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岡村淳のオフレコ日記
     岡村淳アーカイヴス  (最終更新日 : 2016/10/26)
オカムラ作品をつぶやく

オカムラ作品をつぶやく (2012/08/19) 今日、世界中の市民の貴重なツールとなったtwitter。
ここでも140字枠を駆使した、岡村作品についての目を見張る発言が発表されています。
以下、発言者のご承諾をいただいて転載します。

@zumikida 2012年7月22日
横浜ジャック&ベティで岡村淳さんの《あもーるあもれいら》を観る。簡単に「感動」なんて言えないような色んな思いがいっぱいで上手く言葉にできない。大事なモノを山盛り手渡された感じ。27日まで連日19:45~

@zumikida 2012年7月22日
《あもーるあもれいら》の舞台はブラジルの田舎町アモレイラ。日本人のシスターたちが運営する、貧しい家庭の子どもたちのための保育園を一年にわたって追ったドキュメンタリー3部作です。

@zumikida 2012年7月22日
岡村淳さんの映画は最初から最後までぜんぶ岡村さん一人で作っている。そして上映には必ず岡村さん自身が立ち会い、前後のトークをひっくるめたライヴ上映のスタイルを取るのだ。音楽をやる者にはごく普通のことなんだけど、再生可能な映画としてはなんと効率の悪い方法だろう!

@zumikida 2012年7月22日
でも、岡村さんが上映に立ち会い、そこで話すことで、ブラジルの、私たちが決して出会うことのないであろう登場人物たちのことが、遠い世界の他人事とはとても思えなくなるのだ。それがカメラの前に人生を晒してくれた人たちに対する岡村さんの責任の取り方なのだと思う。

@zumikida 2012年7月22日
岡村さんは決して、自分の言いたいことのために登場人物を利用するということがない。こういうドラマを作るためにはこういう発言が欲しい、というような作り方を完全に手離してしまっている。その潔さ。

@zumikida 2012年7月22日
こうして作られた作品は当然、誰かが机上で思いつくようなドラマには収まらない。観る側からいえば、あぁこういうパターンね、という具合に消化してしまえる可能性がないからある意味しんどいのだけれど、そこにこそリアリティがあるのだと思う。

@zumikida 2012年7月22日
では岡村作品が、目の前で起きたことを淡々と記録するようなものかというと全然ちがう。岡村さんは圧倒的な存在感で作品全篇に存在している。そこに収められているのは、岡村さんの主人公たちへの信頼や、登場人物たちの人生、あるいは命に対する敬意といってもいいかもしれない。

@zumikida 2012年7月22日
アイルランド音楽のショーン・ライアンは、音楽は音の1つ1つに己を刻印するようにしてするのだ、と言っていた。でもその結果生まれる音楽は、風が吹くように花が咲くように自然で、演奏者のエゴから限りなく自由に解き放たれている。最初から無色透明でいようとしたらそんなことにはならない。

@zumikida 2012年7月22日
岡村さんの映画はそれに似ている。どの瞬間も作品は岡村さんであることをやめない。だからこそ恣意的なドラマがなくても作品は作品として成立するし、その作品の登場人物は決して、物語の道具に/作り手と観客の感傷の材料に貶められることがない。


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