【岡村の蛇足を書き添えました】四宮鉄男監督、岡村作品を読む『ブラジルの土に生きて』 (2023/10/02)
この10月、岡村の3年半ぶりの訪日の折に拙作『ブラジルの土に生きて』に深い縁のある岡山県備前市でのこの作品の上映が決定しました。 それにちなんで機会をうかがっていたこの作品の再度のデジタルリマスター版の作成を行ないました。 これらを記念して、敬愛する四宮鉄男監督にちょうだいしていたこの作品のレビューを紹介します。
『ブラジルの土に生きて』岡村淳監督 2017年メイシネマ祭1日めのラストがこの映画だった。 藤崎さんのこのプログラム作りには、前にも書いたが、あっと驚かされた。 もともとは2000年に製作されたこの作品は、岡村映画の原点のような映画だが、確かすでにずっと以前のメイシネマ祭で上映されているはずだった。 それが2016年改訂版が出来たからというので、この日の上映だった。 でも、2000年版が152分の映画なのに対して、今回の2016年版は150分。 わずか2分だけの改訂だ。 なんなのだ? 私はおおいに疑問だった。
でも当日、岡村さん自身の手書き事情説明でそのいきさつは納得した。 それによると、ある日の上映会で映画の中のテロップの間違いを指摘されたのだそうだ。 私の場合も、たびたびテロップを間違えたりしている。 でも私の場合、一期一会の誤った勝手な解釈で、もう出来上ったものは仕方が無い。 その時はその時でもう済んでしまったことだと言い訳して、関係者にゴメンゴメンとひら謝りに謝った後に、そのままほおかむりして来たことが多い。
岡村監督も実はまよわれたそうだ。 だが昔は映画の仕上げにスタジオを借りて大金が必要だったが、今は、自分のパソコンで作業が出来る。 それでテロップ直しを決意されたのだそうだ。 それと同時にこの映画の主人公の発言が、年齢を重ねられていることと、録音状態の悪いことと、それに日本語、ポルトガル語、スペイン語、英語などが混じって聴き取り困難なので映画の全篇にテロップを入れることに決められたのだそうだ。 主人公である石井老人の会話だけでなく、妻の敏子さんの会話もまわりに登場する娘たちの会話まですべて。 なんとなんと、そのテロップの数はおよそ1500枚におよんだのだそうだ。 びっくりするとともにその執念というかその取り組みの徹底差に頭が下がる思いだった。
でも、結果はそれだけのエネルギーが注がれた甲斐があったと私は感じた。 テロップのおかげで会話がよく理解できるという以上に映画のおもしろさが大巾に増進されているように私には感じられたからだ。
伊勢監督のようにテロップは絶対に入れないという監督さんも少くない。 そして事実として、テロップを入れると目がテロップの文字の方に引き寄せられて、テロップ文字を読むことに注力されて画面の方に目が行かないという難点もある。 伊勢監督などの考えでは、正確に聞き取れないならそれでもよい。話す人の表情やまわりの人の雰囲気からなんとなくでも伝わればよいという考えなのだ。
どっちもどっちなのだ。 私もできるならテロップは入れたくない。 でも必要ならテロップを入れるのも必要だなと思っている。 そしてその昔、宮澤賢治の教え子たちのインタビューを撮った時、老人たちで発言が聞きとり難く、花巻弁で聞きとれないこともことも多く、映画の全篇にスタジオを借りて1ヶ月以上もかかってテロップ入れをして、そして完成させたことも思い出せられてしまった。
それはそれとして、この映画は藤崎さんの手書きの紹介文によると、「日系ブラジル一世老夫妻の人生の軌跡と日常を4年間にわたって記録。」という映画なのだ。 映画を見ているうちに分ってくるのだが、この老夫妻はクリスチャンで、戦争はいやで、殺し合いはいやで、当時の軍国主義的風潮がいやで、ブラジルに移住されてきたのだった。
きっと藤崎さんはそういう人柄に魅かれて、この映画をあらためて今回もプログラムされたのかなあ、というのは私の勝手な推測であった。
この映画を見て私に印象的だったのは、正確な言い方ではないが「風土」みたいなことだ。 この老夫妻とその娘たちの家族はまるで日本人ではないみたい。 明るく、元気でくったくなく、あけっぴろげで...ブラジルで生活すると、ブラジルという風土で生きるとそういう風な生き方が可能となり身についてくるのかなあとしきりに日本人である自分の、いじいじとした生き方が反省させられてきたのだ。
もう一つ印象的だったのは、夫の石井延兼さんは心臓の病で89歳で亡くなるのだが、それでも映画はどんどんとどこまでも続いていくのだった。 そして妻の敏子さんは、老年になって始めた陶芸の道をせっせとたくましく歩み続けていくのだった。 それが私には身近に感じられた。 私も、知人や先輩がどんどん亡くなられて、やがて自分もと思う年齢になって来ているのだから。 (上映後のトークでは敏子さんも94歳で亡くなられたそうだが。) 岡村監督の映画にはいつも感心させられる。 そして印象的なのだ。
ファクトがたんたんと一つ一つ重ねられていくのが見ていて気持ちよい。 そしてもう一つはカメラポジションの自在さだ。 カメラアングルではなく、適格なカメラのポジションなのだ。 そこから映像のリアルが担保されてきている。 そこから映画がいきいきと存在してくる。 特段のストーリーも感動的な話もないのに岡村監督の映画はいつもおもしろい。 魅力的だ。 その秘密がそこにあるような気がしている。<了>
<岡村の蛇足> いつもながら、ドキュメンタリー制作者である四宮さんにいただくコメントの鋭さは他の追随を許さない。 ドキュメンタリー映画監督といってもまことに千差万別だが、四宮さんほど僕と嗜好・志向が似ている人は…、他に思い浮かばない。 日は当たらず、自分でもよく言葉にできていない拙作の理解を多大に助けていただいている。 この『ブラジルの土に生きて』改訂版についても好意的に受け止めていただけたようだ。 さて少し補足をさせていただこう。 この改訂版を作成したのは西暦2016年、ちょうどリオのオリンピックの開催前後だった。 完成直前の編集機のトラブルにより作業データが消失、ふたたびやり直すなどして3か月近くかかってしまった。 約1500枚の字幕テロップも機械的に入れるのではなく、一枚一枚、文字の間隔や挿入位置も調整している。 われながら、なかなかの職人仕事だった。 そして僕がこの作業に踏み切ったのには、四宮さんが書かれた以外の大きな理由があった。 初版完成の西暦2000年当時には日本の視聴者にも聴き取れていた、特に主人公の石井延兼さんの言葉が経年とともに日本人に聴き取りづらくなってきていたのだ。 素材の劣化ではない。 言葉が時代とともに変化するのは当然で、今の我々が第二次大戦前、さらに江戸時代の人の会話を聞いたらスムースには理解できないことだろう。 しかし僕が感じたのは、日本人そのものの聴く力の劣化である。 テレビなどでは聞き取ろうとする努力をしなくてもテキトーな字幕が次々とでてきてくれる。 あるいは、吹き替え。 日本の社会そのものが、ひとの話をきちんと聞き取ろうとしない傾向すら感じている。 僕とて、自分がフレームで切り取った画面を字幕で汚したくはないのだ。 しかし聴き取りづらい会話が2時間半も続く映画を、雰囲気だけ伝わればいいという強気にはなれない。 それやこれやでの葛藤の産物がこの改訂版でした。 (西暦2023年10月・3年半ぶりの出ブラジルの日に記す)
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