。
以下、関連部分をご紹介します。
真珠の輝き
岡村さんの作品の根強いファンが大勢いるということは今のテレビ番組と対極にある、正攻法のドキュメンタリーへの潜在的な需要は非常に大きいという何よりの証拠だと思います。
それだけに日頃、たいした中味もないのに、わざとらしい演出で感動の押し売りばかりしている民放テレビ業界に身を置いている平井としては、本当に励まされる思いがしました。
「あもーるあもれいら/第2部勝つ子負ける子」、平井が前回拝見した「ギニア高地」とはまた違った風合いの作品、大いに考えさせられました。
昨年上映の「第1部」を見逃してしまったことが悔やまれます。
ドキュメンタリー取材時、「現場では取材対象者が自然に振舞えるように取材クルーは空気のようになれ」とよく言われますが、多少なりとも現場を踏んだ私としては「うそつけ!そんな訳ないだろ!」と思っています。
特にテレビ局の威圧的なカメラやマイク、図体のでかいスタッフが目の前でうろうろしていたら、消えてなくなるはずがありません!
小さなデジでもカメラはカメラ、レンズを向ける・向けられるという関係では同じだと思います。
「異物」は「異物」として残るというのが平井の実感です。
であれば、その「異物」はどうしたらよいのか?
「異物」を飲み込んだ真珠貝が時間をかけて、その「異物」を美しい真珠で被っていくような人間関係が築けるかどうか。
つまり取材対象者とそれを取り巻く人間関係に、取材クルーを加えてどんな新しい「人間関係」が築けるか。
その上で取材対象者がどんな新しい顔を見せてくれるのか?
そんな気がします。
もしかすると取材クルーは、確信犯であるかどうかを問わず、いわば「触媒」なのかもしれません。
そんな意味で岡村さんの「あもーるあもれいら」は、決して派手な光ではありませんが、温かく柔らかい光を放つ見事な「真珠」に結晶させた作品だと思いました。
時には子どもたちやシスターにぐんぐんのめり込んでいく岡村さん、また時には、まるで子どもたちの頭を優しく、いとおしそうに撫で回すかのように撮影していく岡村さん。
「カメラのおじちゃん」が保育園の一員として、しっかりと「関係」を築いている姿が画面を通じて、ひしひしと伝わってきました。
そして何より、前回の「ギニア高地」と同様、直接画面に映っていなくてもしっかりと岡村さんの姿が作品に投影されていたと思います。
平井と嫁さんが一番印象に残ったのは、孤児の少年のエピソード(ルアン君でしたっけ?)。
子どもらしからぬ険悪な目つきで暴力を振るう少年。
シスターはそんな少年に年下の子どもたちの世話をさせるという、心憎い「お仕置き」を与えます。
正直言って、彼がおもちゃを放り投げたりするのかと内心ハラハラしましたが、そんな大人の「いやらしい想像」を立派に裏切って、甲斐甲斐しくおもちゃを組み立てては年下の子どもに与えていきます。
また「脱走」した子どもを全速力で見つけに行き、抱きかかえて連れ戻します。
そんな彼に岡村さんはカメラを回しながら、「力持ちだね~」と褒めてあげると本当に得意そうな顔をするシーンが忘れられません。
人は人の役に立つことで人に認められ、人として認められることが、人を変えていきます。それだけに、これまで彼が置かれてきた状況が透けて見えてきて、逆に胸が痛みました。
「お話し大会」で賞をもらえなくても、地団太を踏んで悔しがるかと思ったら、やっぱり大人しく並んでいた彼。
もし岡村さんが「第2部」の「第2版」を作られるのであれば、そしてまた、静かに列に納まっている彼の画があれば、ぜひ1カット加えていただきたいと思います。
その1カットだけで、彼の「成長」がさらに分かると思うのです。
対岸の日本にいて、お気楽に暮らしている人間が、あもれいらの子どもたちの置かれている状況を見て、「かわいそう」「気の毒」だとか同情することは簡単です。
