『忘れられない日本人移民』を読む (2020/09/15)
COVID-19問題でブラジルにて半年近い巣ごもりが続いて次回訪日の見通しもたたないなか、当たり前になっていて近年のひんぱんな訪日の繰り返しこそが異常だったのではと気づき始めました。 文字通り「心を亡くす」状態である「忙しい」は極力さけるべき下品なさまである、などと思いながら、どうやらだいぶ心をなくしていたようです。 そのひとつとして、僕にとってはかけがえのない拙著に寄せていただいた数々のレビューをこのウエブサイトでご紹介していないことに今さら、木津歌次第です。 気づきのきっかけとなったEtsuko Toshimaさんのレビューをまずはご紹介します。
〇いまさらひとりでブックリレー Etsuko Toshima 著
最初はテレビの仕事で、ブラジルに長期滞在しながらドキュメンタリー制作をされていた岡村監督は、独立し、自ら移民となった。 フリーの立場で、ブラジルの日本人移民や画家など、ご自身のインスピレーションにひっかかる人たちの記録を通じて、ドキュメンタリー道を突き詰めておられる方だ。
言ってみれば、マイノリティ的な(と言ってよいだろうか)人々を追う、いわばマジョリティ的な立場を降りて、自らもマイノリティ的な道(と言っていいだろう)を選んだ人の、記録がこの本。
この本の中で、監督は、言葉に表せないものを記録するために、映像を選んだと書いたくだりがある。
ドキュメンタリーと言っても、何をどう切り取るかという問題はついて回るし、そこから、感動とか、悲劇とか、何かしらの、演出?風味?メッセージ?の様な作る側の意図に叶うものを排する事は難しい筈だけれども、そこに挑戦されているのが監督なのだと思う。
言葉に表せない、というのも、そういうことで、そこには敬意がある。
今、言葉に表せないものを大切にしている場は、どれだけあるのだろう。 全体性の回復を、世界は待っているのじゃないか、なんて思ったりする。
マイノリティであることの大切さ、と言っていいかわからないけれども、そこに価値を見出そうとするのなら、ひとつには、踏まれることの痛さを知ることだし、それは踏むことに気づくことだ。 そして、忘れているかもしれないけど、(社会にもよるかもしれないけど)人はみんな、マイノリティだった。 子どもの時。
かと言って、何かを一方的な見方をしないのが、監督の作品の凄さだし、私は初めて出会って以来、ずっとそれに惹かれている。
事実は小説より奇なり。 めちゃめちゃ面白い本だけれども、単に面白いで終わらないのは、やはり、それはフィクションではなく、実際に生きた人の話だから。 それは、激しく、ではないかもしれなくて、どちらかというとじんわりと、私の存在を揺さぶる。
(西暦2020年9月13日付 facebookにて発表)
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