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岡村淳のオフレコ日記
     岡村淳アーカイヴス  (最終更新日 : 2024/02/18)
岡村淳2021年東大闘争資料③
東大東文研オンライン上映会で岡村が看過してはいけないこと(12月16日)

岡村淳2021年東大闘争資料③東大東文研オンライン上映会で岡村が看過してはいけないこと(12月16日) (2021/12/17) 東大東文研オンライン上映会で岡村が看過してはいけないこと

別稿でも書きましたように僕、岡村淳は記録映像作家と称しています。
自分では事実を伝えるべきジャーナリストではなく、自分の感動を自分の責任と名前のもとに伝える作品をつむぐ作家だと思っています。
とはいえ、僕が自作に盛り込むあまたの事実へ愚直なまでの謙虚さは、そこいらのジャーナリストや研究者をはるかに凌ぐのでは、いう自負があります。
ジャーナリストや研究者にとって事実の歪曲・捏造はご法度だと、僕は考えます。
いっぽう「記録映像」とジャンル付けしていても、作家である岡村には「フィクション」を用いることも禁じ手ではないことでしょう。
しかし岡村は自分の認識した事実に、それがこちらの意図にそぐわなくても細部に至るまで忠実に従う姿勢を、少なくとも作品の責任者が自分だけである場合には貫いてきたつもりです。
そうした僕の作品を応援してくれている方々、そしてこれまでの自作群、なによりも撮影と発表を許してくださった被写体の方々に恥じぬよう、以下の事実を控えめですが明らかにいたします。

岡村が問題にしているのは、この11月から開催中の東京大学東洋文化研究所主催の連続セミナー「岡村淳監督作品・連続上映会-富山妙子、百年の孤高」で繰り返されている、主催者である同大教授の事実曲解発言です。
岡村がおだやかに先方をおもんばかって事実誤認を指摘しても、訂正どころか次回にそれを繰り返して、さらに岡村の尊厳をおとしめるような事実捏造といっていい発言まで行なわれるに至りました。
これを教授宛てにメールにて伝えましたが岡村の意図は理解されず、さらに別の深刻な捏造発言でお茶を濁そうという意向のようですので、事態の改善のためにあえて公表に踏み切ることにしました。

この教授と僕は数年来のかかわりがありますが、問題は関係の「非対称性」、言い換えると権力を持つ大学教授と 在外のいちフリーランスの市民という不均等さに由来するものかとも考えています・
先方をおとしめるつもりもありませんので個人名は掲げず、同様な、相手の「力」で弱者の側の尊厳までおびやかされている方々へのエールを込めて綴ります。

この教授との間では、今年の後半に限っても岡村としては、
・笑うべき
・岡村の作品の被写体の尊厳のためにも認めることができない
等々で受け入れなかったリクエストがありました。
いきなりオカムラがキレたのではなく、まさしく「事件」の「前夜」をなすいくつもの問題があるのです。

今回のイベントに限って「一部」を公表します。
今回の連続イベントは全3回ですが、その前にテストも兼ねて関係者を招いてのプレイベントも開催されました。
本イベントは11月20日、12月4日、12月18日の日取りで本稿執筆時までに最初の2回が終了しています。
問題はプレイベントの際にまず発生しました。
主催者の教授が、岡村の関与する事実について事実誤認の発言を行ないました。

これについては具体的に書くと、ほんらい主催者と僕が協力して立ち向かわなければならない、日本の近隣国に連なる人々とその文化を嫌い、おとしめようと図る勢力からいたずらに活用されるリスクがありますので、ここでは控えることにします。
その誤認発言に関して岡村は教授に「公式な場での訂正にはおよばないが、『我々』を好ましくなく思う勢力が事実関係を調べれば、事実と異なることがわかってしまうので、注意された方がよい」という、控えめな、もちろん先方をおもんぱかってのメッセージを送りました。

ところがその次回となる第一回目のイベントで教授はその事実誤認発言を訂正どころか、繰り返して強調して公言したのです。
 
誰にでもまちがいはあります。
それを謙虚に認めて改めるのであれば、まさしく水に流していい事態です。
しかしそのまちがいを指摘されながら改めてまちがったまま、繰り返して強調して公言するとは、
・看過できない猛省すべき「うっかり」ぶり
・確信犯としての事実捏造
のいずれかととらえていいのではないでしょうか。

僕はそれが事実とは異なるという証拠を探し出して、それを添付して教授にメッセージを送りました。
動かぬ証拠があるのですから、さすがの教授も自身の「勘違い」を認めました。
しかし東京大学の公式イベントで、主催の教授が繰り返して公言して、それが間違いであっても公に訂正も批判もされなければ、そのまちがいは「事実認定」されてしまうリスクがあると考えます。

こうして第2回、12月4日のイベントを迎えました。
教授はこの問題を訂正するどころか、いっさい触れず、あらたに岡村の信用と尊厳をおびやかす深刻な事実捏造発言が行われました。
これについては、先の問題より少し具体的に書かざるを得ません。

教授の公式発言のポイントを掲げます。
・以下の深刻な問題は、岡村から自分が直接、確かに聞いた
・岡村は自分にその話をしたことを、自分はもう忘れていると言っている
・日本で昨年、開かれた岡村の作品の上映会で、在日コリアンの参加者から岡村にも自分にも看過できない発言があった
・その人は、岡村の作品の主人公が作中で語る発言について「当事者性に欠ける」等の批判をした
というものです。

