「アマゾンの読経」を読む (2009/09/02)
2009年夏の横浜オールナイト上映でいただいた「アマゾンの読経」へのコメントを契機に、作品へのコメントをご紹介します。
14日未明から15日の明け方にかけて、このブログでも告知した、岡村淳監督の『アマゾンの読経』を見た。
なんて言うんだろう。 この作品が、テレビのドキュメンタリーみたいに1時間半くらいでサクっとまとめられていたら―。
『この人物はこういう人ですよ』 って、一点だけクローズアップして、派手に音楽流して演出されていたとしたら、きっともっと号泣して、感動するんだろう。
だけどきっと、起きて次の日になったら、 「あれ、そういえば昨日なんか見たっけ?」 みたいな感じで、すっかり忘れてしまうだろう。
だけど岡村監督の作品は、観たあとすぐは言葉にならない。 なんだかボーゼンとしてしまう。 とくに、5時間16分におよぶ『アマゾンの読経』はそうだった。
人間はどんな人でも、決して一面だけじゃなく、いくつもの顔を持っている。
それを、テレビや紙面といった限られた場で紹介するときは、A~Wまであるその人の多面性の中から、「A」という一番特徴的で、突出した部分だけを取り上げ、 「この人は、こういう人ですよ」 とまとめなければならない。
それは、作り手としても心苦しいことだし、観る側にとっても、じつはつまらないことだと思う。
岡村監督のドキュメンタリーには、こうした妥協がいっさいない。 だから、ある意味とても贅沢な気持ちで見入ることができる。
『アマゾンの読経』に関しても、撮影に費やした時間はなんと9年間だという。 そのうちのもっとも凝縮した「5時間16分」を私たちが観たのだと思うと、なんと贅沢なことだろうと思う。
凝縮されているとはいえ、主人公を多面的角度から表現するには十分な時間であり、観ている私たちは、主人公や周りの人々の人生もそのまま引き受けたような気がして、ひとつひとつ心の中を整理していくのに時間がかかるのだ。
そして上映から丸一日経った今、ようやく脳の整理が終わったらしく(笑) こうしてブログに書けるまでになった。
私はこの2年間ほど、ずっと「移民の歴史」を多くの人に知ってもらいたい、と思い続けてきたが、この作品を観て、またその気持ちが強くなった。
光と闇、成功と堕落、野心と恐怖、生と死、愛情と憎しみ……
そんな正反対の人間の業みたいなものが、移民の歴史には凝縮されているように思うからだ。
過去のことだけど、たぶん過去のことじゃなく、自分たちの生活には関係ないことのように思うけど、じつは深いところで関係している、そんな気がするからだ。
なんだろう。 まだうまく言えないなぁ。
作品の感想を語るにはあと一日くらい時間がかかりそう。
(和田秀子さん「hideinu日記」 http://ameblo.jp/hideinu-nikki/page-4.html #main 2009年8月16日付より)
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