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岡村淳のオフレコ日記
     岡村淳アーカイヴス  (最終更新日 : 2024/02/18)
金港入道 伊藤修の発心 /
メモ:『消えた炭鉱離職者を追って サンパウロ編』の感想

金港入道 伊藤修の発心 /メモ:『消えた炭鉱離職者を追って サンパウロ編』の感想 (2022/02/14) 横浜の大道の焼肉焼きにして彫刻家、そして伊豆大島富士見観音堂の堂守・金港入道こと伊藤修さんが2年前のギャラリー古藤「岡村淳ドキュメンタリー特集上映」に参加した際の感想をご自身の決意表明として新たに送ってくれました。
以下、ご紹介します。


実は僕はこの作品を見るのは2回目である。
ある事を確かめたかったからだ。
そのある事とは、今までの、そしてこれからの僕にとってとても大事な事のように思えたからである。僕は、急遽アルバイトをキャンセルして、岡村氏の記録映像を見る為に江古田に出かけた。
見おわった後に、複雑なパズルのパーツが収まったような充実感を味あう事ができた。
以下は、いたって個人的なものである。あくまでも僕自身の感想である。

『消えた炭鉱離職者を追って サンパウロ編』を最初に見た時は、ベレン入植時にお世話になったサンタ・イザベルの草刈氏の人生の背景を少しでも理解できればという事であった。アマゾン・キッドと異名のある草刈氏は九州の炭鉱出身者であった。
屈強な体躯の持ち主で、コロニアの相撲大会ではいつも優勝していた。僕が草刈氏の農場に居候を決め込んだ頃は、ご家族はベレンにお住まいで草刈氏は一人で、農場には住込み労働者家族と養鶏を営みながら暮らしていた頃である。当時、草刈氏は週末になると真っ赤なスポーツ・カーで、胸と腰と足首になんと3丁の拳銃を忍ばせ、ベレンや近郊の歓楽地にパトロールと称して出かける。僕は、朝は労働者と一緒に、鶏の餌やりと卵集め出荷を手伝い、その後は彫刻に打ち込んだ。とはいえ僕も週末には草刈氏とともに、タウロスの38口径を胸に括り付けてお供をしたものである。僕も嫌いな方ではなく、草刈氏の舎弟と決め込みアマゾン最大の都市ベレンの夜の街を知る事が出来たのだった。草刈氏はその筋のブラジル人の相談に乗り、喧嘩の仲裁、泥棒の逮捕など、日系社会の自警のみならず、ブラジル人の底辺社会の侠客のような方であった。草刈氏は朝鮮半島で生まれ故郷の九州の炭鉱からブラジルに移民したのだった。
最初に『消えた炭鉱離職者を追って サンパウロ編』を見た時は「炭鉱労働者の悲惨な生活からブラジルを目指した、なるほど大変な人生なんだな~。」と単純に情報としての感想しかなかった。草刈さんが「日本に俺がずっと住んでたら今みたいな生活はしなかったろうな~。俺はこう見えてもおとなしくて結構勉強が好きだったから、日本で大学に行きたかった。でも、こっちに来て良かった。こんなに自由に生きれるのは本当に幸せだぜ。」と語っていた。
僕は、そうなんだ~。すごい変わりようですね~。という事しか言えなかった。
僕はもう一度『消えた炭鉱離職者を追って サンパウロ編』を見たいとおもった。
なぜ、何処がすごいのだろうかと、考えたかったからである。

