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岡村淳のオフレコ日記
     岡村淳アーカイヴス  (最終更新日 : 2019/07/03)
『消えた炭鉱離職者を追って サンパウロ編』を読む

『消えた炭鉱離職者を追って サンパウロ編』を読む (2019/04/26) 西暦1999年に撮影をして、西暦2013年にようやく編集と公開に至った『消えた炭鉱離職者を追って サンパウロ編』。
西暦2014年の下高井戸シネマでの上映時に小説家の星野智幸さんに寄せていただいたレビューです。

出典『言ってしまえばよかったのに日記』2014年4月21日付
http://hoshinot.asablo.jp/blog/2014/04/21/7291472

 岡村淳さんの作品を一年ぶりに見に行く。毎春恒例の「優れたドキュメンタリー映画を観る会」。作品は『消えた炭鉱離職者を追って・サンパウロ編』。
 1999年に撮影された素材を、昨年になってまとめられたもの。岡村さんご自身は地味で欠点だらけの作品とおっしゃるが、私の心はすっかり持っていかれてしまった。
 作品内容の紹介を、岡村さんのサイトから。
「1960年代、日本はエネルギー政策を大きく変換して、国内各地の炭鉱を閉山して、さらに失業した炭鉱労働者を南米に農業移民として送り出しにかかった。
 実際に海を渡ったのは数千家族といわれているが、実数は定かではない。
 自ら炭坑夫として地底に潜った日本の記録文学の大家・上野英信は1974年、かつての同僚たちを追って広く南米4か国を200日にわたって訪ねて回り、『出ニッポン記』という大作を遺している。
 上野の最初の南米の旅から25年、逝去から12年。上野を師と仰ぎ、筑豊の閉山炭住地域で伝道所を開く犬養光博牧師は、上野の足跡と炭鉱離職者の今を訪ねてブラジルを訪問した。上野に私淑して『出ニッポン記』を座右の書とする岡村は犬養牧師の旅の案内と記録を引き受けるが、サンパウロ空港での出会いから間もなくふたりはニセ警官の強盗グループに襲撃されてしまう。
 からくも難を逃れた犬養牧師は、ブラジルで上野と親交のあったサンパウロ人文科学所のメンバーらを訪ね、意外な上野像を交換し合う。さらにサンパウロの日本人社会を対象に上野英信についての講演会を行なうが、聴衆からは予想外の反発を浴びることになってしまった。
 そしてリオデジャネイロとアマゾンへの調査の旅を前に、サンパウロで北海道からの炭鉱離職者に出会うこととなるが……」
 上野英信のことは、岡村さんを通じて初めて知り、その後、私のまわりで何人も上野英信への崇敬の念を表明する作家・研究者に会い、非常に気になっていながら、入ってしまったら迷宮になりそうな気もして、私はまだ読んだことがない。その上野英信モノを岡村さんが作られると知って、絶対に見ておかねばと思ったのだ。
 それほど崇拝の言葉しか聞かなかった上野英信について、信者ともいえる犬養牧師は、強烈な相対化をしながら、相対化してもしきれない上野英信の神髄に迫っていく。上野英信が炭鉱に入っていった動機には、若いときの広島での被爆体験があるのではないかというのだ。被爆体験が、自分を卑下する感情となり、エリートの道を歩むに値しないと考えさせ、炭鉱労働者への道を選ばせたのではないか、と。その英信の心根について、犬養牧師は強烈な一語を発する。
 作品を見ていただかないとその強烈さはわからないと思うのでここには書かないが、私は本当に衝撃を受けた。これは犬養牧師以外、誰にも口にできない言葉であろう。
 これは今の社会を変えうる、決定的なものすごい言葉だと私は思った。極端な言い方をすれば、ある人間がヘイトスピーチにかける怨念のような情熱を、炭鉱労働者に混じって記録を書く情熱へと変えてしまうことは可能なのだ、と言われたような気がした。その言葉こそ、今の社会を機能不全に陥らせている、表面的な二分法の考え方、敵か味方かとレッテルを貼る思考を、突破する力を持っている。今の社会にあるネガティブで虚無的なエネルギーは、すべてポジティブで創造的な力に変わりうるのだ。それらはじつは同じエネルギーなのだ。それを上野英信という偉人に見てしまう犬養牧師に、私は仰天した。上野英信を読んだこともない私が、その偉大さを感じた瞬間だった。
 岡村作品のすごいところは、そこで終わらないところだ。そんな犬養牧師をも、映画は相対化してしまう。
 犬養牧師のおつれあいがお話をする場面もあるのだが、これがまたすさまじい。犬養牧師がひと言も反論できない、徹底的な批判をニコニコと元気よく展開するのである。この方の魅力は輝かしいばかりで、かつ岡村作品にとてもよく登場するタイプの女性である。私はここでも圧倒されてしまった。岡村作品は、このような根本からの批評者、一番メタレベルに立たされている者の存在を、決して見逃さない。だから汲めど尽きせぬ創造性があるのだ。
 映画は、元炭鉱労働者のブラジル移民に実際に犬養牧師が会っていくところで終わり、やがて作られる予定の続編へと続く。
 だが、私の衝撃はまだ終わらなかった。上映後のトークで、岡村さんは上野英信の『出ニッポン記』につけられたかもしれないオリジナルのタイトルを口にする。そこに含まれていた「棄国民(きこくみん)」という言葉に、私は目の前の世界が変わるような思いを抱いたのだった。「棄民」という言葉が併せ持ってしまう被害者意識を、主体性へと変えてしまう強靱な言葉。
 岡村作品に通底する感覚は、これだと気づいた。居場所が奪われていく者が、それでも主体性を確保し続ける姿が、執拗に描かれているのだと。そこには、自分は捨てられているのではなく、自分のほうが捨てている側なのだという境地に達することで、怒りをネガティブな怨念から創造性のあるエネルギーに変えるという姿勢が共通している。
 この映画のおかげで、これからの暗黒時代を生き抜くために、大切な言葉と思考を私は手に入れた。


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