『郷愁は夢のなかで』を読む (2017/05/24)
西暦1998年に初版を完成して、2001年に改訂版を作成した岡村初の長編自主制作『郷愁は夢のなかで』。 近年いただいたコメントのなかから紹介させていただきます。
ものすごいテキストと映画に出会ってしまった! 吉田守伸さん(編集者) (西暦2017年5月16日付facebookの記載に加筆いただきました)
興奮の冷めないうちに。今夜は日系ブラジル移民を追った岡村淳さんのドキュメンタリー映画『郷愁は夢のなかで』を観てきた。 この映画は、鹿児島からブラジルへ渡った西佐市さんという男性の生涯を描いている。 映画の冒頭で、ややハイトーンの男性の声で民話のようなものが語られる。声はやわらかく、しかし遠い時間の彼方から届くような不明瞭さも伴って画面に沁み渡る。 これは当の西佐市さんが、自分で創作した浦島太郎の物語を朗読している声である。 岡村さんは別の日系移民の男性から、その不思議な物語を創作している西さんの噂を聞きつけ、取材に赴く。
前半は実際に西さん本人へのインタビュー映像が流れるが、取材中に西さんが亡くなったことで、後半は彼に縁のある人びとへカメラの対象が移り、無数の証言から西さんの人生が立体的に明かされていく。 西さんは10代でブラジルへ渡り、以来現地で身を立てて自分の農場を持つにまで至るが、生涯自分の家族を持つことはなく最後は養老院で一生を終える。 中年になってから一度日本へ戻り家族の元を訪ねるも、生まれ育った土地はすっかり変貌を遂げ、家族とも折り合いが悪く、失意のうちにブラジルへ帰ることになった。 こうした日本という祖国や家族との摩擦が、証言の積み重なりによって徐々に明らかになっていき、その過程も非常にドラマチックなのだが、何よりも前半に流される「浦島太郎」の朗読に頭を撃ち抜かれた。
大筋はよく知られている浦島太郎の話を下敷きにしているのだが、合間合間に歌謡の一節や近代文明批判、死生観、幻想的な故郷の風景などが織り込まれ、ものすごく複雑なテキストになっている。 その物語自体の背景には、数十年を経て故国へ戻り、かつてのようではない土地や人びとのあり方を目の当たりにした時の、西さんの戸惑いと深い失意があるのだろう。 しかし、それだけでなく、そこには一人で異国の地で人生を作り上げた人の、日々の思索から形づくられた無二の宇宙観も同時に現れているように思った。 後半のパートでは肉親の証言等の外的な証拠から、彼の身に何が起き、どんな心情で人生を送ったのかということが推測されていくのだが、本人のテキストはもっと内側の部分、彼の心の中を吹き抜けていただろう無常の風のようなものを生々しく語っていて、それが殷々と響く映画の通奏低音になっている。 ものすごいテキストと映画に出会ってしまった!
上映後の監督のお話では、浦島太郎のテキストは録音データはあるものの、独特の訛りや言葉の背景知識についての素養が求められるせいで、未だ完全な文字起こしがないという。 いつか活字でも読めるといいのだが。 何はともかく、素晴らしい夜をありがとうございました。
|