それでも、健気に笑顔を絶やさない彼ら彼女らを見ているとどうか道を外さず、貧しくても愛情に満ちた人生を送って欲しいと切に祈りたくなる気持ちを禁じえません。
絶えず人間関係の中にぐいぐいと入り込んでいく岡村さんのカメラによって、観客たちはきっと、あたかも喧騒と熱気に満ちた保育園にいて、数々の「事件」を目撃しているかのような臨場感に包まれたに違いありません。
岡村さんの「目」を通じて観客自身も「見て」いるのです。
まさに牛山御大が言っていた「事実なんてないんだ。事実はてめえが作るんだ」と言う言葉が思い起こされます。
次に、完成と同時にご覧いただいて、最初にコメントを下さった作家の星野智幸さん。
10年以上にわたる岡村作品のかけがえのないウオッチャー。
言葉化し得ない領域を、言葉で紡いでいく、ことのはの錬金術師。
岡村淳さんの新作、「あもーる あもれいら」第2部『勝つ子 負ける子』を、湘南台での上映会で見る。
魂ごと持っていかれるような作品だった。この2年間、あまりに多くの不本意な死に立ち会って、そのやりきれなさに参っていたのだが、なぜこんなに不本意な死があふれていて、やりきれなくなるのか、この作品は、その答えを、説明ではなく、大きな曼陀羅、深い啓示で示してくれた。私は救いを感じた。
(以下、映画の内容に触れています。)
ブラジルはパラナ州にある田舎町アモレイラの保育園には、きわめて貧しく、厳しい問題にされされた家庭の子どもたちが集まっている。その子らのめんどうを見ているのは、長崎純心会から派遣されたシスターたちだ。
冒頭から、タイトルどおりの厳しい出来事が起こる。栄養失調の女の子が、ミルクに汚れた花びらを入れられている。その子はしかし、岡村さんのカメラにだけは笑顔を見せる。ブロックで遊んでいるときも、笑顔でカメラに向かい、「ママイ、ママイ」と言っている。岡村さんとこの子の絆に、こちらの心が穏やかになったとたん、この子は笑顔のまま、衝撃的な言葉を口にする。私はこわばるほかない。
このように、さまざまな形の「勝つ子」「負ける子」のさまが描かれていくのだが、そのクライマックスは、最後の「お話大会」。子どもたちは平和をテーマにしたワンフレーズを覚え、聴衆の前でそれを暗誦するのだ。審査委員たちが点数を付け、うまくできた子には賞が与えられる。順位を付けるのは、子どもたちに負けることを学ばせるためだと、堂園シスターは言う。思い通りにいかないこともあるということを知ってもらうためだという。
だが、「負けた」子たちの姿は、あまりにも痛ましい。「勝った」子たちは、容赦なく「負け組」をいたぶる。
なぜこんなに痛ましいのか。
映画は中ほどで、2005年の8月9日を迎える。長崎の原爆投下60年の日である。60年前に現場にいた宇田シスターは、殉難された方たちがいるから、今自分たちが平和に生きているという思いがある、と語る。岡村さんは、生き残る人と、亡くなる人と、それを分けたものは何なのでしょうね、と問う。宇田シスターはしばしの沈黙の後、神さまにしかわからないと答える。
勝つ者と、負ける者と、それを分けるものは、いったい何なのか。亡くなった人がいるから、生きている人がいる。負けた者がいるから、勝つ者がいる。それを分けるのは、何なのか。
映画は答えをはっきりとは示さない。ただ、その理不尽さを強いているのが人間であることは、明確に示されている。人間とはそういうものなのか、それが業か、と切なくなる。
あもれいらの子どもたちは、むきだしの死や暴力と隣り合っている。だから、作品の中で日付けが変わるたび、ああきょうもこの子はいる、あの子もいる、と顔ぶれを確認しては、私は安堵を繰り返した。子どもは屈託なく無邪気にはしゃぎ回っているのだが、画面じゅうから、生きたい生きたい、という、強烈な訴えが迫ってきて、見ている私たちの逃げ道を塞ぐ。私は苦しくなると同時に、自分もじつは死と隣り合っているのであり、この子たちのように必死で生きることはできるのだと感じ、生きていることの喜びに包まれもする。それがこの美しく苛酷なドキュメンタリーの与えてくれる、とても優しい救いなのだ。
