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岡村淳のオフレコ日記
     岡村淳アーカイヴス  (最終更新日 : 2018/08/13)
【新規入稿!】岡村淳ライブ上映会を読む

【新規入稿!】岡村淳ライブ上映会を読む (2018/08/13) 岡村淳のライブ上映会そのものについて言及した記載を紹介いたします。

1.「小さくても地球規模の上映会」
ミュージシャンの木下ときわさんのブログで学芸大学ライブ上映についてご紹介いただきました。
西暦2018年5月8日付 Tokiwa Kinoshita
http://tokiwakinoshita.com/blog/20180508/8533/ より:

連休期間中、二つの自主上映会に足を運びました。ひとつは、岡村淳監督の自主制作ドキュメンタリー。去年岡村監督とヤマベボッサでご一緒して以来、来日される期間にはどこかに伺うようにしています。「リオ フクシマ2」に続いて今回観ることができたのは「郷愁は夢のなかで」。私も学生時代に渡伯した時に日系人の方々にお世話になったことがあり、岡村監督の描かれる移民社会の光と影が、とても興味深いのです。この155分の作品の主人公は天涯孤独の道を歩み、自作の「浦島太郎」を誰に語るともなく紡いでいた西さんという老人です。西さんのピュアなつぶらな瞳が印象的。ブラジルの奥地で、人情あふれる近隣の人たちに見守られながら、晩年を過ごしました。西さんは「無縁仏」となられたけれども、現代の日本で起こる「孤独死」を思うと、人同士がこんなに近くにいるのに、心の距離がありすぎるのは本当に淋しいことです。それは西さんが、戦後、故郷の日本に戻って目の当たりにした、景気が良くなって人が変わった、利己主義になった、と語っていたことがひとつの答えなのかもしれません。

浦島太郎とは西さん自身のことであって、世の中の変遷、時代の流れに取り残された者だけが見ることのできる景色なのだろうと思います。それは絶望のようなものなのかもしれませんが、物語として私たちに語り伝えてくれることこそ希望に変わるし、それをブラジルの大地に埋もれさせず、ブラジルと日本を往復しながら記録に収め、さらに時を経て東京の街の一角で私たちの心に届けてくださった岡村監督と主催者の方に、改めて拍手を送りたいと思います。

上映後、監督とお話させてもらった時に、すぐにお気づきにならなくて「公安が送りこんだハニートラップかと思いました!」とびっくりされたのには大笑いでした。岡村節もいつもさすがです。

さてもうひとつ観たのは「コスタリカの奇跡」という映画です。中米コスタリカはどのようにして軍隊を持たなくなったのか?その歴史や現状を私たちは知る由もなかったのを、アメリカ人の監督によって歴代大統領のインタビューなどで紐解かれた作品です。昔とある方から「人間関係でいちばん幸せなことは対等であること」と教わったことがあります。国家間でも同じことが言えると思います。コスタリカは勇気と決断力でそれを目指そうとしました。では、私たちの国は?軍事予算を増やすばかりで医療も教育費も削る国の未来は?これもほんとうにいい映画でした。どちらも小さな自主上映会。小さくてもテーマは地球規模、人類の未来につながっていくのだなあ。



2.岡村淳監督と石牟礼道子さん
神奈川足柄地区で活躍する rokutarou さんが岡村の上映会と拙著について書いてくれました。
岡村淳監督と石牟礼道子さん
西暦2018年5月22日付 rokutarou
https://ashigarakenpou.wordpress.com/2018/05/22/9957/ より:

今年、2018年2月10日は、岡村淳監督に出会った日、そして石牟礼道子さんの命日であると同時に、初めてその本を手にした日でした。それは私にとり、ひとつの大きな出会いの日となりました。岡村監督は、その上映会のオープニングトークで、石牟礼さんとの事をお話されました。
それまで存じ上げなかったお二方のお仕事。奇しくも同時に出会うこととなったこのお二人の仕事は、今後インスピレーションを与えてくれ、大切な事を教えてくれ、浅はかな自分を戒めてくれる、最重要な作品であり続けるだろうという予感があります。
ご自分の作品は、ご自身が立ち会われる形でしか上映しないという岡村監督。驚くことに、お一人でも観たい人がいれば駆けつけるというポリシーをお持ちです。移住先のブラジルから頻繁に来日し、来日の折には、日本全国を駆け巡る毎日をおくる、その過酷にも思える活動ぶりを、ウェブ上の日記で拝見するにつれ、何が監督を駆り立てているのか是非知りたいという気持ちは、強くなる一方でした。
先日は、『よりよい世界のために アレイダ・ゲバラの伝言』の上映会に、参加させて頂きました。これは、チェ・ゲバラの長女であり小児科医、そしてキューバ親善大使でもあるアレイダ・ゲバラさんが、横浜のステーキハウス、ガウシャにて行った講演会の様子を記録した作品です。
講演会当日、渋滞のために大幅に遅れて到着したアレイダさん。本来であれば、岡村監督やガウシャオーナーの伊藤さんとの対談も予定されていたそうですが、残念ながらその時間が無くなってしまい、作品はアレイダさんのお話が殆どです。
アレイダさんの言葉には、はっとする事が沢山ありました(ここには書かないでおきます)。が、『リオ・フクシマ』と『リオ・フクシマ2』で観た様な、人々の動きなどは特にありません。今回が私にとって3作目の岡村作品で、その前に観た2作とは、だいぶ趣を異にしており、作品としての衝撃度は、随分と違ったものでした。
でも、全くそれは問題ではないのです。
岡村監督は、何故、いちいち、上映会に足を運ぶという労を敢えてご自分に課していらっしゃるのでしょう。
それは、その作品を含めて、観客の方にとって、リアルな「体験」となることを、目指しておられるのではないか、と思ったのです。
そこには、「予定調和」は要らない、というか、無いのです。
近所の、選書の素敵な図書館で、買おうと思っていた監督の著作を見つけ、思わず借りてしまいました(すみません。また、購入させて頂きたいと思います)。
著作には、ドキュメンタリー作家となるまでの経緯、そしてドキュメンタリー作家となってからの、印象的な出会いの数々が語られています。それは、歴史、社会、政府といった大きく、実体のよくわからないものが作り出す動きの中で、せいいっぱい自分の生を具体的に生きる、声の無い人の声を取り上げようという、取り組みでした。そして、リアルって、いいことばっかりでも、悪いことばっかりでもない。フィクションの様にはいかないのが、リアルです。
その様な現実の中でこそ生きてくる、言葉にならない重み、人々の想いがあって、そういったものの積み重ねの上に、今を生きる私たちの営みが繰り広げられている。その連綿と続く、リアルの世界の一端を、岡村監督はひとりの人間として、記録しようとしていらっしゃるのだ、と思いました。
テレビ業界を去った、岡村監督のモチベーションが、そこに現れている様に思います。
現実に生きた人の、想いや、優しさや、悲しさや、のsubtlety(名状のし難い微妙さ)、これらは、言葉で容易に表せるものではありません。
それを、掬い取り、文学的手法で表現しようとする石牟礼道子さん、そしてフィルムを使ってドキュメンタリーという形で表現しようとする岡村淳さん。
これは、翻訳でもありますが、そこに自分が入ればすぐに損なわれてしまう様な、難しい翻訳です。
それを追求しようとしてたどり着いたのが、現在のお姿なのでしょう。
この、並大抵ではない才能と努力と無私のお二人の示唆してくれるものは、大きく、大きく、計り知れない重みをもって、現在を生きる私たちに問いかけ続けていると思うのです。


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