岡村氏の映像に登場する方たちは、皆、尋常ではない。
僕は、『アマゾンの読経』を見ても、藤川真弘師の覚悟は、やはりすごいな~と思ったし、
また、『赤い大地の仲間たち フマニタス25年の歩み』など佐々木治夫神父さんの多くの記録映像を見て同じように思った。
植物学者の橋本梧郎博士の話もしかり、またアーティスト富山妙子女史の一途さに関しても敬服するのみであり、『ブラジルのハラボジ』に至っては、知識や学歴ではなく信仰の力の凄まじさを思い知らされた。
僕は、『アマゾンの読経』をきっかけに藤川師の残された伊豆大島の富士見観音堂の堂守を引き受けた時から、とんでもない重い責任を感じて苦悩していた。「僕もすごい立派な人間とならなければならないな~。」と頑張るのだが、どうもよろしくない。
むしろ、草刈さんの凄さの方が良くなじむ。まったく公な歴史には吐露できない反社会的なところもあるが、異国で彼の深い情を一途に生きて来たのだと納得いくのだ。僕は、ふと、なぜ岡村氏は「移民」を撮り記録するのであろうかと考えてみた。
僕が見てきたすごい主人公たちの共通項は、「移民」「越境の人々」である。
以前に見た『消えた炭鉱離職者を追って サンパウロ編』に見落としは無いか?
僕が草刈氏がすごいとおもった事と聖人の如く眩しく記録映像に登場する人達と違いがあるのか?
僕は確かめたかったのだ。
上野英信氏を語る犬養光博氏が延々と続く地味な作品であるがそこには、こんなに見方もあるのではないだろうか?
それは、人類史・・。電気がアマゾンのゴムにより一般化し、内燃機関の発明が工業を生み出し均質な大量生産を可能にし、産業革命。そのエネルギーとしての石炭、ベークライト。そして石油とプラスチック。原子力につながる。その間の列強ヨーロッパの世界の分割、帝国主義と稙民地、資主義と共産主義、冷戦と民族独立。大規模な自然破壊、貧困と無知。
これらは、エネルギー資源の収奪が全て人々を取り巻き右往左往させる。
ささやかな幸せを求め越境する多くの人々「移民」、国という仕組みを越えていく命の尊厳。
『消えた炭鉱離職者を追って サンパウロ編』は、炭鉱離職者の哀れが「移民」とつながってこれが国家の棄民政策である、と言うような事を問う作品では明らかにない。
同じように、佐々木神父のお話も、パラナ州の辺鄙な地でこのような日本人神父がいますというような作品ではない。また、『アマゾンの読経』も藤川師という凄い人がいましたという作品ではない。これらの作品に流れている共通の「移民」というキーワードがあるが、そのキーワードを通して今まであった自らの価値というか常識というか、よく表現できないがそのようなものが拡大し、世界を生き抜く事が出来るたいそうなものに変わり、まるで、過去の事ではあるが現在進行形になってしまう。
どこかのドキュメンタリーのように、想定できる結末を岡村氏の作品は裏切っていく。もちろん史実を明確していく記録映像のルールを逸脱しているわけではないから「なるほどそんな事が、そんな方がいたのか~。」とそれでも良いわけだが、見る側の姿勢によってとんでもなく凄まじい問題提議が浮かび上がってくる。
今回の鑑賞で僕はこの作品は、人類の産業エネルギーの歴史の変遷の中で、人々が一つの方法として越境し幸せを求める戦いを描こうとする上野英信氏を語る犬養光博氏は、何かの始まりの「プロローグ」なのではないのだろうかと・・・。
よくよく考えると岡村氏の作品は、「エピローグ」あるいは始末記の如く記録、ドキュメンタリーとは一線を記している。移民の情報を記録するにとどまらず見る側に移民の視点から、あるいは国という仕組みの中からは、見る事ができない人間の幸せへの道の多様な価値を提案しているのではないかと思うのである。
『消えた炭鉱離職者を追って サンパウロ編』は、岡村氏の壮大な移民の歴史の叙事詩であり抒情詩の始まりではなかろうか、この後、個別課題として炭鉱離職者にこだわる事なくまったく違った原発問題、環境問題などの課題がつづいてもおかしくないように感じるのは、僕だけであろうか・・・・。

僕は、勝手に満足して帰路についた。
移民を起点に、越境の地で日本を生きる者、日本と越境の地で得た価値の広がりから生きる者、同じように幸せを求めて生きるのである。登場人物に語ってもらいながら、日本で日本を生きる僕たちに問題を提議してくれる。
僕は日本で日本に生きるかのように世間に向かって、聖人、偉人を目指してしまっているのではないか・・・。どこに生きても生きる価値の多様さは得る事は出来るのであろうが、世界で生きる事の豊かさと多様さは尋常ではない。草刈氏は聖人ではない、その凄さは自分の幸せを見出した事だと僕は思えた。
僕はある意味岡村作品に登場する強烈な聖人のような方たちから解放されたように感じた。幸せは多様である。日本国内で幸せを得る事も可であり、越境して価値の違う幸せを選択する事も可である。当たり前の事ではあるが僕たちは幸せは一つだと思い込んでしまう。僕は佐々木神父さんのようにはなれないし、藤川師のようにもなれない。
古希になる年回りで青臭い事を言うようだが、自分が自分自身であり続ける、幸せを得るために生きて行かなければならないのだろう。

僕も、大事にしていこう。
実は僕は泣き虫なのである。
マナオスの三日月湖でヒカリコメツキの群舞に涙した事、ポル語がままならない中でシコメンデスの墓の前で涙した事、カヤポ族の集落で皆が酋長パイヤカンの無事の帰郷を涙して走り寄って来た一緒に泣いてしまった事。
そして富士見観音堂で一人で読経に思わず涙した事。

南無大悲観世音菩薩           合掌
金港入道 伊藤修
(西暦2020年2月10日 記す)


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