あれこれ小賢しく書いても、この映画は許してくれるだろう。この作品は、詩とか、聖書の言葉とか、経典だとかと似ている。いくら言葉を費やしても、意味はあふれ出てくる。
きょう、見に行って、本当によかった。
(星野智幸「言ってしまえばよかったのに日記」 http://hoshinot.exblog.jp/ 2008年12月7日(日)より)
第2部関東初上映の仕掛け人、GAUSHOこと伊藤修さんのミクシイ日記から、以下ご紹介しましょう。
移民の歴史の通り一遍の表層から、自ら移民して、「人」を通して問題提起しながら、「生き方」「人生」「時間」「歴史」を精力的に撮り続けている岡村淳氏の新作「あもーる あもれいら」(勝つ子 負ける子)
無事に、湘南台の「Chacara」にて上映会を行う事が出来ました。
遠いところ、来てくださった方々に、感謝いたします。
・・・・・・・・・
なにか、素人くさいナレーションが、今作品は、なぜか重く心に響いてきます。
ナレーションを相当練りこみ、字幕の表現の苦労のあとが、小生もポル語を理解するだけに大変だっただろうなという事を感じました。
技術的なすばらしさが、今回は大きく影響しているしている事も今作品
の目玉であることも確かでしょう。
おそらく作者も予想していないぐらいに、この作品は一人歩きするに違いない。
人は、なぜ生きるのか・・・?
社会は、なぜ富める者と、貧しい者をつくるのか、なぜ、人は、弱い者と強い者がいるのか・・・。
未成熟の大人社会が、いつも子供社会にそのまま反映しています。
それは、豊かな国であろうが、貧しい国であろうが同じでしょう。
人間社会の最小単位の家族から
この世界に生きていこうとする子供達
の希望、悲しみ、喜び、憎しみ、愛・・・
人の存在の価値が、より強く、より豊かにと一元化している世界で
幼い魂が葛藤していきます。
幼い魂? それは、私たち自身ではありませんか・・。
映像を撮っている、岡村淳の手を静かに握る続ける子供・・・。
喧嘩を止める岡村の声「カーマ、カーマ」という声。
ドキュメンタリーの画像に写りこんだ岡村自身の左手に、
岡村淳の愛情があふれでています。
岡村氏が命がけでしている事は、映画つくりではなく、
一緒に生きる事・・・?
良い作品でした。
岡村淳という人間について一言。
小生の店で、岡村氏が、食事によく来る若いカップルと
話をしておりました。
小生は、お肉を焼いておりまして、やり取りはわかりませんが、後日、「ガウショさん、あの、店で会ったカップルね、作品が見たいって時間があえば、パソコン画面のでも、僕はDVDもって上映にGauchaに行きます。」
この、岡村氏の言葉が、ある意味すべてを語りつくしている。
この情熱が、あふれ出ている第2部 機会があれば皆さん、
本当に見てください。
小生の方がドキュメンタリー作りたくなります(笑)
ここで、淺野卓夫さんにご登場願いましょう。
星野さん同様、90年代からの岡村の同伴者。
錬金術師は星野さんで使っちゃったから、淺野さんは、ことのはの妖術師ぐらいで。
岡村淳 「あもーる あもれいら」第二部「勝つ子 負ける子」 diary
在ブラジルの記録映像作家・岡村淳さんの新作「あもーる あもれいら」を湘南台のコミュニティ・スペース「シャカラ」でみた。作品の舞台は、押し寄せるグローバル経済の波に翻弄されるブラジル・パラナ州の農村、アモレイラ。長崎純心聖母会から派遣された日本人シスターの運営する託児所に通う、多くは貧しい母子家庭の子供たちの成長によりそう連作ドキュメンタリーだ。今回上映されたのはその第二部、題して「勝つ子 負ける子」。
権力者とマスメディアがこぞって喧伝する世俗的で短絡的な自己欲求の解消を「勝利」とみなす皮相な価値観ばかりが蔓延し、それゆえに「敗者」の欲求不満が性急で理不尽な暴力として噴き出しつづけるこの国の病的な現在に、「あもーる あもれいら」はいったいどんなメッセージを届けようとしているのか。