教授はこうした彼女にとっての「事実」を前提に、その発言者の「当事者性という高み」を批判して、主人公の尊厳を守ろうという話を延々と繰り広げました。
僕にとっての最初の問題は、僕がした覚えがないと明言している「深刻な問題」の発言を事実認定していることです。
岡村という輩は、そんな深刻な昨年の自分の発言も忘れてしまう程度のいいかげんな人物だ、という印象を持たれてもしかたないことでしょう。

そして僕はこの教授に、教授が僕にこの話を聞いたと主張する時期よりずっと後に「この主人公の作中のこの発言は、主人公および『我々』をよからなく思う勢力に上げ足を取られないよう、特に気を付けましょう」と提言していることは証拠もあります。
彼女はこれを実際に起こったことと勘違いしているか、あるいは岡村は自分がこうした事実捏造発言を行なっても黙認するだろう、と判断したかでしょう。
いずれにしろ実際にありえなかった発言を、実際に起こった事実と公言して持論を展開するのは、僕には容認できません。

教授が在日コリアンの人から「問題発言があった」と認定した上映会では、日本人の研究者から、拙作の主人公の業績をよく知りもせずに、まさしく知ったかぶりの高みから主人公をおとしめると岡村が受け止めた発言があったことは確かです。
岡村は、自身の憤りをこの教授は共有してくれるだろうと思って彼女に語ったことは「事実として」よく覚えています。
彼女の同業である大学研究者への憤りが、無意識なのか確信犯なのか、在日コリアンの人たちへの憤りに置き換えられてしまったのでは、と僕は推測します。

第2回のイベントの後、僕は以上の問題について教授にさっそく抗議のメールを送りました。
彼女は岡村の指摘する問題点への理解がおよばないようで、「自分は確かにこういう発言があったと聞いているので、他の上映会で起こったことと訂正するのはやぶさかではない」といった解決策の提示がありました。
さらなる岡村の返信には、先方からの返しも途絶えました。

ごまかせばごまかすほど墓穴を掘っていきます。
残念ながら「関係者」から口止め要請(それを被害者である岡村が沈黙しているいわれもないのですが)されている事態も、彼女の今後「事実認定」しようとしていることの虚偽を明らかにするため、公にせざるを得ないかもしれません。
「在日コリアン」の人から批判されたという岡村の作品は「日本では」岡村の立ち会う上映会でしか上映していません。
こうした問題を含む発言がされた時にその場で作品の責任者である岡村が相手と向き合って議論するために、岡村は自作上映に必ず立ち会うという、普通の映画人から見ればまことに効率の悪いライブ上映会をあえて継続してきているのです。

それが、岡村の関知しないところで岡村のこの作品が上映されて、在日コリアンの参加者から容認できない発言があったと(誰にかは存じませんが)確かに聞いている、と教授は公言を続けるつもりなどでしょうか?
それはそれで、他の由々しい問題がいくつも新たに生まれてきてしまいます。

今回の連続イベントでは、主催者である教授から時間がないので岡村の発言は「できればカット」「短く」「ひと言で」と何度もクギを刺されています。
いっぽう教授からは、こうしたありえない「事実」をもとにそれへの反論が長時間、披露されました。
残された18日の最終回が、公になされた発言に関して岡村が納得できる訂正が公式にされるかを確認できる最後の機会です。
こころからの悔い改めを伴わない、その場ごまかしはもう御免です。

さて、以上はこれまで本件に関してご関心、ご心配、応援をいただいてきた皆さんへの、「18日のイベントの見どころ聞きどころ」としてまとめてみました。
しかしこれは余興のようなものです。
もっとも期待していただきたいのは昨日まで岡村が紡ぎ続けた富山妙子さんの真骨頂と言うべき姿と対話を収めた映像作品です。

かつて岡村はNHKと抗争した時、NHK関係者から「オカムラサン、ずっとNHKクレイマーとされちゃってもいいんですか⁉」と戒めの言葉をちょうだいしたのを想い出しました。
すでに16年が経過していますので記しましょう。
NHKは僕の友人とその家族がたいへんなことになる、と脅しをかけて、この事件で僕に有利な事実の公表を控えるように圧力をかけてきました。
そうした際に自分が不利になっても、こうした要求は吞む程度の分別は心得ているつもりです。

クレームというのは相当なエネルギーも時間も使い、返り血も全身に浴びることになります。
しかし自分の作品と岡村の撮影を許してくれた被写体の方々、その方々と作者である僕の信用、尊厳を、権力をもとに高みからいたずらにおとしめられることを黙認して、自分の作品の発表も作成もできません。

最後に、よく考えれば自分も同様の問題を抱えているかもしれない、と気づかれた仲間たちに、ツイッターで出会った以下のポルトガル語の言葉を贈ります。

@dissepsicologo/12月6日
A gente "perde" algumas pessoas para poder ganhar paz.
isso sempre vai valer a pena.
発信者は「心理学者」さん。
"私たちは平安を得ようとすると ある種の人たちを「失なって」しまう。
しかし それは常に結果オーライとなるものだ。”

感謝を込めて。

西暦2021年12月16日 ブラジル・サンパウロ   岡 村  淳


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