褐色の少年少女たちの目、目、目。不安、落胆、甘え、笑い、いじわる、喜び、はにかみ、気取り、あこがれ、求め、涙、プライド、怒り。冒頭から、現代社会の「勝ち組」の論理からはじき出された幼いかれらの無数のまなざしが豊かにきらめいて、今日を生き延びようとする苛烈な意志を必死に語りかけて来る。パンがない、ミルクがない、きれいな水がない、暖かいベッドがない、頼るべき人がいない、治療代がない、父親がいない、母親がいない。でも、生きたい。こちらをじっとみつめる子供たちの口から発せられる「ことば」は時としてぎょっとさせられるもので、ぼくらのやせ細ったのヒューマニズムをこなごなに打ち砕くこともあるだろう(幼いかれらは、まわりの大人や子供からさんざん浴びせられてきた暴力的な言語を無邪気に模倣しているだけである)。そして、そんなアモレイラの子供たちの生を裏打ちするふかい沈黙と闇もまた、不意にかれらの見せる翳ある表情をつうじて語りかけて来る。
「なぜこんな汚いものを撮るのか」と恥ずかしそうにたずねる貧しい家庭の老婆もいれば、原爆の日について語ることをおだやかに拒む長崎出身のシスターもいる。なぜ、わたしはかれらにむけてカメラをまわすのか。わたしは何をみようとしているのか。何を記録しようとしているのか。撮影すること(shoot)は、射殺すること(shoot)でもある。アモレイラの町で出会った声と沈黙に、映像作家としてどう応えていけばよいのだろう。勝つことと負けること、生きることと死ぬことを分かつものは、何か。まなざしの問いかけは、おわらない。
作品の後半で、思いがけず、作家である岡村さん自身の「手」が場面に映り込んできて、息をのんだ。ふだんはひょうきんもののとある少年が、かすかにからだを震わせて茫然自失として座り込み、無言で手をさし出してくるのに、作家はごく自然にこたえていたのである。おそらく不在の父のみがわりとして。崇高な愛のシーン、そう思った。「崇高な」といっても、それは宗教的な超越性とはややちがう。日常的で「家庭的」(ブラジル語でカゼイロ)な優しさをけっして手放さない、崇高さである。この場面で、ぼくはすべてのことばを失った。左手にカメラを、右手に温もりを。ドキュメンタリー作家は、カメラをかまえて対象を「まなざす」、つまり適度な距離をもって観察したり解釈したりするだけでなく、同時に利き手でないもうひとつの手で対象にそっとふれ、不器用でも、相手をやさしく愛撫することも抱きしめることもできるのだ、とこの作品は証明した。
少年は、何かに耐えるようにして岡村さんの右手をしばらく握りしめたあと、急に生気をとりもどしていつものいたずらっ子の顔になり、作家が利き手で構える小型ビデオカメラにとびついて、みごとなストレートパンチをいっぱつ喰らわせた。これを奇跡の瞬間と言わずして、何を奇跡と言えばいいのか。カウアニ、ルアン、アントニー、イカロ……。アモレイラの子供たちと「カメラをもったチオ(おじさん)」とが共有してきた血の通った時間、そこでかれらが交わしてきた親密なコミュニケーションの消息を、たとえばこの部分の映像は凝縮して示している。
「あもーる」とは「愛」のこと。ドキュメンタリーは、人を愛することもできる。岡村さんは、しかしその真実を声高に訴えることはせず、みずからの作品のなかで淡々と問い続けるだけだ。「あもーる あもれいら」。交差するまなざしと手の温もりから生まれた映像の奇跡ともいえる、つつましやかな愛の光りが、アモレイラの町から遠く離れた地で暮らす観客の胸の奥の暗がりでちいさく輝いた。その輝きの瞬間を、ぼくはわすれない。SAUDADE BOOKSのHP・2008年12月8日付からでした。(
http://sea.ap.teacup.com/applet/saudadebooks/archive?b=10 )